れっどかなちゃんず

浦和レッズを応援するレッズな家族の記録です。

野人岡野伝説

2008-01-23 23:49:32 | 浦和レッズ
1/21、浦和レッズ岡野出演のラジオ放送は、
レッズ「野人」誕生にまつわる秘話も聞かせてくれた。

まず、「野人」の由来から。

名付け親は、土田GKコーチとのことだ。
新入団当時、オーストリラリアのキャンプ地へ移動する際、
岡野は、事情がわからず、
短パンにタンクトップ、リュック姿で、
集合場所の空港に駆けつけたそうだ。
ところが、周りのチームメートは、皆、スーツにネクタイ姿。
土田から、「お前、野人みたいだな。」
このことが、皆に伝わり、以降、「野人」となったということだ。


そして、岡野がプロとして、浦和レッズに入団するまで。
そこには、様々なドラマがあったことを聞かせてくれた。

意外にも、
自分が「足が速い」ということに気がついたのは、
大学時代ということだ。
体育の授業で、100Mのタイムトライアルを
陸上部の選手と一緒に走った。
そして、見事に勝ってしまった。
そのときのタイムは、「10秒8」。
陸上部の選手は、「スパイク」を履いて走っていたが、
岡野は、「バッシュ」を履いて走っていた。
この出来事で、岡野は、自分が足の速いことに気がつき、
それまでのテクニック重視のプレースタイルから、
スピード重視へと、自分のプレースタイルを変えた。
それ以降、これまでテクニックを駆使しても、
なかなか抜けなかった相手ディフェンダーが、
いとも簡単に5人抜き出来るようになったということだ。
岡野は、「このとき、サッカーのプレータイルを変えなかったら、
『平凡な選手』で終わっていただろう。」という。
授業で、陸上部員と一緒に走っていなかったら、
今の岡野はなかったのだ。

大学のサッカー部へ所属した経緯。
この経緯も面白い。
大学のサッカー部には、サッカー推薦でもなければ入部出来ない。
当初は、サークルのサッカー部へ入るつもりだったそうだ。
どのサークルへ入ろうかと、掲示板を眺めている時だった。
「ハッ、と気がついて顔を上げたら、
サッカー部員2名募集の掲示があった。」という。
当時、サッカー部員の一般募集など、まず無い。
ところが、その掲示を岡野は、「ハッ、と気がついた。」
そこが、運命なのだろうか。
そして、サッカー部の門を叩くと、
先輩は、「マネージャー」か「洗濯係り」なら、という。
岡野は、迷わず「洗濯係」を選び、入部を認められたそうだ。
その後、サッカー部に新しいコーチが入り、
部の体質も変わって、年功序列から実力主義へ。
岡野も選手として、実力が認められて、
試合にも出させてもらえるようになったということだ。
部員募集の掲示に気がつかなければ、
そして、「洗濯係」を選んでいなかったならば、
今の岡野はなかった。

プロとして、スカウトされた経緯も変わっている。

天皇杯の緒戦、筑波大との一戦が、翌日あるのを忘れ、
朝5時までサッカー部の仲間と飲んでいた。
飲んでいる途中で、ハッと気がつき、
ゲェーゲェー吐きながらも試合会場へ駆けつけた。
岡野は、スタメンで起用されたが、いきなりゴールを決めた。
ハーフタイムで吐き、その後、同点に追いつかれたが、
終盤、自陣ゴール前でボールを持つと、一気に相手ゴールへ。
全員を抜き去り、そのまま、キーパーをかわして、決勝ゴールを決めた。
岡野は、直後、足がつって交代したが、試合は勝利。
その活躍が、当時、相手の筑波大に在籍した藤田俊哉、大岩、服部らを
お目当てに見に来ていたスカウトの目に留まった。
そして、浦和レッズに入団することとなったということだ。
朝まで飲んでいなければ、今の岡野は無かったかもしれない。
翌日の試合は、酒も飲まずに頑張ったが、大敗したそうだ。

人生とは、いろいろところで選択の場面が訪れるものだ。
その場面で、良かれと思って選択した進路へ、人生が進んでゆく。
自分の運命をうまく選択して捕らえた人は、
輝ける道へ進んでいく。
そんなものかもしれない。
選べなかった人は・・・
いや、輝ける道を進む人にも、それぞれの苦悩があり、
皆、それを超えて人生を歩んでいくはずだ。
その選択をどう捕らえるのか。
『人間万事塞翁が馬』
私は、そう思っている。

いかん、いかん、
「野人岡野伝説」では、なくなってしまった。
とにかく、岡野ガンバレ!
レッズを優勝へ導いてくれ!


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