爺ちゃんの戯言(たわごと)

時の速さに置いてきぼり!

ひとり娘

2020年06月21日 | 日記
娘から花の贈り物が届きました。

今日が【父の日】などと全く頭にもありませんでした。

娘はどうしようもない男のところに私たちの反対を押し切って家を飛び出して行ってから五年もの歳月が流れています。

今年で40歳になる娘・・・・・私は73歳になります。

そのうち捨てられて帰ってくる・・・・・みじめな思いで帰ってくる・・・・・私には心を打ち付ける痛さです。

家内と娘はたびたび交信をしているようです。女同士はそれが出来るのでしょう。

私は電話すら拒否してきましたから・・・・・。

今日届いたこの花を見ていると涙がこぼれました。

涙が意味するものは自分でも分かりません。






アジサイ

2020年05月30日 | 日記
七輪のアジサイが私の部屋の窓辺を輝かせている。

ポールモーリアの透き通る旋律がスピーカーから流れ出て

私はひとときの幸せを感じて長椅子に身体をゆだねる。

伸ばした足のつま先まで命の有難さを感じている。

大病を三回して、その後の命を感謝して生きているのに時として

わがまま横柄な顔が飛び出し女房殿に迷惑をかけているようだ。


一昨日買った鉢植えのアジサイがそれを戒(いまし)めているかの様に私に話しかける。  反省!反省!

この世の時の経過のあまりの速さに置いてきぼりされないよう、せめて一瞬でも肩を並べられるよう

老体になった己にムチを入れる努力はしないといけない




我が家のトイレの張り紙

2020年04月24日 | 日記
我が家のトイレには十何年前から一枚の張り紙がある。
カミさんが張ったものなのだが、このご時世改めて読んでみると結構笑えるのである。



ボケずに長生きしなはれや!

1 歳を取ったら出しゃばらず
  憎まれぐちに泣き言に 人の陰ぐち愚痴言わず
    他人の事はほめなはれ 聞かれりゃ教えてあげてでも
      知ってる事も知らんふり いつでもアホでいるこっちゃ

2 勝ったらあかん負けなはれ
  いずれお世話になる身なら 若いもんには花もたせ
    一歩下がってゆずるのが 円満に行くコツですわ
     いつでも感謝忘れずに、どんな時でも「へえ おおきに」

3 お金の欲を捨てなはれ
  なんぼゼニカネあってでも 死んだら持っていけまへん
   「あの人は えぇ人やった」 そないに人から言われるよう
    生きてるうちにバラまいて 山ほど徳を積みなはれ

4 と・・言うのは表向き
   ほんまは銭(ぜに)を離さずに 死ぬまでしっかり持ってなはれ
    人にはケチと言われても、お金があるから大事にも
     みんなベンチャラ言うてくれる 内緒やけどホンマだっせ


5 昔の事は みな忘れ自慢話はしなはんな
  わしらの時代はもう過ぎた なんぼ頑張り力んでも体がいうことききまへん
   あんたは偉い わしゃアカン そんな気持ちでおりなはれ

6 わが子に孫に世間さま
  どなたからも慕われる ええ年寄りになりなはれ
   ボケたらあかん そのために 頭の洗濯生きがいに
    なにかひとつの趣味持って せいぜい長生きしなはれや!


今、コロナコロナで恐ろしい環境の中、トイレの中にあった一枚の紙が頬をゆるめてくれました。

十年ひと昔

2019年11月22日 | 日記
【十年ひと昔】という言葉
区切りを付けたこの十年の意味を考えました。

私はその意味では七昔(ななむかし)を生きた事になるが人間、どの【ひと昔】が
大きな変化のある十年になるのでしょうか?

容姿と言う見た目で大きく変わる十年のNO1は何と言っても おぎゃーと
この世に生を受けてから10歳になるまでの【ひと昔】でしょう。
この【ひと昔】に勝る十年はない。

続くNO2は間違いなく、その10歳から二十歳(はたち)までの【ひと昔】でしょう。
この【二昔(ふたむかし)】は人生の中で最大の変態期でしょう。

二十歳から【ひと昔】を重ねて行き30.40,50となっても大した見た目の変化はない。
七十を過ぎて八十に向かう十年はかなり重い【ひと昔】になるのではないでしょうか?
極端に姿かたちが何かに吸い込まれるように変化していく。
言うなれば老いの極みでしょうか。  これがNO3の【ひと昔】!

まさしく私はその十年を今、歩き始めた。

又、【ひと昔】の中に押し寄せる人生の出来事はそれぞれが担う重さによって十年の
順位は人それぞれでしょう。

それにより出来た心の襞(ひだ)が人を強くしていくと信じたい。

人に優しくなれると信じたい。

病魔にも素直に相対していけると信じたい。

【十年ひと昔】と何気なく言っていた言葉に今、 私は改めて立ち向かっている。



カリタス学園のイチョウの木

2019年11月21日 | 日記
今年も残すところ、ひと月と僅かになりました。
私の家のすぐ近くにある私立【カリタス学園】・・・・・。
この初夏に起こった惨劇を忘れることは出来ません。


何の罪もない小学校6年の女子児童と同学年児童の保護者(父親)が学園生きのバス停の前で
狂気の刃の犠牲になりその他17人の児童が無差別に切り付けられ負傷した事件を・・・・・。
あの日のけたたましいサイレンの音や空を飛び交うマスコミ陣のヘリコプターの騒音が
耳から離れませんでした。


後、わずかで今年も暮れます。
いつも買い物で通るこの学園のイチョウ並木が黄色く色づいてきました。
毎年この季節、綺麗なお化粧で人々を和やかにしてくれる木々たちの前に
亡くなった女の子はもういません。栗林華子ちゃん。

















この木々たちも何故か寂しそうな色づきに感じられてなりません。 合掌