今月いっぱいで異動なさるM先生の送別会が先日開かれまして、私「くりぼう」も参加いたしました。
M先生は私の4学年先輩で、以前本ブログで紹介したF先生と同期にあたり、私が研修医の頃から色々とお世話になっていました。今回、近隣の基幹病院のナンバー2としてご栄転され、引き続き最前線で診療に臨まれていくことになります。
送別会での席上、社長の歓送の辞に続き、M先生の挨拶がありました。ビールの後に熱燗を4合ほど飲んで、いつものように饒舌となった私のすぐ隣で挨拶なさったM先生。
刹那、酔いも吹っ飛ぶまさかの男泣き。大きな体から辛うじて絞り出した震えるような声、そして、赤みをさした頬をはらはらと伝わる涙。大病院で臨床の矢面に立ち、酸いも甘いも経験してくればこその男泣きです。発せられる一言一言、流れる涙の一粒一粒に、大学病院4年間の充実と苦渋が入り混じっているようでした。
そんなM先生ですが、直接の上司としてご指導いただく機会こそありませんでしたが、臨床面で多くの助言や指導をいただき、自身の糧とすることができました。そして、優しさと厳しさは本来紙一重のものであり、どちらかを伝えたいときには必ずもう一方の裏打ちがないといけないということを、折に触れて感じておりました。
優しさと厳しさの両立、言うは易く行うは難し。厳しいことを言うときにもふっと漂う優しさや、逆に優しさの中に時々見え隠れする毅然とした芯のようなものは、一朝一夕に備わるものではないのだろうと思います。M先生が研修医や大学院生だった頃に指導を受けた先生、その多くは今では重鎮と呼ぶような存在で、中にはすでに一線を退かれた先生もいらっしゃるわけですが、今の泌尿器科診療の礎を築いてこられたその大先輩の熱い血を脈々と受け継いでいるというのが、私のM先生に対する思いです。
改めまして、M先生、これまで本当にお世話になりました。有難うございました。(送別会では早々に酔っぱらってしまい、失礼しました。)
さて、M先生が来月から近隣の基幹病院で勤務されると書きましたが、わが医局からもその下にひとり若手が赴き指導を受けることになります。絶やしてはならない血というものがあるはずですが、「今働いている彼」も「今度行く予定の彼」も、その伝承者にふさわしいと思っています。
そんな彼らに一言だけ。辛くなったら俺のところへおいで。優しく受け止めてあげる。家庭のことでも構わん。酒呑むだけかもしれんけど。
そういうわけで、自分がこの先の人生で何回流すのか分かりませんが、男の涙は大の男を揺るがすほど、その意味するところは大きいということです。
でも、前もって書いておきます。3月吉日「今度行く予定の彼」の晴れの日、くりぼうに涙腺警報発令です(要するに、披露宴で感涙流すってことです)。未完成な男の涙ですが、今の自分が幸せだからこそ出てくる涙だと思います(そう信じたい)。どうか暖かく見守ってください。何か新郎の挨拶みたいですけど。
(ジャイアン風に,「ギッタン ギッタンにしてやるぞ~!」)
分かりにくい文章ですみませんでした。ところで、
それ どういう意味や? の「それ」って何でしょうか。宜しければ教えてください。
ま、送別会がいつ頃になるのか、そもそも送別会が開かれるのかどうかも分かりませんが・・・。
30過ぎると男は涙もろくていけません。
最近、ひしひしとそのことを感じます。
何気ない、ドラマの一コマとか、NHKニュースの最後のテロップとか、油断するとウルっときます。
しかし、先生の文章は面白いですね。
参考になります。
私の場合、プリキュアの奮闘が涙腺閾値だったりして、もう大変です。プリキュアの映画でみんな楽しそうに応援しているなかで、ひとりボロ泣きしています。他の映画やドラマは言わずもがなです。
涙腺の臓器選択性の高いアンタゴニストでも発売されないかなと(逆にここ一番でアゴニストとかあってもいいかも)思ったりしています。
歳のせいプラス、職業柄、泣けるような場面で泣いていられない分のはけ口という部分もあるのかもしれません。