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朝の光(聖書の言葉)

2. 証し (菜の花を飾りて)

2. 証し (菜の花を飾りて)

ヨハネ9:13-25

(生まれつきの盲人をいやす)


「本人が罪を犯したのでもなく,

また,その両親が犯したのでもない。

ただ神のみわざが,

彼の上に現れるためである。」

(ヨハネ9:3)




(ヨハネ9:1-41)

(生まれつきの盲人をいやす)


今日,取り上げた福音書の箇所では,

生まれつき目が見えなかった人のことが

取り上げられています。


その人の口を通して証しがなされ,

聖書の教えは偏見に対して,

どう教えているかを知ることが出来ます。


生まれつき目の見えなかった人は,

イエスさまによって,

見えるようにしていただきます。


このことを知ったユダヤ人たちは,

この奇跡が安息日になされましたので,

イエスさまを律法を破った

罪ある人間と言うのです。


そこで見えるようになった人は,

その人たちに

「あのかたが罪人であるかどうか,

わたしは知りません。

ただ一つ知っています。

わたしは盲人であったが,

今は見えるということです。」

(ヨハネ9:25)

と,証言します。


この出来事の発端は,

道を通って行かれる

イエスさまと弟子たちが,

生まれつき目の見えない人を見かけ,

弟子たちがイエスさまに

「先生,この人が生まれつき盲人なのは,

だれが罪を犯したためですか。

本人ですか,それともその両親ですか。」

(ヨハネ9:1)

と尋ねたことです。


まさに,

当時の偏見を代表する弟子たちの質問です。


この問いに対して,

イエスさまは次のようにお答えになります。


「本人が罪を犯したのでもなく,

また,その両親が犯したのでもない。

ただ神のみわざが,

彼の上に現れるためである。」

(ヨハネ9:3)


今日の福音書で証言している人は

イエスさまから

「シロアムの池に行って洗いなさい」

(ヨハネ9:7)

と言われると,

その言葉に従い,行って洗い,

目が見えるようになったのです。


わたしたちもイエスさまに従うとき,

何が起こったかを証言しましょう。

イエスさまは,

次のように言っておられます。


「わたしは世の光である。

わたしに従って来る者は,

やみのうちを歩くことがなく,

命の光をもつであろう。」

(ヨハネ8:12)


このことを,

目が見えるようになった人も

証言しているのです。


この命の光を持つということを,

エフェソの信徒への手紙では

つぎのように言っています。


「あなたがたは,以前はやみであったが,

今は主にあって,光となっている。

光の子らしく歩きなさい。」

(エフェソ5:8)


今はわたしたちも,

主にあって,

すなわち,主を信じて,

光となっているのです。


このことを証言する者で

ありたいと思います。



(口語訳聖書)

(2005年4月12日)

(松隈牧師)


☆彡


(口語訳聖書)


ヨハネ9:13-25

(生まれつきの盲人をいやす)

人々は,前に盲人であった人を
ファリサイ派の人々のところへ連れて行った。
イエスが土をこねてその目を開けられたのは,
安息日のことであった。
そこで,ファリサイ派の人々も,
どうして見えるようになったのかと尋ねた。
彼は言った。
「あの方が,
わたしの目にこねた土を塗りました。
そして,わたしが洗うと,
見えるようになったのです。」
ファリサイ派の人々の中には,
「その人は,安息日を守らないから,
神のもとから来た者ではない」
と言う者もいれば,
「どうして罪のある人間が,
こんなしるしを行うことができるだろうか」
と言う者もいた。
こうして,彼らの間で意見が分かれた。
そこで,
人々は盲人であった人に再び言った。
「目を開けてくれたということだが,
いったい,お前はあの人をどう思うのか。」
彼は「あの方は預言者です」と言った。

それでも,ユダヤ人たちはこの人について,
盲人であったのに目が見えるように
なったということを信じなかった。
ついに,
目が見えるようになった人の
両親を呼び出して,尋ねた。
「この者はあなたたちの息子で,
生まれつき目が見えなかったと言うのか。
それが,どうして今は目が見えるのか。」
両親は答えて言った。
「これがわたしどもの息子で,
生まれつき目が見えなかったことは
知っています。
しかし,どうして今,
目が見えるようになったかは,
分かりません。
だれが目を開けてくれたのかも,
わたしどもは分かりません。
本人にお聞きください。
もう大人ですから,
自分のことは自分で話すでしょう。」
両親がこう言ったのは,
ユダヤ人たちを恐れていたからである。
ユダヤ人たちは既に,
イエスをメシアであると
公に言い表す者がいれば,
会堂から追放すると決めていたのである。
両親が,
「もう大人ですから,本人にお聞きください」
と言ったのは,そのためである。

さて,ユダヤ人たちは,
盲人であった人をもう一度呼び出して言った。
「神の前で正直に答えなさい。
わたしたちは,
あの者が罪ある人間だと知っているのだ。」
彼は答えた。
「あの方が罪人かどうか,
わたしには分かりません。
ただ一つ知っているのは,
目の見えなかったわたしが,
今は見えるということです。」
 


2019-06-19

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