ヨハネの福音書 2022.11.11
○
イエスの名を受け入れる
(ヨハネ1:12)口語訳
「彼を受けいれた者,
すなわち,その名を信じた人々には,
彼は神の子となる力を
与えたのである。」
イエスの名を信じる人は,
神の子となります。
神の言が肉体を取ったお方が,
イエス・キリストです。
○
カナでの婚礼
(ヨハネ2:11)
「イエスはこのことを
最初のしるしとして
ガリラヤのカナで行ない,
ご自分の栄光を現わされた。
それで,弟子たちはイエスを信じた。」
イエスは水をぶどう酒に変える
奇跡をしました。
「しるし」は,
ギリシャ語では「セメイオン」で
奇跡の意味で使われています。
イエスが神の子であることを
示しています。
○
永遠の命
(ヨハネ3:16)
「神は,
その独り子
(イエス・キリスト)を
お与えになったほどに,
世を愛された。
独り子を信じる者が
一人も滅びないで,
永遠の命を得るためである。」
ニコデモに話された言葉です。
イエスはニコデモにまず,
次のように話されました。
(ヨハネ3:3)
「イエスは答えて言われた。
『はっきり言っておく。
人は,新たに生まれなければ,
神の国を見ることはできない。』」
○
永遠の命に至る水
(ヨハネ4:13,14)
「イエスは女に答えて言われた,
『この水を飲む者はだれでも,
またかわくであろう。
しかし,
わたしが与える水を飲む者は,
いつまでも,
かわくことがないばかりか,
わたしが与える水は,
その人のうちで泉となり,
永遠の命に至る水が,
わきあがるであろう。』」
「水」は,聖霊をあらわしています。
イエスは信じる者に聖霊を与えます。
○
ベトサダの池でのいやし
(ヨハネ5:8,9a)
「イエスは彼に言われた。
イエスは彼に言われた。
『起きて,
床を取り上げて歩きなさい。』
すると,その人はすぐに直って,
床を取り上げて歩き出した。」
イエスはベトサダの池にいた
病気の男に声をかけます。
この病人は,
イエスのことばを受け入れます。
すると,病はいやされました。
こののち,
イエスは次のように言います。
(ヨハネ5:24口語訳)
「よくよくあなたがたに言っておく。
わたしの言葉を聞いて,
わたしをつかわされたかたを
信じる者は,
永遠の命を受け,
またさばかれることがなく,
死から命に移っているのである。」
○
命のパン
(ヨハネ6:35 口語訳)
「イエスは彼らに言われた,
『わたしが命のパンである。
わたしに来る者は
決して飢えることがなく,
わたしを信じる者は
決してかわくことがない。」
パンはわたしたちの体を
養うのに必要です。
イエスは,
わたしたちの魂(心と霊)を
養うのに必要です。
困難なとき,イエスを見つめると,
素晴らしい神のみわざを
見ることができます。
☆
(ヨハネ6:35 口語訳)
「わたしが命のパンである。」
イエス・キリストのみが
私たちの深い霊と心の渇きを満たして,
養ってくださるのです。
○
生きた水の流れ
(ヨハネ7:37,38) 口語訳
「 祭の終りの大事な日に,
イエスは立って,叫んで言われた,
『だれでもかわく者は,
わたしのところにきて飲むがよい。
わたしを信じる者は,
聖書に書いてあるとおり,
その腹から生ける水が川となって
流れ出るであろう』」。
祭りの7日間,毎日,
祭司たちがシロアムアムの池で水を汲み,
神殿に水を持ち帰りました。
イエスは,このとき御自身が
「生きる水」の源であるといっています。
○
姦淫の女
(ヨハネ8:11)
「イエスは言われた。
『わたしもあなたを罪に定めない。
行きなさい。
これからは,
もう罪を犯してはならない。』」
イエス・キリストは
姦淫の女の罪を赦します。
このあと,次のように言います。
(ヨハネ8:12)
「イエスは再び言われた。
『わたしは世の光である。
わたしに従う者は
暗闇の中を歩かず,
命の光を持つ。』」
○
生まれつきの盲人をいやす
(ヨハネ9:1)
「 またイエスは道の途中で,
生まれつきの盲人を見られた。」
(ヨハネ9:6,7)
「イエスは,こう言ってから,
地面につばきをして,
そのつばきで泥を作られた。
そして
その泥を盲人の目に塗って言われた。
『行って,シロアム
(訳して言えば,遣わされた者)
の池で洗いなさい。』
そこで,彼は行って,洗った。
すると,見えるようになって,
帰って行った。」
イエスは盲人に
「行って,シロアムの池で洗いなさい。」
と言います。
盲人は,イエスのこの言葉を受け入れ,
シロアムの池に行き,目を洗います。
すると,この盲人はいやされます。
イエスのことばを受け入れ,
従う者はいやされ,
魂は救われます。
○
イエスは良い羊飼い
(ヨハネ10:11)
「わたしは,
良い牧者です。
良い牧者は
羊のためにいのちを捨てます。」
イエス・キリストは,ご自身が
「羊の門」(10:7-10)として,
羊を豊かさに導き,良い羊飼いとして,
自分の命を捧げてくださいます。
羊であるわたしたちは
「羊の門」に入ることによって,
牧草を見つけることができます。
○
わたしはよみがえりである
(ヨハネ11:25)
「イエスは彼女に言われた,
『わたしはよみがえりであり,
命である。
わたしを信じる者は,
たとい死んでも生きる。』」
イエス・キリストを信じる者は
永遠のいのちを受けます。
そして,終わりの日によみがえります。
○
イエス,エルサレムに入る
(ヨハネ12:14-16)
「イエスは,ろばの子を見つけて,
その上に乗られた。
それは
『シオンの娘よ,恐れるな。
見よ,あなたの王が
ろばの子に乗っておいでになる』
と書いてあるとおりであった。
弟子たちは
初めにはこのことを悟らなかったが,
イエスが栄光を受けられた時に,
このことが
イエスについて書かれてあり,
またそのとおりに,
人々が
イエスに対してしたのだということを,
思い起した。」
イエスがエルサレムに入ると,
歓迎を受けます。
旧約聖書の預言のとおりです。
(ゼカリヤ9:9)
「シオンの娘よ,
大いに喜べ,
エルサレムの娘よ,
呼ばわれ。
見よ,
あなたの王はあなたの所に来る。
彼は義なる者であって勝利を得,
柔和であって,
ろばに乗る。
すなわち,
ろばの子である子馬に乗る。」
○
弟子たちの足を洗う
(ヨハネ13:14,15)
「主であり師であるこのわたしが,
あなたがたの足を洗ったのですから,
あなたがたもまた
互いに足を洗い合うべきです。
わたしがあなたがたにしたとおりに,
あなたがたもするように,
わたしは
あなたがたに模範を示したのです。」
イエスは,弟子の足を洗います。
弟子への模範だと言います。
そして,イエスは次のように言います。
(ヨハネ13:14,15)
「わたしは,
新しいいましめをあなたがたに与える,
互に愛し合いなさい。
わたしがあなたがたを愛したように,
あなたがたも互に愛し合いなさい。」
○
場所を用意しに行く
(ヨハネ14:1-3)
「あなたがたは,
心を騒がせないがよい。
神を信じ,
またわたしを信じなさい。
わたしの父の家には,
すまいがたくさんある。
もしなかったならば,
わたしは
そう言っておいたであろう。
あなたがたのために,
場所を用意しに行くのだから。
そして,行って,
場所の用意ができたならば,
またきて,
あなたがたを
わたしのところに迎えよう。
わたしのおる所に
あなたがたも
おらせるためである。」
天国に
わたしたちは,招かれています。
○
わたしはぶどうの木
(ヨハネ15:5)口語訳
「わたしはぶどうの木,
あなたがたはその枝である。
もし人がわたしにつながっており,
またわたしが
その人とつながっておれば,
その人は実を豊かに結ぶようになる。
わたしから離れては,
あなたがたは
何一つできないからである。」
イエスが幹で,わたしたちは枝です。
○
助け主がくる
(ヨハネ16:7)口語訳
「わたしはほんとうのことを
あなたがたに言うが,
わたしが去って行くことは,
あなたがたの益になるのだ。
わたしが去って行かなければ,
あなたがたのところに
助け主はこないであろう。
もし行けば,
それをあなたがたに
つかわそう。」
助け主とは聖霊です。
今,聖霊は,
わたしたちのところに来ています。
○
イエスのうちにいる
(ヨハネ17:21)
「それは,父よ,
あなたがわたしにおられ,
わたしがあなたにいるように,
彼らがみな一つとなるためです。
また,彼らもわたしたちに
おるようになるためです。
そのことによって,
あなたがわたしを遣わされたことを,
世が信じるためなのです。」
わたしたちがイエスの内になるなら,
わたしたちは,一つとなります。
○
ピラトからの尋問
王であるキリスト
(ヨハネ18:33)
「ピラトはまた官邸にはいり,
イエスを呼び出して言った,
『あなたは,
ユダヤ人の王であるか』」。
ピラトがイエスに尋ねました。
イエスは王ですが,
スラエルの政治を支配する
力の王ではありませんでした。
そこで,
イエス・キリストは
つぎのように答えます。
(ヨハネ18:36)
「イエスは答えられた,
『わたしの国は
この世のものではない。
もしわたしの国が
この世のものであれば,
わたしに従っている者たちは,
わたしをユダヤ人に
渡さないように戦ったであろう。
しかし事実,
わたしの国は
この世のものではない』」。
ピラトが考えている,
この世を支配する王ではありません。
イエス・キリストは,
神の国の王なのです。
○
「完了した」
(ヨハネ19:30)
「イエスは,
酸いぶどう酒を受けられると,
『完了した』と言われた。
そして,頭をたれて,
霊をお渡しになった。」
イエスが釘づけされた十字架によって,
わたしたちの罪がゆるされます。
イエスの死は,
わたしたちの罪の身代わりでした。
「イエス」という名前は,
「救い」という意味です。
イエスは十字架につけられた後,
「完了した」と言われました。
わたしたちの救いが
全部完了したという意味です。
○
イエス・キリスト復活する
(ヨハネ20:19)
「その日,すなわち,
一週の初めの日の夕方,
弟子たちはユダヤ人をおそれて,
自分たちのおる所の
戸をみなしめていると,
イエスがはいってきて,
彼らの中に立ち,
『安かれ』と言われた。」
イエス・キリストは復活し,
弟子たちに現れます。
「安かれ」は,当時のあいさつです。
平安があるようにという意味です。
○
ヨハネの福音書の目的
(ヨハネ20:20,21)
「イエスは,
この書に書かれていない
しるしを,ほかにも多く,
弟子たちの前で行われた。
しかし,
これらのことを書いたのは,
あなたがたが
イエスは神の子キリストであると
信じるためであり,
また,そう信じて,
イエスの名によって
命を得るためである。」
ヨハネの福音書の
書かれ目的は,
イエスを信じて,
永遠の命を受けることです。
2022-11-11