ローマ書 2022.11.13
○
福音
(ローマ1:16,17)
「私は福音を恥とは思いません。
福音は,
ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも,
信じるすべての人にとって,
救いを得させる神の力です。
なぜなら,
福音のうちには
神の義が啓示されていて,
その義は,
信仰に始まり
その義は,
信仰に始まり
信仰に進ませるからです。
『義人は信仰によって生きる。』
と書いてあるとおりです。」
『義人は信仰によって生きる。』
と書いてあるとおりです。」
福音とは,
「良い知らせ」のことです。
イエス・キリストが
わたしたちの罪の身代わりとして
十字架につけられ,
わたしたちの罪を
わたしたちの罪を
赦してくださったことです。
聖書の中心は「福音」です。
イエス・キリストの宣教も,
生涯も福音のためでした。
○
(ローマ1:17)
フランシスコ会訳
「人を救うのは神の義であり、
その救いはひとえに信仰を通して
与えられるということが,
福音に現れています。
『正しい人は信仰によって
生きるのであると』
と記されている。」
☆
(ローマ5:1)口語訳
「このように,わたしたちは,
信仰によって義とされたのだから,
わたしたちの
主イエス・キリストにより,
神に対して平和を得ている。」
○
異邦人のさばき
(ローマ2:14)
「律法を持たない異邦人が,
自然のままで,
律法の命じる事を行うなら,
たとい律法を持たなくても,
彼らにとっては
自分自身が律法なのである。」
パウロが,
異邦人による
救いについ述べています。
異邦人は
律法が与えられていないが,
自分自身が律法であり,
良心として
律法が与えられています。
律法をすべて
なすことができないので,
やはり福音が必要です。
パウロは,
最後のさばきのときに
明らかにされると言います。
○
信仰による義
(ローマ3:22)
「ところが今や,
律法とは関係なく,
しかも律法と預言者によって
立証されて,
神の義が示されました。
すなわち,
イエス・キリストを
信じることにより,
信じる者すべてに
与えられる神の義です。」
パウロのローマ人に宛てた
手紙の1節です。
神の義は,
わたしたちの行いによって,
得ることはできません。
神の義は,
イエス・キリストを
信じることによって,
神から与えられます。
わたしたちが,
イエス・キリストを
信じることによって,
神は,あなたは義人
(正しい人)ですと
いってくださいます。
パウロは次のように言っています。
(ガラテヤ2:16)口語訳
「人の義とされるのは
律法の行いによるのではなく,
ただキリスト・イエスを信じる
信仰によることを認めて,
わたしたちもキリスト・イエスを
信じたのである。
それは,
律法の行いによるのではなく,
キリストを信じる信仰によって
義とされるためである。
なぜなら,律法の行いによっては,
だれひとり義とされることが
ないからである。」
(エペソ2:8)口語訳
「あなたがたの救われたのは,
実に,恵みにより,
信仰によるのである。
それは,
あなたがた自身から
出たものではなく,
神の賜物である。」
○
(ローマ3:28) 口語訳
「わたしたちは,こう思う。
人が義とされるのは,
律法の行いによるのではなく,
信仰によるのである。」
(ローマ3:28)
フランシスコ会訳
「人が正しい者とされるのは,
律法に定められた
行いとはかかわりなく,
信仰によるものであると,
わたしたちは考えるからです。」
○
(ローマ3:23,24) 口語訳
「すなわち,
すべての人は罪を犯したため,
神の栄光を
受けられなくなっており,
彼らは,
価なしに,神の恵みにより,
キリスト・イエスによる
あがないによって
義とされるのである。」
キリストの死は
贖(あがな)いの業でした。
贖いとは,
奴隷としてつながれているものを
開放するために,
第三者が身代金を支払うことを
意味しています。
キリストの死は,身代金の支払い,
すなわち贖いでした。
イエス・キリストは,
わたしたちを律法の罰,律法,罪,
サタンそしてすべての悪から
救い出してくださったのです。
☆彡
(ローマ3:23,24)
フランシスコ会訳
「人はみな罪を犯し,
神の栄光を
受けられなくなっていますが,
キリスト・イエスのあがないの
業を通して,
神の恵みにより無償で
正しい者とされるのです。」
○
ローマ3:23では,
すべての全ての人は罪人です。
「すなわち,
すべての人は罪を犯したため,
神の栄光を
受けられなくなっており,」
ローマ3:24では,
イエスを信じる者は
義人となります。
「彼らは,
価なしに,神の恵みにより,
キリスト・イエスによる
あがないによって
義とされるのである。」
○
アブラハム,義認
(ローマ4:3)
「それでアブラハムは神を信じた。
それが彼の義と見なされた。」
神は,
イエス・キリストを信じる者を
義とされます。
「義と見なされる」とは,
法廷的な意味,用語です。
すなわち法律上の見地から,
正しいとされるときに
使われることばです。
義とされた人はその罪が赦され,
罪の罰も消されます。
私たちが,
イエス・キリストを信じたとき,
わたしたちに
わたしたちに
キリストの義が与えられ,
神の愛が回復されます。
○
(ローマ4:3)
フランシスコ会訳
「聖書は何と言っているでしょう。
『アブブラハムは神を信じた。』
そのことは,
彼が正しい者とされるに
ふさわしいとみなされた。」
とあります。
○
恵みが満ち溢れる
(ローマ5:20)
「律法がはいって来たのは,
違反が増し加わるためです。
しかし,
罪の増し加わるところには,
恵みも満ちあふれました。」
「律法がはいって来たのは,
違反が増し加わるためです。」
とは,
モーセに律法が与えられることで,
律法違反が加わります。
「罪の増し加わるところには,
恵みも満ちあふれました」とは,
罪が増し加われば,
それは赦してくださる
神の恵みを豊かにされます。
神の恵みは,
イエス・キリストが
私たちのために
死んだことによります。
○
恵みとは,
神から与えられる
愛の顧みと祝福とあわれみです。
人間は罪人だから,
神の恵みを受けるに値しません。
しかし神は愛のゆえに,
責務としてではなく,
自発的に恵みを無代価で与えます。
恵みは
特にイエス・キリストが受肉し,
十字架によって贖いを
成就したことによって示されます。
○
罪から解放
(ローマ6:6,7)新改訳
「 私たちの古い人が
キリストとともに
十字架につけられたのは,
罪のからだが滅びて,
私たちがもはやこれからは
罪の奴隷で
なくなるためであることを,
私たちは知っています。
死んでしまった者は,
罪から解放されているのです。」
イエスが来られたのは,
罪が赦されるだけでなく,
罪から解放されるためでした。
○
「私たちの古い人が
キリストとともに
十字架につけられた」こと,
「罪のからだが滅びて,
私たちがもはやこれからは
罪の奴隷でなくなるため」
であることを
「私たちは知っています」(6)
「古い人」と「罪のからだ」は,
罪によって支配されている
体のことです。
キリスト者の古い人は
十字架につけられており,
罪は滅ぼされているといいます。
だから,罪に対して奴隷的に
従うことはありません。
「死んでしまった者は,
罪から解放されている」(7)
からです。
ここでの解放は,
罪責からの解放だけではなく,
罪の力からの解放です。
○
なんと惨めな人間なのか
(ローマ7:24,25)
口語訳
「わたしは,なんという
みじめな人間なのだろう。
だれが,この死のからだから,
わたしを救ってくれるだろうか。
わたしたちの主
イエス・キリストによって,
神は感謝すべきかな。
このようにして,
わたし自身は,
心では神の律法に仕えているが,
肉では罪の律法に
仕えているのである。」
パウロもまたわたしたちも
イエス・キリストを信じ,
救われたのですが,
古い生まれたままの性質が
出てくることがあります。
しかし,感謝することに,
このことにも救いはあるのです。
次の章(8章)で宣べています。
○
いのちの御霊の法則
(ローマ8:1,2口語訳)
「こういうわけで,
今やキリスト・イエスにある者は
罪に定められることがない。
なぜなら,
キリスト・イエスにある
いのちの御霊の法則は,
罪と死との法則から
あなたを解放したからである。」
※
生まれながらの罪の性質は,
信じる者は解放されます。
聖霊の働きによるのです。
罪と死の法則,
すなわち
生まれながらの生き方から,
御霊の法則,
すなわち聖霊の働きによって,
解放して下さるのです。
イエス・キリストは,
私たちの罪を赦すだけでなく,
罪から解放して下さいます。
○
御霊がうちに住む
(ローマ8:10,11)
「もしキリストが
あなたがたのうちにおられるなら,
からだは罪のゆえに死んでいても,
霊が,義のゆえに生きています。
もしイエスを死者の中から
よみがえらせた方の御霊が,
あなたがたのうちに
住んでおられるなら,
キリスト・イエスを死者の中から
よみがえらせた方は,
あなたがたのうちに
住んでおられる御霊によって,
あなたがたの死ぬべきからだをも
生かしてくださるのです。」
イエス・キリストを死者の中から
復活させた霊が,
イエス・キリストを信じる者の
うちに宿ります。
私たちは
キリストの十字架と共に死に,
イエス・キリストの復活と共に
生きるのです。
○
イスラエルの特権
(ローマ9:4,5)
「彼らはイスラエル人です。
子とされることも,
栄光も,契約も,
律法を与えられることも,
礼拝も,約束も彼らのものです。
父祖たちも彼らのものです。
またキリストも,
人としては
彼らから出られたのです。
このキリストは万物の上にあり,
とこしえに
ほめたたえられる神です。
アーメン。」
パウロは,
ユダヤ人に与えられている
特権と栄光をあげています。
その中でも特に,
キリストが
人としてはユダヤ民族の一人として
生まれたと言います。
そしてそのキリストが,
「万物の上にあり,
とこしえに
ほめたたえられる神です。
アーメン」と告白します。
(ローマ9:5)
この賛美は,
神であるキリストを拒み続ける
ユダヤ人の不信仰と罪の悲劇に
鮮明に対比させています。
○
人は心に信じて義とされ
(ローマ10:9,10口語訳)
「すなわち,自分の口で,
イエスは主であると告白し,
自分の心で,
神が死人の中から
イエスをよみがえらせたと
信じるなら,
あなたは救われる。
なぜなら,
人は心に信じて義とされ,
口で告白して
救われるからである。」
使徒のパウロが,
ローマの信徒にあてた
手紙の言葉です。
イエス・キリストを信じると
間違いなく救われます。
救いとは,誤った生き方から,
正しい生き方に
変えられることです。
罪から救われ義とされ,
けがれた人生から
聖いものとされます。
救いが自分で納得できる
「救いの確信」を
受けることが出来ます。
この言葉
(ローマ10:9,10)が
私にとっての
救いの確信の言葉です。
聖書の言葉が真実だと信じ,
聖霊が共に働くなら,
確信は,
はっきりしたものになります。
救い,義認,聖化,再臨などの
聖書の言葉をはっきり理解し,
自分の心に入れていくことが
私たちの信仰の助けとなります。
また,必要に応じた聖書の言葉を
おぼえることは
よいことだと思います。
○
イスラエルの救い
(ローマ11:26a)
「こうして,
イスラエルはみな救われる,
ということです。」
はじめ,旧約聖書では,
神はイスラエルを選ばれました。
(申命記 7:7)
「主があなたがたを恋い慕って,
あなたがたを選ばれたのは,
あなたがたが
どの民よりも
数が多かったからではない。
事実,あなたがたは,
すべての国々の民のうちで
最も数が少なかった。」
○
イエスは,
イスラエルの民に救いのために
働きました。
そして,
異邦人(イスラエル以外の民)
である
わたしたちをも
救ってくださいました。
聖書に次のように
書かれている通りです。
「すべての異邦人よ。
主をほめよ。
もろもろの国民よ。
主をたたえよ。」
(詩編117,
ローマ:15:11)
神の選んだ民が,
イエス・キリストを
信じていないことは,
不思議なことです。
しかし,神の計画された時,
イスラエルの民は
イエス・キリストを信じ
救われるといいます。
イエス・キリストの再臨の前に,
イスラエルの民は悔い改め,
イエス・キリストを信じる,
リバイバルが
起きると信じている人がいます。
そのとき,
イスラエルの民の救いである
神の計画の完成を見るのです。
○
新しい生活
(ローマ12:2) 新共同訳
「あなたがたは
この世に倣ってはなりません。
むしろ,
心を新たにして
自分を変えていただき,
何が神の御心であるか,
何が善いことで,神に喜ばれ,
また完全なことであるかを
わきまえるようになりなさい。」
「自分を変えていただく」とは,
神によって
心を変貌していただくことです。
「変貌する」は,
新約聖書では3回出てきます。
マタイ17:2
ローマ12:2
2コリント3:18
○
主イエス・キリストを着る
(ローマ13:14)
「主イエス・キリストを着なさい。
肉の欲のために
心を用いてはいけません。」
へブル語であがなうという言葉は
覆うことを意味しますが,
この言葉はキリストに
覆われて包まれることを
よく言い表していると思います。
それは,
キリストを着ることに
すなわち,
キリストを信じることによって
実現します。
○
互にさばき合うことをやめよう
(ローマ14:13口語訳)
「今後わたしたちは,
互にさばき合うことをやめよう。
むしろ,あなたがたは,
妨げとなる物や,
つまずきとなる物を
兄弟の前に置かないことに,
決めるがよい。」
互いの裁き合うことを
やめよと言います。
イエスの姿です。
○
(ローマ14:15 口語訳)
「もし食物のゆえに
兄弟を苦しめるなら,
あなたは,
もはや愛によって
歩いているのではない。
あなたの食物によって,
兄弟を滅ぼしてはならない。
キリストは彼のためにも,
死なれたのである。」
○
隣り人の徳を高める
(ローマ15:1,2)口語訳
「わたしたち強い者は,
強くない者たちの
弱さをになうべきであって,
自分だけを
喜ばせることをしてはならない。
わたしたちひとりびとりは,
隣り人の徳を高めるために,
その益を図って
彼らを喜ばすべきである。」
わたしたちの目標は,
自分の徳を高めることです。
そして,
つぎに隣人の徳を高めることです。
○
「強める」
(ローマ16:25)
「神は,わたしの福音すなわち
イエス・キリストについての
宣教によって,
あなたがたを
強めることがおできになります。
この福音は,
世々にわたって隠されていた,
秘められた計画を
啓示するものです。」
福音の宣教によって,
私たち自身が強められます。
そして,
神の計画は
明らかにされていきます。
2022-11-13