海の手六甲から(ゆらぎの日記)

資産運用のことや、時々の時評などについて紹介します。また、これまで通り気に入った写真の紹介も。

「俳句堂」(つづき)

2008年12月24日 | Weblog
(承前)

また「俳句堂」に足が向いた。店に入ると、女性が店番をしている。本を眺めているうちに、まるでままごとの遊びのような小さな小さな硯が目に入った。筆で字を書くことに心が向いているので、この硯で、ちょこちょこっと墨を磨って筆をつかう練習をでもしてみたいと思った。買うことにした。
「これ、おままごとみたいで面白いからってお買いになる方が結構いらっしゃるんですよ。でもちゃんとお習字に使われるんですって」
 こちらが思っていたことを店番の女性に言われてしまった。
「今日は、ご主人はいらっしゃらないんですか」とたずねてみると、
「いいえ、今日は奥で俳句の会なんです」
「ああ、やっぱり、ご主人は俳句をおつくりになるんですね」
「ほんの少しばかりの庭がありまして、季節の草花を見ながら、お仲間と、なにやら奥の座敷で作ってますの」
「そうですか、お句を拝見してみたいですね」
「俳句なんて私にはよく分らないんですが、お好きな方も多いようですね。きっとお楽しみなんでしょうね。主人の俳句はたいしたことはないんですよ。でも、お仲間や、お偉い先生方の句を見せていただくと、なるほどって感心するようないいのがございますねえ。俳句がお好きのようでしたら、主人を呼んでまいりますので、どうぞお話なさってください。そういう方がこられると喜びますの」
「いいえ、とんでもない。会の最中にお邪魔しては申し訳ありませんので、結構です。本当に結構ですから・
「そうですか。ではこちらをお持ちになってください」
和紙に刷り込まれた小さなチラシを渡された。
そこには、
 「俳句はどなたにでも親しめるものです。楽しんでお作りになりたい方は
  ご一報ください。添削ご指導も無料でいたします。『俳句堂』主人」
とあって、電話とファックスの番号が書かれている。
「じゃあ頂いて帰ります」と言って店を後にした。今度来るときには、予め電話をして、店の主と俳句の話でもしてみようかと思いながら、店の前で揺れている柳の木を
振り返った。


《たねあかし》
 実は「俳句堂」は存在しない。その主人も、妻女も、架空の人物である。しかし私の頭の中にはしばらく前から存在している。

 人生後半のある時期以降には、この「俳句堂」のような店を持って、いくばくかの生活の糧とし、ささやかな存在感をもって俳句への貢献をして過ごしたい。そういう理想ともつかない空想を私は抱いている。忘れもしない、今から十年ほど前の、関西勤務時代の、大阪駅から会社に向かう朝の通勤途上にふと湧いた発想である。心斎橋に俳諧・俳句の文献が揃っている老舗の古書店があり、休日によく通っていたので、そのことがきっかけになり、このような空想を思い描いてはふくらませていた。

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 文は、いま少しつづくが、おおよそはこのようなものである。書いたのはホトトギス同人である藤森荘吉という方である。(ホトトギス12月号掲載)著書の許可をいただかずに、その文のほとんどを引かさせていただいたことをお詫び申し上げる。願わくは、俳句を愛する人たちへのご紹介ということでお許し頂ければ幸いである。

 この文に巡り会った時、鎌倉という場所は、いささかの縁もある場所なので「俳句堂」という書店を、春にでも訪ねてみたいと思った。ところが読み進んでゆくうちに、想像上の店であることがななんとなく感じられた。それでもいい、こんな書店があれば訪れて、俳句の本の1冊も買い、主人と雑談でもしてみたい思った次第である。なにか、”なつかしさ”を感じた。それは、店のたたずまいであり、中にいる人との心のふれあいである。

 著者は、4月に虚子忌にちなんだ同人の会に出席するため、鎌倉を訪れその道すがらで、ある古書店に立ち寄った。そのことから、かねての空想のイメージが甦ったと、結びに書かれている。

 ちなみに藤森荘吉氏は、滑稽俳句協会という会のメンバでもある。なかなか楽しい句も詠んでおられるようだ。




「俳句堂」

2008年12月23日 | Weblog
「俳句堂」

たまたま、ある人の書いた「俳句堂」という掌文を読んだ。短いエッセーはであるが洒落ていて、ほのぼのと心あたたまる思いをした。せっかくなので、みなさんにご紹介させていただく。作者などの詳しいことは、後ほど。

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《路地を曲がると》
 鎌倉のとある路地を曲がると、「俳句堂」という扁額を掲げた小さな店があった。古びた木の額に、青銅色の文字で「俳句堂」と書いてある。老舗の和菓子屋のような日本家屋である。店の前の植え込みには梅の古木と柳、沈丁花が植えてあり、足元には石蕗の花が咲いていた。

 引き戸を開けて店内に入ってみる。「俳句堂」というだけあって、店内を見回すと俳句の本がほとんどの古書肆、古本屋である。さらにゆっくり見回すと、俳句関係以外の本もあって、趣味の良い豆本、なつかしい岩波写真集、美術展の目録、能楽関係の本、古来の名建築の写真集などが一部に並んでいる。そして少しばかりだが壁際の棚には短冊や色紙、筆硯なども置いてある。俳句の書籍の中に刺身のつまのようにそれらが程よく店内に配置されている。店の主は勘定台に向かって座っており、なにやら書き物に目を通している。なかなかいい店を見つけたなと思った。

 ちらっと店の主の方をみやると視線があって、軽く、自然に会釈してくれた。そしてまた手元の書き物に目を落とした。

 狭い店内を見て回ることにした。店の奥の方には、小さな囲炉裏を切ったテーブルがしつらえてあって、民芸風の絣の座布団を置いた腰掛けが四つ、それを取り囲んでいる。きっと常連の客が来たときなど、そこで話し込んでいったり、本の売買の相談をしたりするのだろう。

 しばらく店内を見て歩き、「文人俳句集」というのを手にとってぱらぱら拾い読みをした。著名な小説家や文筆家の俳句がコンパクトに納められている。本には丁寧にパラフィン紙がかけられており、「俳句堂」というレッテルが貼られている。この本を買うことにした。
「すいません、これお願いします」 
「はい」
店の主は落ち着いた声である。そして、「これはいい句集ですよ」とでも言いたげな顔つきであった。値段を言われて勘定をすませた。
「ありがとうございました。どうぞまたお願いします。」と主。
私は軽くうなずいて「この句集、大事にします」という言葉を心の中でつぶやいた。

《再び》
 鎌倉の鏑木清方記念美術館を訪ねた。清方の絵と文章が好きで、一度は訪れて見たいとかねがね思っていて、休日にやっとそれが叶った。展示の点数は多くはないが、再現された画室を見たり、気に入った作品の絵葉書を買ったり、私の目的は達せられた。同じ鎌倉にある「俳句堂」にまた立ち寄ることにした。この日は、ある俳人の自伝を求めた。
「これお願いします」
「はい、あっ、この方は鎌倉にご縁のある方ですね」
「ええ、私はこの方を存じ上げているんです」
「そうでしたか、それはそれは・・・・」
店の主は、俳句にあれこれ色々な知識があるのだろう、そしてこの自伝も読んで
いるのだろう。話がつづくかと思ったが、どうぞまたよろしくと言って、本を袋に入れて手渡してくれると、主は高く積まれた本の整理に取りかかってしまたった。

《三たび》
 逗子に住んでいる先輩から、鎌倉に自家農場の卵を使った美味しい洋菓子を作っている店があると聞いて早速出かけた。美味しい紅茶と洋菓子を楽しんでゆったりとした時を過ごした。

 また「俳句堂」に足が向いた。・・・・・・

                                     (つづく)

今日の俳句/温石

2008年12月20日 | Weblog
微笑むや心に温石抱くごとく
冬帝や百千の出湯谷にあり
冬帝と共に入りたる出湯かな

とことはの愛偽るやポインセチア
夫(つま)の留守ポインセチアのある小窓

捨つることむつかしき年用意
募金の声年の瀬音にまじりゆく

極月や過ぎにしことは焼き捨つる
法華経は音読したき冬安居(ふゆあんご)

月例の句会の投句を、一部載せています。「冬帝」には、苦戦しました。寒い冬など、あまり気にならない私にとって、冬の神といわれても、友達のようなものです。

今日の俳句/賀状書く

2008年12月16日 | Weblog
消息を知らざる今も賀状書く
書きがたき想いを秘めて賀状書く
鬼平をちらり横目に賀状書く

年忘れ句友に画友楽友と
幼子の乾杯叫ぶ年忘れ

冬半ば職失いし人数多(あまた)
冬の海遙かに見ゆる微光かな
冬ざれや救世観音の微笑を

 正規の社員も、派遣社員・臨時社員など非正規社員も、おなじ働く仲間なのに、突然解雇して、寮などの住むところから放り出す。一体、思いやりという心は、どこへ行ってしまったのでしょう。苦しみは、みなで分かち合うべきだと思うのですが・・。 




今日の俳句/春待月

2008年12月12日 | Weblog
まだ小春寝ころびて見る碧き宙(そら)
春待月ダイビングの誘い届けらる

ただ一語愛語を聞きし冬の暮
年ごとに彩りを増すわがセーター

洋菓子の甘き香りや冬の朝
花の展白き冬日を跳ね返す



知人が、花のアレンジメントの展に呼んでくれました。手みやげにケーキを持ってゆきましたが、ケーキ屋の甘い匂いに、朝からくらくらしました。甘いものにも弱いのです。でも、おいしそうでしょう。

今日の俳句/ルミナリエ

2008年12月09日 | Weblog
立ち上がる闇の中よりルミナリエ
イマジンの調べ流るやルミナリエ
モンブランカプチーノそしてルミナリエ
久々に親娘の出会いルミナリエ


(太平洋戦争開戦日にちなんで)
開戦日そして昭和二十年
大連のことは語らず日向ぼこ

「ルミナリエ」が冬の季語に採り上げるられたらいいですね。実際 「イマジン」の調べが流れた訳ではありません。あの素晴らしい曲が、流れたらいいなあ、とこれも願望です。ちょうど12月8日は、ジョン・レノンの逝った日です。

Imagine there's no Heaven
It's easy if you try
No Hell below us
Above us only sky
Imagine all the people
Living for today...

Imagine there's no countries
It isn't hard to do
Nothing to kill or die for
And no religion too
Imagine all the people
Living life in peace

You may say I'm a dreamer
But I'm not the only one
I hope someday you'll join us
And the world will be as one






今日の俳句/冬帝

2008年12月07日 | Weblog
駆け抜けて冬帝などは知らぬこと
寒林を抜ければシチュー待つわが家
冬の暮微光の道を歩みゆく

声高く冬日の匂う幼き子
冬夕焼けことばのデッサン繰り返す
グールドの弾きしバッハや冬籠

(漱石忌)
一日の生楽しむや漱石忌

漱石が、シェークスピアのドラマを題材に十句ほどの俳句を詠んでいるのをご存じでしょうか。12月9日の忌日にちなんで、別ブログ<(新)緑陰漫筆>でご紹介します。


今日の俳句/短日

2008年12月04日 | Weblog
人気(ひとけ)なき書肆の積台冬日向
短日や麩屋町下がれば炭屋の灯
短冊に描きし一首師走かな
短冊の一首に見入る師走かな(推敲)

下仁田の葱焼く香り友若し
水尾の柚湯語りし友の顔

すこし早めの年忘れを、友人と京都で楽しんできました。いつものお店で、いつもの友と。余談になりますが前衛書道の書家(上田晋さん)が、わたしのつたない句を短冊に書いて下さり、姉小路の町屋での書展に飾られました。。写真はその一部です。





今日の俳句/十二月

2008年12月01日 | Weblog
深川や町の灯りも十二月
二人して鍋焼きという団欒も
寒潮や古伊万里の藍なつかしむ
冬萌やパイプの煙ゆらめける
あたた酒語りてならぬ一語吐く

映画「レッド・クリフ」をレイトショーで観てきました。壮絶な戦闘シーンに、ただただ驚嘆ですが、ふとこんな戦火の時代は大変だなあとの思いが、よぎりました。金融・政治など混迷を深めた一年ではありすが、一方で平和な日本はありがたいですね。


(いつもの海辺の散歩道から)