(承前)
また「俳句堂」に足が向いた。店に入ると、女性が店番をしている。本を眺めているうちに、まるでままごとの遊びのような小さな小さな硯が目に入った。筆で字を書くことに心が向いているので、この硯で、ちょこちょこっと墨を磨って筆をつかう練習をでもしてみたいと思った。買うことにした。
「これ、おままごとみたいで面白いからってお買いになる方が結構いらっしゃるんですよ。でもちゃんとお習字に使われるんですって」
こちらが思っていたことを店番の女性に言われてしまった。
「今日は、ご主人はいらっしゃらないんですか」とたずねてみると、
「いいえ、今日は奥で俳句の会なんです」
「ああ、やっぱり、ご主人は俳句をおつくりになるんですね」
「ほんの少しばかりの庭がありまして、季節の草花を見ながら、お仲間と、なにやら奥の座敷で作ってますの」
「そうですか、お句を拝見してみたいですね」
「俳句なんて私にはよく分らないんですが、お好きな方も多いようですね。きっとお楽しみなんでしょうね。主人の俳句はたいしたことはないんですよ。でも、お仲間や、お偉い先生方の句を見せていただくと、なるほどって感心するようないいのがございますねえ。俳句がお好きのようでしたら、主人を呼んでまいりますので、どうぞお話なさってください。そういう方がこられると喜びますの」
「いいえ、とんでもない。会の最中にお邪魔しては申し訳ありませんので、結構です。本当に結構ですから・
「そうですか。ではこちらをお持ちになってください」
和紙に刷り込まれた小さなチラシを渡された。
そこには、
「俳句はどなたにでも親しめるものです。楽しんでお作りになりたい方は
ご一報ください。添削ご指導も無料でいたします。『俳句堂』主人」
とあって、電話とファックスの番号が書かれている。
「じゃあ頂いて帰ります」と言って店を後にした。今度来るときには、予め電話をして、店の主と俳句の話でもしてみようかと思いながら、店の前で揺れている柳の木を
振り返った。
《たねあかし》
実は「俳句堂」は存在しない。その主人も、妻女も、架空の人物である。しかし私の頭の中にはしばらく前から存在している。
人生後半のある時期以降には、この「俳句堂」のような店を持って、いくばくかの生活の糧とし、ささやかな存在感をもって俳句への貢献をして過ごしたい。そういう理想ともつかない空想を私は抱いている。忘れもしない、今から十年ほど前の、関西勤務時代の、大阪駅から会社に向かう朝の通勤途上にふと湧いた発想である。心斎橋に俳諧・俳句の文献が揃っている老舗の古書店があり、休日によく通っていたので、そのことがきっかけになり、このような空想を思い描いてはふくらませていた。
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文は、いま少しつづくが、おおよそはこのようなものである。書いたのはホトトギス同人である藤森荘吉という方である。(ホトトギス12月号掲載)著書の許可をいただかずに、その文のほとんどを引かさせていただいたことをお詫び申し上げる。願わくは、俳句を愛する人たちへのご紹介ということでお許し頂ければ幸いである。
この文に巡り会った時、鎌倉という場所は、いささかの縁もある場所なので「俳句堂」という書店を、春にでも訪ねてみたいと思った。ところが読み進んでゆくうちに、想像上の店であることがななんとなく感じられた。それでもいい、こんな書店があれば訪れて、俳句の本の1冊も買い、主人と雑談でもしてみたい思った次第である。なにか、”なつかしさ”を感じた。それは、店のたたずまいであり、中にいる人との心のふれあいである。
著者は、4月に虚子忌にちなんだ同人の会に出席するため、鎌倉を訪れその道すがらで、ある古書店に立ち寄った。そのことから、かねての空想のイメージが甦ったと、結びに書かれている。
ちなみに藤森荘吉氏は、滑稽俳句協会という会のメンバでもある。なかなか楽しい句も詠んでおられるようだ。