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漢字を中国語として読むとわかりやすい

2022-08-29 13:15:34 | 漢文、漢詩、唐詩

AUTHOR: ItouK TITLE: 2. 中国古典(漢文、漢詩)を中国の漢字音で読むと合理的でわかりやすい DATE: 02/25/2008 12:22:00 PRIMARY CATEGORY: 漢文はシナ語だ STATUS: Publish ALLOW COMMENTS: 1 ALLOW PINGS: 1 CONVERT BREAKS: 1 CF50_USERNAME:ivory.ap.teacup.com/khanczy/ ----- BODY: ・ ・ ・  昔の日本人は中国大陸の漢語をそのまま使っていた 

金田一春彦氏が岩波新書赤表紙版『日本語(上)』(1988年)の65~67ページで、古代の日本人は中国語、大陸漢語をそのま使っていたと書いている。漢文につける返り点や送りがななどは平安朝になってできたもので、たとえば聖徳太子(厩戸皇子)の「十七条憲法」の   

「以和為貴……」 の場合、春彦氏によると当時は「イーホウウェイクィ……」のように日本式に訛った中国語で読んだのだろうと推測している。  

「以和為貴」は今の北京語で読むと yĭ hé wéi guì である。 「以」yĭはひらがな「い」のもとになった漢字である。 次の「和」の發音には héのほかにhè、huó、huò、hùがあり、 huoがもとの發音である可能性が高い。

中国人の發音では、huoにあるような二重母音はまるい唇が後半で横に開いて奥舌のeに近づく場合がある。 huóのuが省略されればhéに近づく。 ひらがなの「わ」のもとになった「和」は朝鮮語でhwaであり、日本語で「わ」になっている。また、「和尚(をしゃう>おしょう)」のような場合、「和」の読みは「を」で、これはwoという發音になる。

「為」wei(第二声と第四声)は「ゐ」のもとになっており、昔の日本人はwiと發音した。「貴」guìの日本語音は「キ」だが、「クヰ」kwiだった可能性がある。  

 

藤堂明保氏の『学研大漢和字典』で「以和為貴」の隋唐代の發音を再現すると、   

yiei-ɦua-ɦɪuĕ-kɪuəi になり、「和」の發音がɦuaだったとわかる。日本語の音読みでそのままの順序で読めば   

i-wa-wi-kwi(イワヰクヰ) となる。  以A為Bは「AをBとする」という意味で、現代漢語でも使われている。

「校対時,必須以原稿為准」 Jiàoduì shí,bìxū yĭ yuán-găo wéi zhŭn 「印刷物の校正は原稿を規準としなければならない」(三省堂『クラウン中日辞典』より)  

また、春彦氏によると、奈良朝になって編纂された『日本書紀』の「古天地未剖……」も「コーテンティー ミーフー……」のように読んだと推測している。最後の「フー」は、奈良時代は「プ」だった可能性がある。現代北京語ではGŭ tiāndì wèi pōu……だが、「未」wèiは「妹」mèiの音符になっているように、もとはmで始まっていた。「味」wèiも同様である。  

さらに、春彦氏は今の佛教界(春彦氏は「仏」を使っているが、ここでは「佛」にする)で「阿弥陀経」を読む場合の読み方にも触れ、僧侶が「爾時佛告長老舎利弗」を「ジーシーフーコウチョーローシャーリーフー」と上から順に読んでいることを挙げ、「これらも激しい日本なまりになっているけれども、一種の中国語だ」と書いている(『日本語・上』、「I世界のなかの日本語、昔は中国語をそのまま」)。  

また、春彦氏は岩波新書『日本語』(1957年)51ページで『源平盛衰記』から例を挙げ、熊谷直実(くまがいなおざね<~なほざね)が書いたてがみで「直実謹言上 不慮奉参会此君之間……」となっており、一方、俊寛(しゅんかん<~くわん)のむすめがい書いたてがみでは「そののちたよりなきみなしごとなりはて、……」となっている。  

春彦氏は「男の手紙はまるで、シナ語の一種みたいなもので、カリブ人の男女がちがった国語を使っているのはひとごとではない」(岩波新書青表紙版『日本語』、「I日本語の種々相、男のことばと女のことば」)と書いている。ただし、ここでいう「国語」とは国家の言語とは限らないので、「男女がちがった言語を~」または「ちがった母語を~」と呼ぶべきである。  

 

漢詩と成語を本場の發音で読んでみる  

日本では漢詩や中国の成語は日本の「国語」(日本語)で教わり、漢詩は縱書きで返り点や番号、送りがなをつけて読み下す。一方、「中国語」は大学第二外語で、普通、古文はやらない。日本人が中国に留学すると、漢詩も古典も現代漢語音で読み。現代漢語で説明することになる。ここで、日本の「国語」でおなじみの漢詩や成語を、第二外語の「中国語」として考えてみる。

 

●早辞白帝彩雲間jiān────an  

千里江陵一日還huán────an  

両岸猿声啼不尽(or住)  

軽舟一過万重山shān────an  

 

「間」jiānは現代北京音でjiēnのような發音になるが、廣東語のganに残る古音をあてはめると、1、2、4行目がanで韻を踏んでいることが明確になる。

 

●玉不琢不成器、人不学不知道  Yù bù zhuó bù chéng qì,rén bù xué bù zhī dào  

 

「知道」zhī dàoは「道を知る」になる。 現代漢語で「把」băを使って目的語を動詞の前に移す語法が發達しているが、漢語は原則として動詞が先で目的語があと。  いうまでもなく、現代漢語で「知道」zhīdao(daoは軽声)は「~を知る」。  「而」érには「しこうして」という訓が与えられ、漢文の読み下しでは、しばしば、読まない「置き字」とされるが、中国人が読む場合、当然、發音される。

 

●「叟不遠千里而来」 Sŏu bùyuăn qiānlĭ ér lái

●「学而時習之」 Xué ér shí xí zhī  この「而」は、いわば、訓読した場合の「叟(そう)、千里を遠しとせずして……」、「学びて、時に……」の動詞の連用形についている「て」に相当する。  「不遠千里而来」に返り点などをつけて「千里」を読み、「遠」を読み、「不」を読んで、「来」に目を移し……などとやるのは非常に面倒で効率が悪い。書いてあるとおりの順番で読み、意味をとるのが妥当だ。  「而」の現代漢語の例を小学館『中日辞典』から引用してみる。 「文筆簡練而生動」 wénbì jiănliàn ér shēngdòng 文章が簡潔で生き生きしている。 「為早実現四个現代化而奮闘」 wèi zăo shíxiàn sìge xiàndàihuà ér fèndòu 「四つの近代化の早期実現のために奮闘する」  「叟不遠千里而来」は「孟子見梁惠王」にある表現で、その次は

●「亦将有以利吾国乎」 Yì jiāng yŏu yĭ lì wúguó hū という文である。中国では、当然、書いてあるとおりの順序で読む。  これは日本式の「漢文読み下し」で、こう読む。 亦(1)また 将(2)まさニ、(8)すル 有(7)あラント 以(3)もっテ 利(6)りスルコト 吾(4)わガ 国(5)くにヲ 乎(9)かト  ひらがなは漢字の「読み」で、カタカナは送りがなである。これはもう、「読み」ではなく「直譯」と考えたほうがいい。もし、日本人がこのような「読み方」を英文学の原文購読などでやっていたら、会話力は上達しないし、現代文もろくに理解できないだろう。  現代漢語で「将」は「まさに」や「する」ではなく、動詞の前では「もうすぐ~する」の意味だ。 二音節だと「将要」jiāngyàoで、このように使う。 「我們的研究将要完成了」 Wŏmende yánjiū jiāngyào wánchéngle 「我々の研究は間もなく終了する」(『クラウン中日辞典』より)  

「利」lìは動詞としては「~に利益をもたらす」で、二音節では「利於」lìyú~(~に有利だ)がある。 「制定利於経済發展的政策」 zhìdìng lìyú jīngjì fāzhănde zhèngcè 「経済發展にプラスとなる政策を制定する」(『クラウン中日辞典』より、原文の「発」を「發」にした)  

「於」yúは大陸簡体字で「于(下が左にはねる)」で、 「於」はyū、yú、wūという読みで別項目になっている。 ここでは「干」gān、gànとの区別のために「於」を使った。 ●「夫禍福之轉相生、其変難見也」 Fú huòfú zhī zhuăn xiāng shēng,qí biàn nánjiàn yĕ.  次は「塞翁馬(さいをうガうま)」Sài Wēng Măから。  「夫」fū、fúは「夫婦」fūfùなどで第一声だが、文語の文頭で「そもそも」の意味だと第二声になる。  「難見」nánjiàn(見えにくい)は「難看nánkàn(醜い、みっともない)」と文法的に近い。 「近塞上之人、有善術者。 Jìn sàishàng zhī rén,yŏu shàn shù zhĕ. 馬無故亡而入胡。人皆弔之」 Mă wúgù wáng ér rù Hú.Rén jiē diào zhī.  最初の「近~」は「靠近~」kāojìnと解釋すれば、書いてあるとおりの順序で読んで、すぐ、理解できる。「有~」yŏu~で「~がいる(ある)」の意味。 「其父曰、『此何遽不為福乎。』  Qí fù yuē,Cĭ héjù bùwéi fú hū. 居数月、其馬将胡駿馬而帰。人皆賀之」 Jū shùyuē,qí mă jiang Hú mă ér guī.Rén jiē hè zhī.  

「此」は「這个」zhègeまたは「這件事」zhèjiànshìに、「何遽」を「怎麼」zĕnmeなどにすると、わかりやすくなる。また、「将」は介詞で「~を」の意味になる。日本で「漢字、漢語には時世と格がない」といわれるが、現代漢語では動詞の戦後に「将」jiāng、「要」yàoや「過」guo、「了」leをつけて未来や過去、完了をあらわし、「把」băを使って目的語を動詞の前に持ってくることも可能になっている。  「把權力讓給別人」bă quánlì ràng gĕi biérénは「権力を人に譲る」という意味だ。

「其父曰、『此何遽不能為禍乎』」(『塞翁が馬』より) Qí fù yuē,Cĭ héjù bùnéng wéi huò hū.  

「不能」bùnéngは「~できない」という意味で、まさに「中国語」である。読むときは、そのまま「不」→「能」→「為」→……と読むほうが、はるかに楽だ。これを返り点を三つもつけて「禍(くわorわざはひ)ト為(な)ルこと能(あた)ハ不(ざ)ラン」と逆に読んで、最後に文末の「乎」に目を移して「やト」と読むのは非常に面倒である。  日本の漢文読み下しでは「置き字」というのがあるが、中国の漢字は、書いてあればすべて發音する。日本で「五右衛門」の 「右」や「大石内蔵助」の「内」を読まないようだが、大陸漢語で読めば「右」はyòu、「内」はnèiと發音する。一方で、表音文字といわれるアルファベットのほうではフランス語の複数のsなど、發音しない文字があるほうが異常である。漢字で發音しないのは形声文字の意味を表す部分(多くは部首)くらいだ。

●「先入定關者王」 Xiān dìng Guānzhōng-zhĕ wáng これも、「先進関中的人就是王」のように解釋していいと想う。

●「寧為鶏口、無為牛後」 Nìng wéi jīkŏu,wú wéi niúhòu  「寧」nìngの現代漢語の例を小学館『中日辞典』で調べると、「Aするくらいなら、むしろB」、「むしろAしてでもBする」の意味の「寧」nìngは二音節では「寧可」nìngkĕになる。 「寧可我多干点儿、也不能累着你」 Nìngkĕ wŏ duō gàn diănr(>diăr)、yĕ bù néng lèizhe nĭ 「むしろ私が少しよけいにやってでも、あなたには苦労をかけない」

●「天下為公」 Tiānxià wéi/wèi gōng  「為」wéiが第二声だと「天下は公になる」で、第四声の「為」wèiだと「天下は公のため」。  首脳として在任中のビル・クリントン(Bill Clinton)が 江澤民(Jiāng Zémín)と会談したとき、中国の古典「礼記(らいき、Lĭjì)」から例文を紹介し、 “When the great way is followed,all under heaven will be equal.” (原文は「大道之行也、天下為公」 =Dàdào zhī xíng yĕ,tiānxià wéi/wèi gōng) ということばに新たな意味をつけ加えようと言って、 Xièxie.Thank you very much. でスピーチを終えた。 これは「天下為wéi公」の解釋だ。  「為」は「なす、する」、「~のためになす」の意味で、「偽」は「人の手で何かをする、別のものにする」という意味。  

「偽」は「人のため」でなく、「人がなす(=おこなう)」→「手が加えられた」→「本物と違う」の意味。  

「ゐ」は「為」の草書。古代の日本人は wei の古音をwiと受け取ったようだ。大陸の簡体字「为」は中間的な形で、「伪」wĕiにも応用されている。

『江~姫たちの戦国~』31「秀吉死す」(T-CupBlog)

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2008/2/25 2008年2月投稿、目次

 

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