風来坊参男坊

思い付くまま、気が向くまま、記述する雑文。好奇心は若さの秘訣。退屈なら屁理屈が心の良薬。

竹の声に道を悟り、桃の花に心を明らむ

2010年05月23日 00時20分51秒 | 
嘉禎二年朧月除夜、初めて懐奘を興聖寺の首座に請ず。に始まる正法眼蔵随聞記第四の五

臨済宗の美濃加茂の正眼寺で嶋野栄道師の提唱を聴いた経験がある。大分以前である。

難解な文章で理解不能だった。心から離れず資料を探していた。

最近、岡崎リブラで曹洞宗・青山俊董尼の解説書を発見、感激した。

中国から帰国され最初の寺が宇治興聖寺。修行僧の指導者に正法眼蔵随聞記の著者の懐奘様を始めて指名した時の道元様の法話が記録されている。

懐奘様が39歳だった。

宿題を抱えた香厳和尚、庭掃除の時、瓦の欠片が竹を撃つ音で答を見つけた香厳撃竹。

霊雲和尚は行脚の途中、峠を越えて見た桃の花で悩みが解消した霊雲桃花。

「禅の智恵・正法眼蔵随聞記に学ぶ」でオイラの小さい悩みは解消した。

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正法眼蔵随聞記第四の五
嘉禎二年朧月除夜、初めて懐奘を興聖寺の首座(しゅそ)に請(しょう)ず。すなわち小参のついで、初めて秉払(ひっぽつ)を首座に請(と)う。これ興聖寺最初の首座なり。小参の趣きは、宗門の仏法伝来の事を挙揚(こよう)するなり。初祖西来して少林に居して機を待ち、時を期して面壁して坐せしに、某の歳の窮臘に神光来参しき。初祖、最上乗の器なりと知りて接得して、衣法共に相承伝来して児孫天下に流布し、正法今日に弘通(ぐずう)す。当寺初めて首座を請じ、今日始て秉払を行わしむ。衆の少なきを憂うることなかれ。身の初心なるをかえりみることなかれ。汾陽は僅かに六、七人、薬山は十衆に満たざるなり。しかあれども皆仏祖の道を行じき。これを叢林のさかんなるといいき。見ずや、竹の声に道を悟り、桃の花に心を明らむ。竹豈に利鈍あり迷悟あらんや。花何ぞ浅深あり賢愚あらん。花は年年に開くれども人みな得悟するに非ず。竹は時時に響けども聞く者ことごとく証道するにあらず。ただ、久参修持の功を得て、悟道明心するなり。これ竹の声の独り利なるにあらず。また花の色の殊に深きにあらず。竹の響き妙なりといえども自ら鳴らず、瓦らの縁をまちて声を起こす。花の色美なりといえども独り開くるにあらず、春風を得て開くるなり。学道の縁もまたかくのごとし。この道は人人具足なれども、道を得る事は衆縁による。人人利なれども、道を行ずることは衆力をもってす。ゆえに今心をひとつにし志をもっぱらにして、参究尋覓(じんみゃく)すべし。玉は琢磨によりて器となる。人は錬磨によりて仁となる。いずれの玉か初めより光ある。誰人か初心より利なる。必ずすべからくこれ琢磨し錬磨すべし。自ら卑下して学道をゆるくすることなかれ。古人のいわく、光陰空しくわたることなかれと。今問う、時光は惜しむによりてとどまるか。惜しめどもとどまらざるか。すべからく知るべし、時光は空しくわたらず、人は空しくわたることを。人も時光とおなじくいたずらに過ごすことなく、切に学道せよというなり。かくのごとく参究を同心にすべし。我独り挙揚するも容易にするにあらざれども、仏祖行道の儀、大概みなかくのごとくなり。如来の開示に随いて得道するもの多けれども、また阿難によりて悟道する人もありき。新首座非器なりと卑下することなかれ。「洞山の麻三斤」を挙揚して同衆に示すべしといいて、座を下りてのち、再び鼓を鳴らして首座秉払す。これ興聖寺最初の秉払なり。懐装三十九の歳なり。


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