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朝の光(聖書の言葉)

信仰による義 (ローマ4:7,8) 



信仰が義とみなされる



(ローマ4:7,8)


「不法を赦され,

罪をおおわれた人たちは,

幸いである。

主が罪を認めない人は

幸いである。」



イエス・キリストを

信じることによって,

義(良しとすること)とされます。





ローマ書には

次のように書いてあります。


(ローマ3:20-22 口語訳)

「なぜなら,
律法を行うことによっては,
すべての人間は神の前に
義とせられないからである。
律法によっては,
罪の自覚が生じるのみである。 
しかし今や,
神の義が,律法とは別に,
しかも律法と預言者とによって
あかしされて,現された。 
それは,
イエス・キリストを信じる
信仰による神の義であって,
すべて信じる人に
与えられるものである。
そこにはなんらの差別もない。」


イエス・キリストを信じるなら

神が罪人を義と

認めてくださいます。



信仰によって義とされることを

ローマ書では,

ダビデの例を上げます。



(ローマ4:5-8)


「何の働きもない者が,

不敬虔な者を

義と認めてくださる方を

信じるなら,

その信仰が義とみなされるのです。


ダビデもまた,

行ないとは別の道で神によって

義と認められる人の幸いを,

こう言っています。

『不法を赦され,

罪をおおわれた人たちは,

幸いである。

主が罪を認めない人は

幸いである。』」









ダビデは,

信仰によって罪が赦されました。

ダビデは,

バテシバと不倫をします。

これを隠すために,

夫のウリヤを戦場に送り殺します。

詩篇32編はダビデが,

このときの罪を告白し,

罪が赦されたときのことです。


   ☆彡


詩篇32編

「幸いなことよ。

そのそむきを赦され,

罪をおおわれた人は。

幸いなことよ。

主が,咎をお認めにならない人,

心に欺きのないその人は。

私は黙っていたときには,

一日中,うめいて,

私の骨々は疲れ果てました。

それは,御手が昼も夜も

私の上に重くのしかかり,

私の骨髄は,

夏のひでりで

かわききったからです。

私は,自分の罪を,

あなたに知らせ,

私の咎を隠しませんでした。

私は申しました。

『私のそむきの罪を

主に告白しよう。』

すると,

あなたは

私の罪のとがめを赦されました。

それゆえ,

聖徒は,みな,あなたに祈ります。

あなたにお会いできる間に。

まことに,大水の濁流も,

彼の所に届きません。

あなたは私の隠れ場。

あなたは苦しみから私を守り,

救いの歓声で,

私を取り囲まれます。

わたしは,

あなたがたに悟りを与え,

行くべき道を教えよう。

わたしは

あなたがたに目を留めて,

助言を与えよう。

あなたがたは,

悟りのない馬や騾馬のようで

あってはならない。

それらは,くつわや手綱の

馬具で押えなければ,

あなたに近づかない。

悪者には心の痛みが多い。

しかし,

主に信頼する者には,

恵みが,その人を取り囲む。

正しい者たち。

主にあって,喜び,楽しめ。

すべて心の直ぐな人たちよ。

喜びの声をあげよ。」

 



2015-08-10

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