海の手六甲から(ゆらぎの日記)

資産運用のことや、時々の時評などについて紹介します。また、これまで通り気に入った写真の紹介も。

詩歌のことば/「なほざりに」~書にちなんだ歌

2008年11月25日 | Weblog
 つい先頃の「今日の俳句」で”なほざりに”というのを詠み込んだ句を載せた。
 
     ”なほざりに えがきし手のあと 八一の忌” 

敬愛する歌人会津八一の忌日(11月21日)にちなんだものである。己のつたない句を再掲するなど厚かましいことではあるが、お許し頂きたい。この「なほざりに」という言葉は、会津八一の歌から引いている。

  ”なほざりに えがきし らんの ふでに みる
        たたみ の あと のなつかしき かな”

八一は書家としても有名である。誤解を招かぬように、あえて説明させていただくと(これは本人自身の語るところであるが)、”なほざりにというのは、「気楽に 深く苦心の風もなく」という意味である。さらに歌意については、”あまり厚からぬ毛せんの上にて、奔放に筆を揮えば、畳の目がその筆触の中に鮮やかに見ゆることあり・・・・”と自解している。

 さて句が書のことに及んだので、もう一人の敬愛する歌人吉井勇の自選歌集から書について詠んだ歌を書き抜いてみた。(「先達賛歌」より)

(小野道風)
 道風が自在の筆のあと見れば玉泉帖は字ごと飛ぶらし
 三跡の一人と思へば道風の文字はかしこしほのぼのとして


(写真は、道風の玉泉帖)

(本阿弥光悦)
 光悦のすぐれし文字の冴えも知る本阿弥切れのたふとさも知る

(池大雅)
 いまもなほ書の仙としておほらかに九霞山樵(きゅうかさんしょう)うそぶきたまへ

  余談になるが、日本画の大家池大雅とその妻でやはり画家である玉蘭のことを漱石が詠んだ句があるー「玉蘭と大雅と語る梅の花」

(良寛)
  つくづくと良寛の字を見ておれば風のごとしも水のごとしも

 こうして書の名手たちの歌をみてゆくと、やはり良寛の字が”なほざりに”という言葉にふさわしい様に思われる。いや、独酌の酔いに任せているうちに筆が滑って、あちらこちらと話が飛んでしまいました。お許しください。また書を再開したいな、と思っています。




最新の画像もっと見る

5 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
八一の忌 (やまもも)
2008-11-25 22:52:50
なほざりに えがきし手のあと 八一の忌
前に拝見したときは、句意が汲み取れず難しい句と思いました。八一の書について詠まれているとは思いつつ、今日文を拝見して、またひとつ勉強させていただきました。元の歌を知っていればと残念です。現在は、なにかをふまえて句をつくるのは難しいですね。書もまた再開されるとか、もうひとつ楽しみを広げられたのですね。いつか書も拝見させてください。八一の、また良寛の、「なほざり」の書を楽しみにしています。
お礼 (ゆらぎ)
2008-11-26 23:04:38
やまもも様
 俳句とはあまり関係のない駄文にお目通しをいただき、ありがとうございました。ここにあげた以外の書ですが、空海の「風信帖」もいいですね。東京の国立博物館での書の展で見て、感激したことを覚えています。連綿と続く書に、日本の文化の高さを思います。
八一の忌へのコメントほか (かつらたろう)
2008-11-27 20:10:14
☆なほざりに えがきし手のあと 八一の忌
小生もやまもも様とまったく同じで、先般のこの御句は大変難しく、八一の忌に因んだ句意とは思いましたが、理解出来ませんでした。通常、「なおざり」とはいい加減なと言う意味しか思い浮かばず、八一の歌をこよなく愛するゆらぎ様ならではの深い意味があったのですね!
万葉集から現代短歌、海外の詩まで幅広く勉強されているのを少しは見習う必要がありそうです。おかげさまにて大変良い勉強になりました。
さてそこで、八一の心情をもとに小生も一首試みてみました。
”なほざりに ゆびでえがきし きみがなの つゆとながるる はりぞかなしき”

”みふようの をどろにあやし かたきみに はなのすがたの おもはざりしを”
お礼 (ゆらぎ)
2008-11-28 22:08:57
たろう様
 コメントありがとうございました。強要したようで、すみません。短歌二首、拝見しました。なんともポエジー、エレジーを感じる歌と年老いた小野小町を思い浮かべるような味わい深い歌に、感嘆しました。冴えていますね!
返歌 (suga)
2017-08-06 19:25:29
なほざりに…に因んで短歌一首です、

なほざりにやつす身青き露草は長らへてきし日次ぎを堪へむ

コメントを投稿