駆け込みで観てきました、鏑木清方展@国立近代美術館。

2時半前に着いて、入場できたのが5時。
会場内も混雑していて、じっくり向き合うことはできませんでしたが

2018年に見つかったという三部作「浜町河岸」「築地明石町」「新富町」を
はじめ、清々しく透明感ある美人画がずらりと並ぶ中、
ふと浮世を忘れ(浮世絵なのに!)知らぬ古の都へ思いがとんでいきそうな
会場の人のざわめきも遠のくような思いがしました。
浮世絵…と書きましたが
これは私の感想ですが、パリ万博で欧州の人が惚れ込んだ
デフォルメや荒々しいタッチではなく
原点回帰なのでしょうか、とても静的で清らかな画風。
挿絵画家を目指していたことから、
あくまで文章、文芸作品の引き立て役を意識していたのでしょうか。

「野崎村」ラストの、
お染が母親に手を引かれ村を後にするシーン。
弱冠16歳の、まだあどけなさが残る面立ちに
どこか決意を秘めたまなざしの強さを感じ、
この展覧会でもっとも印象に残りました。
鏑木清方といえば美人画が有名ですが、
私はどちらかといえば、物語の挿絵的な、あるいは明治の生活情景に
思いを馳せた市井の絵に見入ってしまいました。

十一月の雨。清方77歳の作品。
終生、画風を変えなかったといわれる清方ですが
よく観ると、やっぱり30代で描く美人画には絵筆の強さを感じるし
年を重ねてからのこうしたスケッチ的な絵には
いい意味で力の抜けた、過去へのふんわりと優しいオマージュを感じます。
かといって、晩年に題材が変わったわけでは決してなく
画像はありませんが、大佛次郎が立ち上げた雑誌『苦楽』挿絵には
円熟味ある美人画が何号にもわたり描かれており、こちらも見ごたえがありました。
季節柄……

露の干ぬ間に(部分)。浅葱の色合いと
ここにはありませんが朝顔の青が美しく、見とれました。
清方は、もともと読書が大好きで、
挿絵画家として活動を始めた当初から、
文芸作品を何度も何度も読んで、描く場面を決めていったそう。
どの絵を見ても、「物語」を感じるのはそのためかな、と。
ただ美しいだけではない、器用なだけではない、
人や物語、そして人の営みそのものへの愛があってこそ
これだけ多くの人に慕われるのだろうなあと
そんなことを、思いました。