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朝の光(聖書の言葉)

放蕩息子のたとえ (ルカ15:21)

放蕩息子のたとえ


(ルカ15:21)


「息子は言った。

『おとうさん。

私は天に対して罪を犯し,

またあなたの前に罪を犯しました。

もう私は,

あなたの子と呼ばれる資格は

ありません。』」





イエスは,

神が悔い改めた者を喜ばれることを

「放蕩息子のたとえ」

をとおしてなさいました。


神の前に自分の罪を認めることが,

神との和解をすることの

第一歩です。


悔い改めは,

罪の生活から神への転向です。


「悔い改め」は,

神の恵みによってできるのです。



(ルカ15:22-24)

「ところが父親は,

しもべたちに言った。

『急いで一番良い着物を

持って来て,

この子に着せなさい。

それから,

手に指輪をはめさせ,

足にくつをはかせなさい。

そして肥えた子牛を引いて来て

ほふりなさい。

食べて祝おうではないか。

この息子は,

死んでいたのが生き返り,

いなくなっていたのが

見つかったのだから。』

そして彼らは祝宴を始めた。」


この放蕩息子は,私たちです。


そしてこの父親は,

イエス・キリストです。











「いざ帰れや」


(新聖歌187)


「いざ帰れや 急ぎ帰れや

罪咎いかに 重くとも

主如何に汝が荷を 受け入れざらん

わが主の御翼は 空よりも広し」



 


☆彡


放蕩息子のたとえ


(ルカ15:11-32)

(イエスは,)またこう話された。

「ある人に息子がふたりあった。

弟が父に,

『おとうさん。

私に財産の分け前を下さい。』

と言った。

それで父は,

身代をふたりに分けてやった。

それから,幾日もたたぬうちに,

弟は,

何もかもまとめて

遠い国に旅立った。

そして,

そこで放蕩して

湯水のように

財産を使ってしまった。

何もかも使い果たしたあとで,

その国に大ききんが起こり,

彼は食べるにも困り始めた。

それで,

その国のある人のもとに

身を寄せたところ,

その人は彼を畑にやって,

豚の世話をさせた。

彼は豚の食べるいなご豆で

腹を満たしたいほどであったが,

だれひとり

彼に与えようとはしなかった。

しかし,我に返ったとき彼は,

こう言った。

『父のところには,

パンのあり余っている雇い人が

大ぜいいるではないか。

それなのに,私はここで,

飢え死にしそうだ。

立って,

父のところに行って,

こう言おう。

「おとうさん。

私は天に対して罪を犯し,

またあなたの前に罪を犯しました。

もう私は,

あなたの子と呼ばれる

資格はありません。

雇い人のひとりに

してください。」』

こうして彼は立ち上がって,

自分の父のもとに行った。

ところが,

まだ家までは遠かったのに,

父親は彼を見つけ,

かわいそうに思い,

走り寄って彼を抱き,

口づけした。

息子は言った。

『おとうさん。

私は天に対して罪を犯し,

またあなたの前に罪を犯しました。

もう私は,

あなたの子と呼ばれる資格は

ありません。』

ところが父親は,

しもべたちに言った。

『急いで一番良い着物を持って来て,

この子に着せなさい。

それから,

手に指輪をはめさせ,

足にくつをはかせなさい。

そして肥えた子牛を引いて来て

ほふりなさい。

食べて祝おうではないか。

この息子は,

死んでいたのが生き返り,

いなくなっていたのが

見つかったのだから。』

そして彼らは祝宴を始めた。

ところで,

兄息子は畑にいたが,

帰って来て家に近づくと,

音楽や踊りの音が聞こえて来た。

それで,しもべのひとりを呼んで,

これはいったい何事かと尋ねると,

しもべは言った。

『弟さんがお帰りになったのです。

無事な姿をお迎えしたというので,

おとうさんが,

肥えた子牛を

ほふらせなさったのです。』

すると,兄はおこって,

家にはいろうともしなかった。

それで,父が出て来て,

いろいろなだめてみた。

しかし兄は父にこう言った。

『ご覧なさい。

長年の間,

私はおとうさんに仕え,

戒めを破ったことは

一度もありません。

その私には,

友だちと楽しめと言って,

子山羊一匹下さったことが

ありません。

それなのに,

遊女におぼれてあなたの身代を

食いつぶして帰って来た

このあなたの息子のためには,

肥えた子牛を

ほふらせなさったのですか。』

父は彼に言った。

『おまえはいつも

私といっしょにいる。

私のものは,

全部おまえのものだ。

だがおまえの弟は,

死んでいたのが

生き返って来たのだ。

いなくなっていたのが

見つかったのだから,

楽しんで喜ぶのは

当然ではないか。』」







「放蕩息子のたとえ」 


このたとえ話は,

思想的に深く,

文学的にも美しく,

「福音書中の真珠」

と言われています。


この物語の主題は,

差別されている者を受け入れ,

人の罪を赦して,

温かく迎えてくださる,

神の愛です。

ここに登場する「父」は神を,

「弟」つまり「放蕩息子」は

罪人とされている人間

(異邦人,取税人,遊女たち)を,

「兄」はパリサイ派のユダヤ人を

指していると言われています。



2019-07-25

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