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神田祭.ch公式ブログ

神田祭公式ブログです。当日の神田祭の実況や神田祭の裏側、インターネットchの「神田祭.ch」の模様をお伝えいたします。

外神田同朋町会

2005-05-15 09:10:00 | 神輿(外神田連合)

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 続きまして、同じく外神田連合の外神田同朋町会の宮入りです。

 同朋町(どうぼうちょう)会は、明暦の大火以前までは寺地でしたが、明暦の大火(1657年)後に寺地を外に移し、幕府同朋衆の屋敷としました。「同朋」というのは、室町時代に始まり、幕府の雑務、茶事を務めた僧体の小史です。江戸幕府では、城中における大名の案内・更衣・刀剣の上げ下げ・茶弁当の世話をし、将軍外出の際には、長刀(なぎなた)を持って従っていました。

 同朋町会北隣の妻恋坂を挟んで妻恋神社があります。この神社は同朋町と文京区の妻恋町(湯島三丁目)の二町会で昭和52年から共同管理しています。同朋町は妻恋神社の氏子町会にもなっていて、平成8年3月に新調した神輿の屋根紋には、妻恋神社、神田明神両方の御紋を付けて、同年5月の神田明神例大祭に「担ぎ初め」をしました。

 町会の該当区域は、外神田二丁目(そとかんだにちょうめ) 10~15番地、6丁目1・2番地及び3番地3・4・7・8号となっています。


神台会

2005-05-15 09:00:00 | 神輿(外神田連合)

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 いよいよ、神輿が宮入りしてまいりました。
 最初の神輿は外神田連合の神台会です。

 神台会は神田神社の裏に位置します。昭和39年に町名変更が実施されるまでは「台所町」と呼ばれていました。明暦の大火後、江戸幕府の火災対策の政策により、かつては寺が立ち並んでいた神田神社の裏手も、城内の御台所御賄方(おだいどころおまかないかた)の武家屋敷として再建されました。御台所町(おだいどころまち)という旧地名は、このときから始まりました。 

 さらに寛文(かんぶん)12年(1672年)、この町内に「町屋(まちや)」も形成されました。以降、御台所町は町人の町として発展を遂げていきました。

 神田明神に近いという事から、「神田明神下御台所町」と長い名前が付いていましたが、明治5年(1872年)に旧賭手代屋敷と合併し「神田台所町」となりました。

 神台会は、現在も神田明神のお膝元としての誇りを強く持っている町会です。

 町会の該当区域は、外神田二丁目5番1~12号に加え、7番地1号・4号を除く、6~9番地となっています。