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神田祭.ch公式ブログ

神田祭公式ブログです。当日の神田祭の実況や神田祭の裏側、インターネットchの「神田祭.ch」の模様をお伝えいたします。

日本橋一の部地区連合 室町一丁目会

2015-05-10 10:50:01 | 宮入順

 

【町会の特徴】

室町一丁目は、昭和7年に、「旧室町一丁目・二丁目」等の町が合併して、室町一丁目となりました。

日本橋魚河岸、呉服屋、両替店が栄え、現在にまで至り、老舗となっている店も多く、商業・金融の中心地となっています。

宝町一丁目内にある「三越」は、延宝元年(1673)に越後屋号で旧本町一丁目に店を出し、「店前現銀無掛値」の看板を掲げ、現金による正札販売商法と、切り売り商法の新商法によって今日になすまでとなりました。 

明治37年「三井の越後屋」を二字につめて「三越」と改めたと言われています。 

遠方のため神社への宮入は行っていなせんでしたが、平成17年より、町会長を中心とした日本橋会の皆様の協力によって宮入ができるようになりました。

 

町会の該当区域は、日本橋室町一丁目全域となっています。

 

【神輿の特徴】

総勢300名の担ぎ手により宮入を行います。大神輿は昭和13年、後藤 直光作です。

大きさは2尺8寸、平屋台、三方胴羽目です。

扇木や厚手の鋳物、彫金で細工され、木彫を施さない神輿です。

鳳凰の翼が大きく、首が長いことも特徴の一つです。

 

宮入の後、境内右側にある水神の山車の前で、魚河岸会の皆様へあいさつのみこし振りを行うのでそちらもご注目ください。


外神田町会連合 宮本町会

2015-05-10 10:37:23 | 宮入順

【町会の特徴】

宮本町は、明治2年(1869)に神田明神門前町となった後、明治5年(1872)には境内などの社地を編入して、神田宮本町となりました。

江戸総鎮守のお膝元で生活することを誇りとする住民の心意気が形になった名前です。

 

宮本町には、明治10年(1877)創業、開花三十六席にも選ばれた「開花楼」がありました。

ここは海抜40メートルの高台に建っており、見晴らしの良さと江戸前の料理が好まれ、通人、粋人が集う場所として知られ、東京名所図会など、多くの書物に残されています。

また、単に料理屋として著明であるばかりではなく、書画店や古書市、見本市等、当時としては貴重な文化事業が再三開催されました。

 

明治の国分学者、福羽美静が開花楼の全盛を詠んだ詩を紹介します。

「にぎわしき花の都のその花を見れば心もまた開けつつ」

 

町会の該当区域は、外神田二丁目16〜19番地、71号・4号の一部となっています。

 

【神輿の特徴】

宮本町会の神輿は、子供神輿として出します。

本年中は神輿を使用して宮入いたします。

昭和35年、宮惣の製作によるものです。迫力があり、熱気あふれる、力強い担ぎっぷりにご注目下さい。

 

外神田地区連合 神田同朋町会

2015-05-10 10:31:25 | 宮入順

【町会の特徴】

同朋町会は、明暦の大火以前までは寺地でしたが、明暦の大火(1657)後に寺地を外に移し、幕府同朋衆の屋敷としました。

 

「同朋」というのは、室町時代に始まり、幕府の雑務、茶事を務めた僧体の小史のことを言います。

 

江戸幕府では、城中における大名の案内・更衣・刀剣の上げ下げ・茶弁当の世話をし、将軍外出の際には、長刀を持って従っていました。

 

平成83月に新調した浅草の宮本卯之助商店作の御神輿で同年5月の神田明神例大祭に参加しました。

 

町会の該当区域は、外神田二丁目10〜15番地、6丁目12番地及び3番地3478号となっています。

 

【神輿の特徴】

神田同朋町会の神輿は平成8年に新しく作り直しました。

宮本卯之助の作品です。

美しい仕上がりの中にも下町の落着きを調和した風情になっています。


外神田地区連合 外神田五丁目栄町会

2015-05-10 10:20:38 | 宮入順

 

【町会の特徴】

外神田五丁目栄町はかつて、神田栄町と呼ばれ、江戸時代には武家屋敷が立ち並んでいた地域で、この一帯が豊前小倉藩小笠原家の中屋敷だった記録が残っています。

 

この界隈が大きく様相を変えたのは明治維新後のことです。

明治2年(186912月、神田相生町から出た火事によって、現在の外神田周辺は焼け野原となってしまいました。

そこで明治新政府は、神田竹町、神田平河町、神田松永町などに、防火のための火除地を設置し、鎮火神社(秋葉神社)を建立しました。

それらの町に住んでいた人たちがこの界隈に移転させられ、神田栄町となりました。

「栄」という名前は、新たに繁栄するように、との願いから付けられたと言います。

 

明治44年(1911)、町名は神田を取り、栄町と改称しますが、昭和22年に、神田区と麹町区が合併して千代田区が成立した際、ふたたび神田栄町となりました。

そして昭和39年、住居表示の実施で神田亀住町や神田元佐久間町とともに、現在の外神田五丁目となりました。

 

町会の該当区域は、外神田五丁目16番地となっています。

 

【神輿の特徴】

外神田五丁目栄町会の神輿は昭和54年製作のものです。

 

皆さまの心に強く迫る宮入りをします。

 

 

 

外神田地区連合 外神田四丁目田代会

2015-05-10 10:13:43 | 宮入順

 

【町会の特徴】

田代町は、江戸時代中頃までは武家屋敷でしたが、寛政5年(1793)の大火で神田川周辺にあった町が燃え、町の一部が火除地となりました。

 

翌年、その町に住んでいた人々が、御成道の旗本永井伊織の屋敷跡を代地として与えられて移転してきました。

当初は「神代町」としましたが、あまりにも名前が立派すぎるので「神田代地」を省略して、「田代町」と改めました。

 

町内には花房稲荷が祀られています。

現在の社は戦火により消失してしまい、戦後に地元住民が再建したものですが、神社そのものは江戸時代からこの地にあったとされ、古くから地域のシンボルとして人々に親しまれています。

現在も4月にお祭りをしており、田代町の人々が大切に守っています。

 

町会の該当区域は外神田四丁目2〜6番地となっています。

 

【神輿の特徴】

外神田四丁目田代会の神輿は、昭和35年に生まれました。

他の神輿に比べ、引き締まっている作りです。

是非ご注目下さい。