6月30日

2010-06-30 07:18:53 | Weblog
「日の丸」が顔にまつはり真赤な夏    中村草田男

戦争に「日の丸」はつきものである。出征兵士を見送るときに振り、万歳を叫ぶときに掲げる。草田男も学生たちを戦場に送っている。手に持つ日の丸の旗が風で顔にまつわった。日の丸の旗は、自分の顔に触れるものになり、直接かかわるものとなった。「真赤な夏」は、忌まわしく、赤で象徴される、灼熱の戦争の夏と考えてよいだろう。

6月27日

2010-06-27 08:16:25 | Weblog
郭公や何処までゆかば人に逢はむ     臼田亜浪

 大正十三年、亜浪四十五歳のときの句で、大正三年夏の体験を詠んだものとされる。句集「亜浪句鈔」に収録。山道の旅であろう。山深く入ると、郭公の声が山の空気を切るように、鋭く響いてくる。その声の切れ目の刹那に、旅の心の深さが感じられる。ひとすじに「まこと」を求めた亜浪の人生が重ねて思われる。亜浪の故郷小諸の鹿島神社境内にこの句碑がある。

6月23日

2010-06-23 16:16:34 | Weblog
河骨の花に集る目高かな     河東碧梧桐

句集『新俳句』所収。明治28年の作。河骨は、スイレン科の多年草の水草で、浅い沼などに生え、夏にしっかりとした鮮やかな黄色の小型の花を上向きに開く。葉はサトイモの葉に似ているが、すっくと葉柄を差し伸べたような姿をしている。雨の降るなかでも、花の黄色は鮮やかでかわいらしく目に付く。河骨の花に目をやり、その下の水に目を凝らせば、目高が集まって生き生きと泳いでいるのがわかる。人の目を通すことによって、河骨の花と目高との関係が必然の関係となって、夏の涼しげな沼沢の景色となった。

6月22日

2010-06-22 16:15:31 | Weblog
美しき緑走れり夏料理          星野立子
夏料理は、なんといっても、目に涼やかであるのが一番である。ガラス器に入れたり、薄い磁器の盛ったりして、器にも夏らしい趣向のものにするが、料理自体にもみどりの美しいオクラやきゅうりなどを使ったりする。また、青楓などの小さな一枝を飾りに添えたりして、涼しさを演出する。「緑走れり」の「走れり」は、目に映る緑の印象だが、一刷毛、緑を刷いたような手際のあざやかさがあり、涼感にあふれている。

6月21日

2010-06-21 16:14:28 | Weblog
てんとう虫の背が割れ空へ一直線      川本臥風
てんとう虫が飛び立つところを捉えているが、そこに静かな観照がある。観照というのは、自分の体や心、周囲に起こってくる物事、善悪や好悪の判断を持ち込まずにあるがままに観るということなのだが、この句には、この姿勢がある。てんとう虫の背が割れて空へそが本来の自分を観ることになっているのである。空(くう)とか無の境地をもって作られた俳句と言えよう。てんとう虫が飛び立つ空が、夏であっても、いかにも涼しそうである。

6月20日

2010-06-20 16:13:36 | Weblog
向日葵をゴッホはしづかな色に描きし    川本臥風

 向日葵は、いまでこそ小ぶりな西洋向日葵をよく目にするようになったが、臥風先生のこの句が作られた時期は、ロシア向日葵の、丈が人の背ほどに伸び、種をずっしりと幾百も実らせ、健康的で、明るくたくましい花が大方の日本人にとっての向日葵であった。ゴッホの向日葵は、日本人のだれもが知るほど有名であるが、ゴッホは、日本人が最も好む画家のひとりでもある。ゴッホ自身もジャポニズムの影響を受けて浮世絵の模写をした作品を残したり、自然を愛する日本人への大変な賛歌を書き留めている。「しづかな」色に描かれた向日葵は、見るものを画の中へ引き込み、ゴッホの内面へと誘う色である。「しづかな色」に透明感と深さが覗える。

6月7日

2010-06-07 16:08:13 | Weblog
走り出て闇やはらかや蛍狩        中村汀女

蛍がいるからと、走り出てみると、蛍の火が闇にともっている。蛍がいるから、その闇の、なんとやわらかなこと。抒情に満ちた句である。「走り出て」は、主婦らしい感覚の言葉で、それが汀女の特徴ともなっているように思える。汀女のほかの句「外にも出よ触るるばかりに春の月」にも、「外にも出よ」とあり、この句と似た発想がある。

6月6日

2010-06-06 16:06:55 | Weblog
こだま
谺して山ほととぎすほしいまま     杉田久女

ほととぎすは、夜中でも明け方早くにも、また真昼間にも、「テッペンカケタカ」と聞きなしているその独特の鋭い鳴き声を聞くことができる。盛んに鳴く声は、山に谺して、一層、夏のときを「ほしいまま」にして印象を強めている。「谺して」も、「山ほととぎす」の「山」も、緑濃い季節のさわやかな奥深さを表して、そんな中にほしいままに鳴くほととぎすに、久女、自身を重ねるのも、無理なことではないだろう。名句である。

6月5日

2010-06-05 16:05:12 | Weblog
蛍の国よりありし夜の電話       星野立子

蛍の国から電話があったのだ。その電話で、電話に出た自分も蛍の国にいるような豊かな気持ちになっている。電話の会話を思ってみるのも楽しい。「そちらはいかが。」「今夜は、蛍がすごくきれいなのよ。庭の草にもいるけれど、お風呂の窓にも飛んできたりするの。子どもたちは、捕まえて蚊帳に放しているわ。」などと。