1月31日

2009-01-31 18:52:12 | Weblog
しんしんと寒さがたのし歩みゆく       星野立子

しんしんと迫る寒さの中を、初めは寒さを厭いながらも歩いていると、そのうちその寒さにも慣れて、その寒さこそがたのしくなる。寒さをたのしさに変えるおおらかな句。

1月30日

2009-01-30 18:50:18 | Weblog
身にまとふ黒きショールも古りにけり     杉田久女

防寒にショールをまとう。ショールは、防寒の用だけでなく、気に入ったお洒落なものをまとう楽しみもある。久女がまとうのは黒いショール。買ったときは艶やかに身を包んでくれた黒いショールも、年々使って古びてしまった。ショールが古くなることは、つまり自身から、若さや華やかさが失せることでもある。田舎教師の妻として、境遇を思うさみしさがある。

1月29日

2009-01-29 18:49:41 | Weblog
病む六人一寒燈を消すとき来      石田波郷

波郷は結核で長い療養生活を送ったが、このときは六人が一部屋であった。長期の療養では、同じ病室のものは長い間、起居をともにすることになる。同じ病であることもあって、互いに長所短所をよく知るようにもなる。病院では、当然ながら、消灯時間が決められているので、その時間がくると、分かちあって本を読んだり、話をしたりしていた灯を消すのであるが、「消すとき来」は、そういった時間も終わりだというのだ。それからは、個々の思いに寒夜を過ごすことになる。

1月28日

2009-01-28 18:48:56 | Weblog
餅のかびけづりをり大切な時間     細見綾子

七草も過ぎると、餅にかびが生えてくる。青かびがほとんどであって、食して差し支えないものであるから、このかびを丹念にけずって食べれるようにする。餅かびが生えるころは、正月のものも一通り片付いて、主婦も自分の時間を得ることができる。餅かびをけずる時間を得たことこそが、「大切な時間」なのである。

1月27日

2009-01-27 18:48:06 | Weblog
寒暁といふ刻過ぎて海青し       谷野予志

寒暁の暗い刻を過ぎると、海は、研ぎ澄まされたように青い。寒暁の厳しさが、海の色を研ぎ澄ましたのである。むしろ、人間の目を研ぎすましたのである。「寒暁の刻」という現象時間を、「青」という色に対比させ際立たせた。安易な(意思のない)配合や取り合わせではない、真実を浮かびあがらす対比がある。

1月26日

2009-01-26 18:46:47 | Weblog
寒椿つひに一日のふところ手      石田波郷

寒椿は、春の花である椿としては早咲きの椿のことである。寒中や冬の間に咲く。寒中の花の少ないときには、ほっと心があたたまるような花は喜ばれる。「つひに一日」は、やるべきこともあったのだろうかが、あまり事をせず、とうとう一日をふところ手をして過ごしてしまったというのである。寒椿になぐさめられた一日であったろう。

1月25日

2009-01-25 18:46:04 | Weblog
厳寒や一と日の手順あやまたず      中村汀女

厳寒と言えども、主婦にとってしなければならない家事は、増えることはあっても減ることはない。掃除、洗濯、食後の片付け、買い物、食事の支度、アイロンかけなど。寒いからと言って、食器洗いを後にしたりして手順を狂わすと、日々の日常はつまずく。几帳面な主婦の生活を詠んで、その主婦たることへの自負がある。

1月24日

2009-01-24 18:44:22 | Weblog
急行の速度に入れば枯れふかし     西垣 脩

西垣脩は大阪の船場に生まれ、旧制松山高校時代は「星丘」に参加し、川本臥風に俳句の指導を受けている。俳人としてだけでなく、現代詩人としての活躍も目覚しかったが、五十九歳の若さで急逝した。川本臥風の大学での最後の教え子となった私は、そんないきさつもあって、氏の不在をしみじみ淋しく思う。もう前のことになるが、この句に出会った私は、郷里を離れ松山に暮らす私の心情そのままの句という思いがし、ひたすら驚いたのを思い出す。清冽な句風で知られる氏のあたたかなさびしさが胸を満たす。市街地の駅を出た急行が本来のスピードになるころは、車窓の景色もますます枯れを深めている。内に向かう精神は深くあたたかい。目に映るのは、茎折れ、ところどころに空を映す蓮田、風にさらされた田、すすきや千千の草草の枯れ、寒さを纏う山々。それらは細やかにことさらに鮮明である。こうしたすばらしい日本人の心を世界の人々に知ってほしいと願い「水煙」のホームページに氏の句を載せている。

1月23日

2009-01-23 18:43:27 | Weblog
土堤(どて)を外(そ)れ枯野の犬となりゆけり      山口誓子

 野良犬であろうが、土手に沿って歩いている。行くあてがあろうはずもなく、土手に沿って歩いていたが、その土手を外れて枯野のなかへと入っていった。草も枯れ果てた蕭条とした枯野の犬となって、犬はますますさびしい犬となり、やがて枯野の魂と化すような気配である。

1月22日

2009-01-22 18:58:43 | Weblog
雪残る頂き一つ国境           正岡子規

 国境は、この句のみからは、どこの場所とも特定しがたいが、それが、却ってどこだろうかと知りたくなる好奇心を湧かせるから不思議だ。国境に屹立して見える雪の残る頂。ここより他国に入るんだという思いで振り仰ぐと、雪の頂が燦然と輝いて見えるが、国境のさびしさも隠しえない。

1月21日

2009-01-21 18:58:07 | Weblog
大寒の埃の如く人死ぬる      高浜虚子

大寒という最も寒く冷たい季節、人は埃のようになって、死んでいくというのだ。「客観写生」を唱えた虚子であるが、自身については主観がつよい面をもっている。主観の強い句に「爛々と昼の星見え菌生え」があるが、「埃の如く」は、主観が強い。大寒となると、病人はその寒さに逆らえきれず死を迎える事例に多く触れる。大宇宙に還る人間は、小さな埃となって寒気に紛れるように死んでしまうのである。

1月20日

2009-01-20 18:57:26 | Weblog
大寒や転びて諸手つく悲しさ       西東三鬼

大人ならば転ぶことは、地と足とが不安定な関係となったとき。どのような場合にせよ、いい気持ちのするものではなく、自分への悲しささえ感じる。大寒の凍て土に、転んで諸手をつき、凍てと痛みが混じった感覚が走ったこと、よりに拠って大寒であることから、自虐的な悲しさとなったのだ。

1月19日

2009-01-19 18:56:30 | Weblog
戯曲よむ冬夜の食器浸けしまま      杉田久女

久女にとっての戯曲というと、イプセンの『人形の家』を題にとった彼女自身の句「足袋つぐやノラともならず教師妻」を思い出させるが、生き方に悩みを抱えた久女は、戯曲の中に自身の身の上を映すような登場人物や成り行きを見つけ、それに掬われる思いがしたのであろう。食後の食器洗いは、冬の水の冷たさもあって、浸したままにしているが、この句でも自分の生き方を問うている。

1月18日

2009-01-18 03:58:03 | Weblog
水枕ガバリと寒い海がある        西東三鬼

 処女句集『旗』(昭和十五)に収められている三鬼の代表句で、新興俳句を代表する句と言ってよく、口語俳句として十分な成功を収めている。この句は、昭和十年の冬、三鬼が肺結核の急性症状で倒れ、高熱が続いたときの病床での作で、三鬼みずからが、俳句開眼の句と述べた句である。水枕の水は、高熱のときなど寝返ったりすると、頭の下で「ガバリ」とやけに大きな、水と氷が打ち返る音を立てる。「ガバリ」の擬態語によって、寒い海が導き出され、流氷の漂う海を枕下に、高熱で夢と現の境をさまよう思いが読み取れる。

1月17日

2009-01-17 14:05:35 | Weblog
駆け通るこがらしの胴鳴りにけり     山口誓子

こがらしがどうっと、疾駆の勢いで吹き過ぎる。こがらしを一つの胴体に見立て、びゅうと鳴る凄まじい音を量的に把握しようとした。猛獣の胴のようでもあり、中ががらんどうの筒のような胴ともとれる。「胴が鳴る」の表現が誓子独特のものである。