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朝の光(聖書の言葉)

1. 生ける水 (菜の花を飾りて)

1. 生ける水  (菜の花を飾りて) 

ヨハネ4:1-43


(ガリラヤの旅,サマリヤの女との対話)


「わたしが与える水を飲む者は,

いつまでも,

かわくことがないばかりか,

わたしが与える水は,

その人のうちで泉となり,

永遠の命に至る水が,

わきあがるであろう。」

(ヨハネ4:14)



 
(マタイ4:1-11)

(誘惑を受ける)


イエスさまが荒れ野に行かれ,

40日40夜,断食をした後,

空腹になられた時に,

悪魔から

「もしあなたが神の子であるなら,

これらの石がパンになるように

命じてごらんなさい。」

(マタイ4:3)

と唆(そそのか)されました。


その唆しに,

イエスさまは次のようにお答えになりました。


「『人はパンだけで生きるものではなく,

神の口から出る一つ一つの言(ことば)

によって生きるものである。』

と書いてある」

(マタイ4:4)




(出エジプト17:1-7)

(岩からほとばしる水)


荒れ野を行くイスラエルの民も

渇きで苦しみました。

エジプトにいた時にはナイル川の恩恵を受け,

水には困ったことはなかったはずです。


しかし,エジプトを脱出し,

カナンの地に向かうためには

水のない荒れ野を

通らなければならなかったのです。


40年といわれる荒れ野での生活を

しなければなりませんでした。


水を確保することの困難さを

嫌というほど感じたことでしょう。


この困難に直面して,

イスラエルの民は自分たちを

導いてきてくれたモーセに向かって,

「あなたは

なぜわたしたちをエジプトから導き出して,

わたしたちを,子どもや家畜と一緒に,

かわきによって

死なせようとするのですか」

(出エジプト17:3)

と不平を言い,

モーセを石で打ち殺そうとするのです。


そこで,モーセが神様に訴えると,

神様はモーセに命じ,

岩から水を出させてくださったのです。


モーセへの民の不平は,

モーセに命じて民をエジプトから

救い出そうとされている神様に

対する民の不信仰から出て来ていたのです。


水を得ることが出来ず,

民は不信仰に陥ったのです。




(ヨハネ4:1―43)

(サマリヤの女との対話)


水を得ることが困難で,

水を汲(く)みに行かなければならない所に

住む人々にとっては,

水の大切さは

汲みに行くことを通して知ります。


イエスさまがユダヤから大きな湖のある

ガリラヤに行く途中に

通られたサマリヤにも,

水を汲みに行かなければならない

人たちがいました。


その日の正午ごろ,

イエスさまは旅の疲れを覚えていました。


イエスさまは

このヤコブが掘った井戸のそばに

座って休んでおられたのです。


ヤコブはイスラエル12部族の父です。


それは,

ヤコブの12人の息子たちから

12部族が生じたからです。


そこへ,

サマリヤの女が水を汲みに来たのです。


水を汲むということは命を養うことです。


それは命の水を汲む礼拝に通じます。


イエスさまとサマリヤの女との対話を

理解するためには,

水を汲むことが礼拝に通じることを

心に留めて対話に耳を傾ける

必要があります。


水を汲みに来たサマリヤの女に

イエスさまは,

「水を飲ませて下さい。」

(ヨハネ4:7)

とおっしゃいました。


すると,サマリヤの女は

「あなたはユダヤ人でありながら,

どうしてサマリアの女のわたしに,

飲ませてくれとおっしゃるのですか。」

(ヨハネ4:9)と言うのです。


その理由として,

「ユダヤ人はサマリア人と

交際していなかったからである。」

(ヨハネ4:9)と書いてあります。


列王記下には,

イスラエルを征服したアッシリヤの王が

「バビロン,クタ,アワ,

ハマテおよびセパルワイムから

人々を連れてきて,

これをイスラエルの人々に代りに

サマリヤの町々におらせたので,

その人々はサマリヤを領有して,

その町々に住んだ」

(列王記下17:24)

と書いてあります。


続いて

「バビロンの人々はスコテ・ベノテを造り,

クタの人々はネルガルを造り,

ハマテの人々はアシマを造り,

アワの人々はニブハズとタルタクを造り,

セパルワイムびとはその子を焼いて,

セパルワイムの神アデランメレク

およびアナンメレクにささげた」

(列王記下17:30)

とも書いてあります。


5つの地域の人々がサマリヤにやってきて,

それぞれの神を持ち込んだのです。


それで,ユダヤ人たちは

サマリヤ人と交際しなくなったのです。


ところが,

イエスさまはそのことを

知っておられたにもかかわらず,

サマリヤの女と対話を続けて

次のようにお答えになったのです。


「もしあなたが

神の賜物のことを知り,

また,

『水を飲ませてくれ』と言った者が,

だれであるか知っていたならば,

あなたの方から願い出て,

その人から

生ける水をもらったことであろう。」

(ヨハネ4:10)


これは,

イエスさまがご自分のことを

明らかにしようとなさる発言です。


すなわち,

イエスさまは神様からの賜物である

生ける水をお与えになる方なのです。


女はこのことに,

まだ気づいていませんが,

この方はだれかと考え,

信仰へと導かれているのです。


そこで,

「その生ける水を,

どこから手に入れるのですか。

あなたは,

この井戸を下さった

わたしたちの父ヤコブよりも,

偉いかたなのですか」

(ヨハネ4:12)と問うのです。


「どこから」と問い,

「わたしたちの父ヤコブよりも

偉いかたなのですか。」

と問う,

この女の2つの問いは,

サマリヤ人を代弁しています。

サマリヤ人もまた,

ヤコブを父としています。

まことの神はヤコブの神様でもあるのです。

神ご自身が,

モーセにあの燃える柴の中から,

「わたしは,あなたの先祖の神,

アブラハムの神,イサクの神,

ヤコブの神である。」

(出エジプト記3:6)

と言っておられるからです。


こうして,サマリヤの女は,

サマリヤ人を代弁する者として

イエスさまに導かれていくのです。


そのサマリヤの女に,

イエスさまは

次のようにおっしゃいました。


「わたしが与える水を飲む者は,

いつまでも,かわくことがないばかりか,

わたしが与える水は,

その人のうちで泉となり,

永遠の命に至る水が,

わきあがるであろう。」

(ヨハネ4:14)


ご自分がこの水を与える者であることを

明らかにされるのです。

これを聞いて,

サマリヤの女は霊の渇きを覚え,


「主よ,わたしがかわくことがなく,

また,ここにくみにこなくてもよいように,

その水をわたしに下さい。」

(ヨハネ4:15)

と言ったのです。


断る者から求める者へと

変えられているのです。


その女にイエスさまは,

「あなたの夫を呼びに行って,

ここに連れてきなさい」

(ヨハネ4:16)

と言われるのです。


イエスさまはこの女のことを知り尽くし,

そのことを明らかにしようとされるのです。


ピリポがナタナエルを

イエスさまのもとに連れて来た時,

イエスさまはナタナエルに

「ピリポがあなたを呼ぶ前に,

わたしはあなたが,

いちじくの木の下にいるのを見た。」

(ヨハネ1:48)

とおっしゃっているのです。



イエスさまは,サマリヤの女のことも,

ことごとく知っておられたのです。

そのことを明らかにして,

この人の信仰をより確かにするために

「あなたの夫を呼びに行って,

ここに連れてきなさい。」

(ヨハネ4:16)

とおっしゃっているのです。


この女には,5人の夫がいたのですが,

今連れ添っているのは夫ではないのです。


イエスさまは問うことによって,

この女の罪と,

5つの地域からサマリヤに来た人々によって

もたらされた神々を祭る

サマリヤの不信仰を

明らかにしようとされるのです。


女は

「主よ,わたしはあなたを預言者と見ます。」

(ヨハネ4:19)

と言い,

水を汲むことから,

永遠の命を与える生ける水を求めて,

礼拝について尋ねるのです。


そして,

イエスさまから次の答えをいただきます。


「まことの礼拝をする者たちが,

霊とまこととをもって

父を礼拝する時が来る。

今きている。」

(ヨハネ4:23)


すると,女は

「わたしは,

キリストと呼ばれるメシアが

こられることを知っています。

そのかたがこられたならば,

わたしたちに,

いっさいのことを知らせて下さるでしょう」

(ヨハネ4:25)

と言うのです。


こうして,水を汲みに来た女には,

ほんとうに自分が渇き求めていたものに気づき,

そのことを自分の口で言い表したのです。


そこで,イエスさまは

「あなたと話しているこのわたしが,

それである。」

(ヨハネ4:26)

とおっしゃいました。


このイエスさまを信じた時に,

生ける水が与えられ,

永遠の命に至る水がその人の内で,

わき上がるのです。


この水こそ,

真理の御霊である神様なのです。

御霊なる神はわたしたちの内に住み,

わたしたちのからだを

聖霊の宮としてくださるのです。


「あなたがたのからだは,

あなたがたのうちに住まれる,

神から受けた聖霊の宮であり,

あなたがたは,

もはや自分自身のものではないことを,

知らないのですか。」

(1コリント6:19)


この聖霊の宮から

永遠の命に至る生ける水は

わき出るのです。



(口語訳聖書)

(2005年3月8日)

(松隈 貞雄牧師)



☆彡


(ヨハネ4:1-26)

(イエスとサマリアの女)

さて,
イエスがヨハネよりも多くの弟子をつくり,
洗礼を授けておられるということが,
ファリサイ派の人々の耳に入った。
イエスはそれを知ると,
―洗礼を授けていたのは,
イエス御自身ではなく,
弟子たちである―
ユダヤを去り,
再びガリラヤへ行かれた。
しかし,
サマリアを通らねばならなかった。
それで,
ヤコブがその子ヨセフに与えた
土地の近くにある,
シカルというサマリアの町に来られた。
そこにはヤコブの井戸があった。
イエスは旅に疲れて,
そのまま井戸のそばに座っておられた。
正午ごろのことである。

サマリアの女が水をくみに来た。
イエスは,
「水を飲ませてください」と言われた。
弟子たちは食べ物を買うために
町に行っていた。
すると,サマリアの女は,
「ユダヤ人のあなたが
サマリアの女のわたしに,
どうして水を飲ませてほしいと
頼むのですか」
と言った。
ユダヤ人はサマリア人とは
交際しないからである。
イエスは答えて言われた。
「もしあなたが,
神の賜物を知っており,
また,
『水を飲ませてください』
と言ったのが
だれであるか知っていたならば,
あなたの方からその人に頼み,
その人はあなたに生きた水を
与えたことであろう。」
女は言った。
「主よ,
あなたはくむ物をお持ちでないし,
井戸は深いのです。
どこからその生きた水を
手にお入れになるのですか。
あなたは,
わたしたちの父ヤコブよりも
偉いのですか。
ヤコブがこの井戸をわたしたちに与え,
彼自身も,その子供や家畜も,
この井戸から水を飲んだのです。」
イエスは答えて言われた。
「この水を飲む者はだれでもまた渇く。
しかし,
わたしが与える水を飲む者は
決して渇かない。
わたしが与える水は
その人の内で泉となり,
永遠の命に至る水がわき出る。」
女は言った。
「主よ,渇くことがないように,
また,ここにくみに来なくてもいいように,
その水をください。」

イエスが,
「行って,
あなたの夫をここに呼んで来なさい」
と言われると,
女は答えて,
「わたしには夫はいません」と言った。
イエスは言われた。
「『夫はいません』とは,
まさにそのとおりだ。
あなたには五人の夫がいたが,
今連れ添っているのは夫ではない。
あなたは,
ありのままを言ったわけだ。」
女は言った。
「主よ,
あなたは預言者だとお見受けします。
わたしどもの先祖は
この山で礼拝しましたが,
あなたがたは,
礼拝すべき場所は
エルサレムにあると言っています。」
イエスは言われた。
「婦人よ,わたしを信じなさい。
あなたがたが,
この山でもエルサレムでもない所で,
父を礼拝する時が来る。
あなたがたは
知らないものを礼拝しているが,
わたしたちは
知っているものを礼拝している。
救いはユダヤ人から来るからだ。
しかし,
まことの礼拝をする者たちが,
霊と真理をもって
父を礼拝する時が来る。
今がその時である。
なぜなら,
父はこのように礼拝する者を
求めておられるからだ。
神は霊である。
だから,神を礼拝する者は,
霊と真理をもって
礼拝しなければならない。」
女が言った。
「わたしは,
キリストと呼ばれるメシアが
来られることは知っています。
その方が来られるとき,
わたしたちに一切のことを
知らせてくださいます。」
イエスは言われた。
「それは,
あなたと話をしている
このわたしである。」


2019-06-19

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