神に生きる
(ガラテヤ2:19,20)
「私は,神に生きるために,
律法によって律法に死にました。
私はキリストとともに
十字架につけられました。
もはや私が生きているのではなく,
キリストが私のうちに
生きておられるのです。
いま私が,
この世に生きているのは,
私を愛し私のために
ご自身をお捨てになった
神の御子を信じる
信仰によっているのです。」
この言葉は,
パウロの個人的な体験です。
ここでの,
「私」とはパウロのことです。
イエス・キリストを信じ,
信じて歩むことの根本は,
わたしたちが主と共に死に,
主の復活と共に生きることです。
この業は,
聖霊によってなされます。
イエス・キリスト御自身は,
次のように言います。
(マタイ16:24-26)
「イエスは弟子たちに言われた。
『だれでも
わたしについて来たいと思うなら,
自分を捨て,
自分の十字架を負い,
そしてわたしについて来なさい。
いのちを救おうと思う者は
それを失い,
わたしのためにいのちを失う者は,
それを見いだすのです。
人は,
たとい全世界を手に入れても,
まことのいのちを損じたら,
何の得がありましょう。
そのいのちを買い戻すのには,
人はいったい何を
差し出せばよいでしょう。』」
パウロは,
イエス・キリストの内にある恵みを
語ります。
そのためには,
イエス・キリストと共に死に,
共に生きることが必要です。
(1コリント1:30)
「しかしあなたがたは,
神によって
キリスト・イエスのうちにあるのです。
キリストは,私たちにとって,
神の知恵となり,
また,義と聖めと,
贖いとになられました。」
♪ 「主ひとり」(新聖歌373)
「主ひとり ほめられ給え
世人に見られ給え
主ひとり 慕われ給え
あまねく知られ給え
われは御手の中に 消え去れかし
この身に生くるは キリストなり」
(NOT I,BUT CHRIST)
2014-03-25