ゲッセマネの祈り
(マタイ26:36-39)
「それからイエスは
弟子たちといっしょに
ゲツセマネという所に来て,
彼らに言われた。
『わたしがあそこに行って祈っている間,
ここにすわっていなさい。』」
罪を知らないキリストが
「私たちの代わりに罪とされ」
(2コリント5:21),
ました。
イエス・キリストが
神の怒りとしての死を経験することは,
耐えがたいことであったことでしょう。
○
イエス・キリストは,
ここで次のように祈られます。
(マタイ26:39)
「わが父よ。
どうしても
飲まずには済まされぬ杯でしたら,
どうぞ
みこころのとおりをなさってください。」
ここでの杯は,神の憤りの杯で,
この場合は十字架の死を指します。
キリストは,御父のみこころのままに,
この杯を飲みほそうとされます。
○
(2コリント5:21)
「神は,
罪を知らない方を,
私たちの代わりに罪とされました。
それは,私たちが,
この方にあって,
神の義となるためです。」
イエス,ゲッセマネで祈る
(マタイ26:36-46)
それからイエスは
弟子たちといっしょに
ゲツセマネという所に来て,
彼らに言われた。
「わたしがあそこに行って祈っている間,
ここにすわっていなさい。」
それから,
ペテロとゼベダイの子ふたりとを
いっしょに連れて行かれたが,
イエスは悲しみもだえ始められた。
そのとき,イエスは彼らに言われた。
「わたしは悲しみのあまり死ぬほどです。
ここを離れないで,
わたしといっしょに
目をさましていなさい。」
それから,
イエスは少し進んで行って,
ひれ伏して祈って言われた。
「わが父よ。
できますならば,
この杯をわたしから
過ぎ去らせてください。
しかし,わたしの願うようにではなく,
あなたのみこころのように,
なさってください。」
それから,
イエスは弟子たちのところに戻って来て,
彼らの眠っているのを見つけ,
ペテロに言われた。
「あなたがたは,
そんなに,
一時間でも,
わたしといっしょに
目をさましていることが
できなかったのか。
誘惑に陥らないように,
目をさまして,
祈っていなさい。
心は燃えていても,
肉体は弱いのです。」
イエスは二度目に離れて行き,
祈って言われた。
「わが父よ。
どうしても
飲まずには済まされぬ杯でしたら,
どうぞ
みこころのとおりをなさってください。」
イエスが戻って来て,
ご覧になると,
彼らはまたも眠っていた。
目をあけていることが
できなかったのである。
イエスは,
またも彼らを置いて行かれ,
もう一度同じことをくり返して
三度目の祈りをされた。
それから,
イエスは弟子たちのところに来て
言われた。
「まだ眠って休んでいるのですか。
見なさい。
時が来ました。
人の子は罪人たちの手に渡されるのです。
立ちなさい。
さあ,行くのです。
見なさい。
わたしを裏切る者が近づきました。」