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気ちがい河馬さんの日記

精神病院に通院しつつ、障害年金ではとても食えないので、深夜に「ギャオ^スー」と雄叫びを発し河馬に変身し大和川の草食らう

野口のオバチャンの導きで、ひさびさに坂口珈琲店に行った。

2014-07-14 18:46:09 | 風景
アンダンテからの帰り道、野口のオバチャン(サポートハウスアンダンテで圧倒的悪口でアンダンテの施設利用者の中での最高権威:西太后:を時々圧倒している。)を見つけたので、後を付けた。

はじめは全然気付いていなかったが、突然振り返って「河馬っ! なにしてっんのよ!」とカナキリ声を挙げた。

50mぐらい離れていたのに突然振り返って気付かれた。勘が鋭い。

気ちがい河馬は、裸眼ではとてもなにかわからない。最近、メガネを新調してようやく、遠くまで見渡せるようになった。
野口のオバチャンの以前の家は知っていたが、訪ねたことはなかった。

 もし、そんなことをしたら強盗にでも仕立てあげられかね無いから、尋ねるようなことは河馬はしない。君子危うきに近寄らず、だ。

野口のオバチャンは、最近すでにアンダンテを退職した愛ちゃんに、ほとんど引っ越し荷物を作ってもらって、近くのマンションに引っ越ししたらしい。

とにかく口は良く動くのになんにも出来そうに思え無い。

毎日、用も無いのに大きなカートを引っ張り、アンダンテにやってくる。運動にはなるだろう。
 カートの中身が何か詮索する気はさらさらない。どうせゴミしか入っていないことは明らかだ。

河馬ならあれだけのカートを引くとしたら、非常時に三週間は生き残れる、水と非常食をパッケージする。


「なにしてんのよっ!」と半分笑いながら大声で尋ねられたので、こっちがはずかしかった。「自分っちへの帰り道」と答えた。「嘘ばっかし!付けてるんでしょ。」「いやぁ 帰り道だよ」ととぼけた。

50mも離れているから、どちらも大声をだす。

道行く人が何事かと振り返る。もっと近づいて静かに話そうと、ダルマさんが転んだ、よろしく彼女が振り返える度にストップして、徐々に距離を縮めた。
ついに数メートルまで近づいた。これで大声を出さずにすと思ったがあにはからんや。
彼女の怒りはさらに高まりカナキリ声は収まらない。河馬は困った。
が、今さら追跡調査を止めるわけには行かない。

あくまでもも自宅への帰り道て言い張った。

彼女は反論する。「それなら、自転車なんだから、さっさと追い越して家に帰りなさいよ!」しかし河馬はのらりくらり理由付けする。今日は自転車を押して帰りたいんだ、云々。

野口のオバチャンは疲れてよそのマンションの前で腰かけた。河馬も押している自転車を止め、買ってから一度も磨いた事の無い自転車を掃除した。


野口のオバチャンとサポートハウス・アンダンテの共通の敵西太后の悪口を言った。機嫌が直った野口のオバチャンは、オカキを2個くれた。

 よそのマンションの前にオバチャンは座り込み、河馬は自転車を磨いていると、前の1個建ての奥さんが出てきて、初めは不審そうに、見ていたが二人の会話を聞いていて「仲良しですね。」といった。そうだ実は、野口のオバチャンと気ちがい河馬は仲良しなのだ。

一服すると彼女は重いカートをゴロゴロ引きずってまた歩き続けた。今度はもうなにも言わなくなったので、べったり後を付けた。

突然彼女の姿が消えた。おかしいなぁ、とあたりを見回すと、おぉ!眼前に坂口珈琲店があった。

懐かしい、昔は良く来ていた。その店は角店で内部は、5~6人も入れば満席の小さな喫茶店だ。

その店の客はほとんどが浅香山病院の患者である。

病院の周辺、特に香ヶ丘には退院して独居暮らしの患者がたくさん住んでいて、フワッとした患者コミュニティがある。


店の内部は昔と全然変わっていない。古時計が壁一面にある。 ゼンマイ式の柱時計がある。カウンターに無造作に壊れた英文タイプライターが置いてある。
ドァの横、後ろの壁際には、おそらくは戦前の再生式ラジオがあり、河馬はきっとこのラジオから、終戦の詔勅、玉音放送が流れただろうと想像を逞しくする。

「耐え難きを耐え、忍びがたきを忍び、朕は汝臣民にポツダム宣言の受諾を、云々」


気ちがい河馬の父親河馬は終戦(敗戦)前この玉音放送を、南支那(中国南部昆明市からまだ奥地)で聞いたと言っていた。
父河馬の部隊は、中国共産党の第八路軍(パーロ)のゲリラに悩まされながら、南方から中華民国の臨時首都、重慶攻略の作戦に従事していた。

父河馬は不良兵士だったので、中国大陸に上陸してから7年が経っていたが、日華事変から太平洋戦争へと戦争が拡大して行く中で、前線へ前線へと追いやられていた。
父河馬の話しによると、太平洋戦争末期、中国の山奥で、英軍のインド・デリー放送、米軍の日本語放送がガンガン聞こえ、敗戦の数年前には、どうも日本軍は負けているらしい。とわかったそうな。父河馬は通信兵だった。


坂口珈琲店の中に、やっぱり野口オバチャンは隠れていた。
やっぱりきたんかいな。彼女は言った。
河馬!お金持ってんのかいな。
失礼な事を言う。千円ぐらい持っていたので野口オバチャンに河馬は珈琲一杯奢ろうか。と提案したが、頑なに拒否した。

善意の提案を拒否しておいて自分は茶店のママに珈琲代、手形を切った。坂口珈琲店では常連の客は、メモ用紙に日付と名前を書けばつけが通るらしい。先に入っていたお兄さんも、そうしていた。

香ヶ丘の茶店らしい。常連に優しい。

河馬の住むJR某駅前ではいくら常連でも、居酒屋のつけはあっても喫茶店のつけはない。

もうそんなことはどうでも良い。坂口珈琲店に入ったとたん河馬の記憶はバック トゥ ザ
フューチャーの世界に入った。
10年から15年前坂口珈琲店に友達と良く通った。患者会役員の森内、バチンコ気ちがいの白(通称 日本名は忘れた)、同じく役員の猫のミィヤァーオみんなまだまだ元気だった。
しかし、今はもう誰も居ない。

変死、鉄道自殺、腎不全、死因は色々だが、兎に角還暦を待たずに死んでしまった。

大阪外大卒のリ コーショー は病棟で狂い死にした。

看護婦さんたちに抜群の人気者だった絵描きの田中資朗も、自殺とも、事故とも判らない大火傷が元で死んでしまった。
資朗さんと河馬は大阪市内でで同郷のよしみで、特に仲がよかった。
資朗さんは冬場に良くナイトケアの風呂でシャツに腕が通らず、途中まで腕を通したまま凍っていた。
また、資朗さんは「鹿も四つ足、馬も四つ足!」と一言で河馬に義経の一の谷の合戦、ヒヨドリ越えの名場面を彷彿とさせた。
リ コーショーは朝鮮人で勿論ロシア語学科出身だから、ロシア文字も書けたし、読めた。
河馬にプーシキンの詞を書いて暗唱しろと言った。
気ちがい河馬も大学で、ロシア語を習ったから、読み書きできたけれど、暗唱する力は老河馬にはなかった。その代わり風呂場でリ とインターナショナルや国際学連の歌を大声で歌った。

親しい友達はみんな、みんな死んでしまった。

河馬はもはや生きた化石である。レリックだ。
早く死にたい。

浅香山病院精神障害者・長期療養者患者会」はいかに弾圧されたか。

2014-07-11 15:00:40 | 風景
患者会結成早々デイケアの木下室長(女)の手引きで主治医田中羲Dr.の前に臨時診察の名目でひきだされた河馬会長は、医者に「私は病院を代表して患者会を認めない」と宣告された。
その時河馬のカルテには結成宣言を報道した「患者会便り」が糊付けしてあった。

医者の権威を傘にきて何をぬかすかこの医者はと思った河馬会長は、直ちに外来婦長を呼んで、その医者を僕の主治医から外すよう求めた。

 すでにこの事は2003年の話しである。


しかし今から考えても浅香山病院の医局か何か、当方の関知するところではないが、一医師が病院を代表して「患者会を認めない」と言い切ったのは尋常ではない。
 そこには明らかな病院組織の患者会潰しの露骨な意図が明らかだった。

その時、直ちに患者会役員会は「浅香山病院の精神障害者や患者には集会・結社・表現の自由は無いのか!院内に憲法の光は届かないのか!」とのキャンペーンを張って医者とデイケア室長木下の策謀を打破して、今日の浅香山患者会の公然たる姿がある。

この間には浅香山病院法人本部、浦東氏らその他関係先との間で折衝を重ねて、一定の集団的、市民的権利を獲得してきた。簡単に言えば厳しい人権闘争を経て初めて認知を受けたとも言えよう。


浅香山病院の歴史の中で、病院から完全にインデペントな、つまり、自主的な患者組織が誕生したのは初めてです。

それまでも西病棟などに会長と呼ばれる人がいて(故人)自治会らしきものがあったが、病棟の紐付きの組織で、病院と対等な話し合いををする性格のものでなかった。


田中羲Dr.等の不当な干渉を蹴飛ばし、院内、外に存在を示した。
 患者会の初めの正式名称は「浅香山病院・精神障害者・患者会」であった。
結成して数ヶ月後、病院法人本部の副本部長浦東さんから話し合いに応じて欲しいとの要請があった。
病院法人本部の応接室に通された。

通されて、驚いた。

応接室の本棚には、エセ団体が企業などに売り込んでいた、新聞の屑を麗々しく製本した、関係の資料がぎっしり詰まっていた。河馬の値踏みで数百万円分があった。

浅香山病院法人本部は、エセ団体と付き合いし、人権問題に熱心に取り組んでいる、免罪符を買って、ポーズを取っているのだった。

エセ団体に協力する事は当時盛んに問題だった同和問題の解決、差別からの部落住民の半封建的身分差別解放に逆行するものであった。

僕は初めての法人本部と患者会の組織との公式交渉のあと浦東副本部長と面談し、エセ行為に協力するな、お前たちは人権に関わって2重、3重の誤りを犯すのかと釘をさした。

病院の人権意識がこんなものだから、院内で次々と病院が人権問題事件を起こしたのだ。

もともと精神病院は治外法権的な体質を持っている。それは患者保護の名目で患者の人権を刑務所や拘置所以上に縛り上げる権限を法で持たされているからだ。

だから医師も職員も人権に鈍感というか、人権意識も低かった。それは精神衛生法の時代を病院で過ごした河馬の良く知るところである。院内の人権侵害をその当時は法が保証していた。

すでに旧聞になるが、河馬が躁で閉鎖病棟に入院した初日、病棟の都合で、(総室、4人部屋が満杯だった)鍵の掛からない個室に入院した。
入院した初日担当の山本看護師が部屋にやって来て、入院時説明をするのかと思ったら、いきなり「おとなしく、していないと不利益を受けますよ。」と脅した。その一言を聞いて、河馬は完全に頭に来て、切れた。
入院したばかりでまだ何もしていない。山本看護師の河馬に対する予断と偏見による完全な脅しであった。河馬は病棟師長を呼ぼうかと思ったが、山本の経歴に傷がつくと配慮して、その場で解決しようと思った。
個室を良いことにして河馬は大声で馬鹿な山本を糾弾した。
河馬曰く「一体誰に向かって、もの言っているんだ! 河馬はこの病棟のお客様だぞ! 不利益を受けるとしたら、いったいどんな不利益を受けるのか、一々上げてみよ!」個室での糾弾は40分に渡りくり返された。

山本は一言も答えられず最後に一言「すいませんでした。」と小さな声で言った。それで事件は内々にして、解放してやった。
 この事を山本がどんな風にカルテに記録するか河馬は関係無いことだった。


話はまたまた脱線したが、元へ戻そう。
法人本部から呼ばれての交渉には、患者会の名称にたいするクレームだった。交渉には、法人本部から浦東副本部長と神谷(かみや)管理課長、患者会から河馬会長、金中保副会長、宮尾役員が出席した。
交渉は粛々とおこなわれ、法人側の意見も良く聞いてやった。法人側は会の名称から浅香山病院を外して欲しいと言うことだった。
 病院名がついていると病院の組織と外部から誤解されてまずい、と言う主張だった。
患者会を代表した河馬はじめ本部理事者側の意見もわかったので、「浅香山患者会」に名称変更するとの提案をして合意した。患者会もその呼び掛けの中で、活動範囲を浅香山病院とその周辺地域と規定していたので、浅香山と言う地名を冠にしたほうがよかった。
交渉は30分ほどで蹴りが着いた。


こうして院内で法人側からも認められる組織となったので、以後何度も、法人とは事ある事に交渉した。

しかし、その後も、患者会は病院付属生活支援センターアンダンテ(現サポートホームアンダンテ)からも理由の無い干渉攻撃、不手際を2度に渡りうけた。
その件に関しては公には明らかにしていないが同施設からも不本意ながら、反省文と始末書を取らざるを得なかった。


およそ天下の浅香山病院にして、人権に関して、このようにお寒いことがあるから、精神病者をめぐる全国の人権状況の寒さは北極なみです。


一例を上げれば、浅香山病院が個人情報の取り扱いマニュアルを作成したのは、河馬患者会会長に人権侵害事件での謝罪文を出してから3年以上後の事となる。(2007年頃)


もうひとつ最後に付け加えれば病院が患者様に対して「君付けで呼ばないよう」お達しをだしてからかれこれ15年以上になるが、たまに「君付け」で呼ぶのを耳にすると、この病院が患者様に対して、完全なるサービス業の一部であることを病院の理事長はじめ、取り巻きの幹部がそもそもその事を認識しているとは、到底思えない。

もし、認識していたらつい、こないだ労働組合が、3日間のストを打ち抜いた時、高橋明理事長なんぞはスト中に各病棟やOT.デイケアを回って職制、師長や室長のご機嫌取りに回る前に病院玄関に立って患者様、お客様にご迷惑をかけております。と頭を下げるべきだ。
 理事長でてこい、月夜の晩ばかりでないぞ。ひとりで歩くな。用心のため、ボディガードのひとりぐらい付けてあるけ。
過去には鋏なんぞで腹刺された医者が何人かは居てるぞ、相手は気ちがい河馬だぞ、用心しろよ。
気ちがい河馬を知りたきゃ、OTへおいで、アンダンテでもよいぞ。

疲れた。もうきょうは止め。





注:このブログへの意見は一切受付ておりません。御意見のある方は;kabaeye@yahoo.co.jpまでメールして下さい。

今回の投稿はおよそ10年以前に「フーテン河馬日記」に投稿したものに加筆、訂正したものです。フーテン河馬日記は悪意の意見が原因?で、何者かにハッカーされ、4年間書きためた全文が削除され、たまたま残ったブリントが発見され加筆再掲載したものです。

河馬は親馬鹿の2乗3乗ですんだらいいが4乗まで行っている。

2014-07-09 09:18:52 | 風景
過ぎたるは及ばざるが如しで、親馬鹿も4乗まで行くと、3次元の立体空間を超え、超立体を表現する、虚数i軸を必要とする。i軸は座標原点(0.0)いかなる方向からでも通る。それは虚数だから。気ちがい河馬と一緒だ。それは色即是空だから。河馬は浅香山病院にたいして虚の存在であり、色の存在だから。

 アインシュタイン のE=ic自乗の世界も超えてしまうのでやめとく。


アインシュティンも読んで字のごとく、現代物理や天文学の世界では「一個の石」に過ぎない。その理論はすでに化石化している。


動物学や植物学の世界では生きた化石と言うのがある。
日本の天然記念物の中でも誰でも知っているのが、カブトガニである。
植物では、メタセコイヤ(あけぼの杉)である。メタセコイヤは原産地が日本ではないため(中国大陸奥地で大阪の植物学者が発見した)大阪市内の公園などで普通に良く見られるが、人工的に植樹されたものである。
その苗木は大阪府私市(きさいち)にある某公立大学理学部の演習林で、中国から持ち帰った苗木を増やして、今、全大阪市内でたくさん見られるのである。

 カブトガニ並みに氷河時代、恐竜時代を超えて生き延びた種にもかかわらず、日本では人工的に育てられたものだから、天然記念物にも何も指定されていない気ちがい河馬からすれば不遇なあけぼの杉である。これら生きた化石をレリックと呼ぶ。意味ある日本語では遺存種であろうか。

 ただ大阪市公園部の植木屋に密かに感謝する他ない。

気ちがい河馬も遺存種(レリック)である。なぜならカラオケで日本の万葉時代の歌詠み大友家持(おおとものやかもち)作詞の:海行かば、しか歌わないからだ。気ちがい河馬は獰猛だが、万葉集について造詣が深い。

話が脱線したが、気ちがい河馬さんのiの4乗の過ぎたる愛情は立派に成人している河馬仔雄長男に、不当なる干渉以外の何物とも受け止められず、「河馬はおれの人生の邪魔ばかりする」と最後通牒(つうちょう)を突き付けられ、電話回線もメールも着信拒否されて、親仔の縁を切られ、逆勘当された。

それも致し方ない仔河馬雄に、おせっかいな説教をし、年もそこそこになって月収入も額面36万円以上、手取り26万円以上あると聞いて、本人の意向もあまり確かめもず、見合い話を押し付けたのがいけなかった。

河馬の河馬生、というか人生経験によれば、自由恋愛ほど危ういものはない。
しっかりした仲人による氏、素性の知れた雌と、気に入ればこんな安全な事はない。

雌仔河馬は、その点、上手く自分を売りこんだ、惚れさせておいて、相手の男は身元も親もしっかりしているのを確かめた上で、職業も医者ではないが、集中治療室で彼がいなければ、緊急手術が始まらない、医療技術者で相手に申し分なかった。が、条件を着けた。
私と結婚したかったら「運転免許証ぐらいもって私を車の助手席に乗せてくれないとだめ」と自分は運転免許証持っているくせに注文を付けた。我が仔ながら立派なもんである。
愛する相手を自分が運転して運んでやる優しい気持ちなどさらさらなかったのである。
雌仔河馬の婚約者は惨めな者である。婚約者の雄は、大病院の特殊手術室に所属していた。
 何もない時でも手術室での生命維持装置のメンテナンスに忙しく、いざ手術となると、執刀医といっしょになって、10時間でも12時間でも、機械の運転をしなければならない。どんな名医が執刀しようとも、手術中に万が一にも機械がトラブったり、ダウンしたりしようものなら手術はたちまち失敗、患者の命は直ちに無くなる。

病院からも、24時間つながる、ホットラインの電話を持たされている。そんな厳しい職業の者に河馬の考えでは、自動車運転免許証など不必要である。交通事故のリスクを背負うだけだ。
相手の男は可愛いそうだった。悠長に自動車学校へ通っている暇などない。雌仔河馬が相手に要求した事は無理難題である。
しかし気ちがい河馬の娘仔河馬は親の仔である。心理的に自分が運転するのと助手席に座るのどちらが上か良くわかっている。助手席、あるいは後部座席に座るほうが上である。
パトカーでも、助手席に座るほうが上司で運転するのは、シタッパである。

そういう心理構造をどこで身に付けたか知らないが、今や旦那様を完全に尻に敷いているのは明らかだ。見ないでも聞かないでもわかる。
 
 婚約者だった雄は自動車学校など行かず、運転技術は自動車学校の実技の切り売りを買い。
法規は自習し、公安委員会の飛び込み受験で、一発で合格したらしい。

田舎の公安委員会は優しいみたいだ。


大阪の公安委員会の試験場では実技は、良くできていても、そんな飛び込み受験者に一発合格は絶対ださない。
 2度、3度必ず落とす。

どうも、大阪の公安委員会は、初めから上手い奴はどこかで無免許運転してきたと言う予断があるらしい。

しかし試験場の試験官はどうも道路交通法の前文も知らないらしい。
憲法の前文同様そこにはちゃんと法の目的が書いてある。

道路交通の安全かつ円滑な運航のため云々と言う主旨、がそれである。

だから、道路交通法の効力の及ぶ範囲は限定されている。いくらでも単車なんか無免許で乗れる。空間と言うか地面はある。
一番わかり安いのがF1レーサーで道路交通法上の免許を持たないレーサーはなんぼなんでもいる。サーキットは道路交通法の適用は受けない。それに大学構内とか、映画「ブラックレイン」の舞台となった大阪の大正区にある製鉄所の広大な路面など道路交通法の適用外空間である。

以前馬鹿な警察官が大スーパーマーケットの構内を無免許で走っている少年を捕まえて、交通切符を切り、あとで公安委員会が謝罪し、大きく報道されてニュースになり、話題となった事がある。
スーパーの敷地はもちろん私有地である。人身事故など起こさない限り、交通警察官の取り締まる法的根拠はない。
気ちがい河馬は先ほど述べた大正区の製鉄所で天井クレーンの運転士で働いた経験があるが、その製鉄所構内には波止場へ通じる立派な大阪市の市道路が貫通していた。一見製鉄所構内の私有地に見えるが、立派な道路交通法適用の公道である。しかしその公道をあたかも、製鉄所の私有地のように占有されていて、無法地帯になっていた。公道である証拠に道路は波止場につながり、形だけの税関事務所があったり、公道の先の岸壁は大阪市の港湾局の管轄であったが、市の役人の姿など見たことない。完全に大きな製鉄所に公のものが、私物化されていた。国際貿易の水切り、すなわち国際貿易の荷役可能の港湾埠頭だから、スクラップを積んだ外国船が停泊するし、鉄鉱石を積んだ外国船が停泊する。だから無人だけどちゃんと税関事務所もあった。
その公道を道路交通法に運航が明白に違反している、超大型、超重量車両がナンバープレートも着けず、無免許の運転手が白昼、毎日堂々と運航していた

大正警察署のパトカーは工場の前の道路で、さすがその道路の向かいは他の大工場があって、公安委員会の錆び付いた判別も難しくなっている道路標識があって、広い道路で乗用車の一台や二台駐車しても、道路交通の円滑な障害に成りようもないところで、盛んに駐車違反の取り締まりをしていた。
僕、気ちがい河馬はクレーンに乗るのに免許が絶対必要条件なのに、それは労働安全衛生法で定めらていて、労働基準局から免許をもらう義務づけがなされていた。

道路交通法では緊急車両は厳密に定められていて、パトカーでもいつでも緊急車両と言うわけではない。

だから、パトカーがスピード違反で捕まってニュースになった。
ニュースと言うのは、犬が人間を咬んでもニュースにならないが、人間が犬を噛んだらニュースになるかも知れない。
気ちがい河馬は、隣の隣のダックスフント5匹を咬み殺してやりたいと密かに、思っている。河馬が鬱で巣で寝込んで、もがいている時、一番音に敏感になって困り果てた。
まぁダックスフントはミニチュアダックスフントも、もとをたどればイギリス貴族が狐狩りに使い狐の巣穴まで潜り込める体型に改良した猟犬だから、むやみに吠えるのは彼らがそのDNAからして、いたしかたないにしても飼い主が悪い。韓国人の末裔で、日本人と隣近所調和して生活する習慣がもう来日して3代、在日3世なのにまだ日本の生活習慣に馴染まないこと甚だしい。こうなったら大家主に前に出てもらうほかない。
9階建て、家政婦付きの高級マンションの住み心地が台無しだ。

ニュースになったら河馬の悩みが解決するならやってやりたい。


なんだか河馬の思考回路と同様支離滅裂な日記になった。

話しを元に戻して製鉄所の道路交通法違反の話しを決着を着けずにはおけまい。

まだ世間から製鉄所の構内と認められている。公道上の大企業である某製鉄所の違法行為は置くと しても工場の前の大阪市バスも走っていてバス停まである、タクシーや一般車両も走っている、正真正銘の公道で、車体を真っ赤にぬり、赤灯の回転灯を回しながら(赤の回転灯を付け得るのは、緊急車両になり得る、パトカーや救急車、白バイなどだけに許されているに過ぎない)

ところが先ほど述べた車体を真っ赤に塗ったナンバープレートも無い超重量車で、積み荷と言ったら真っ赤に溶けた鉄を4~50tも積んで、バス道を炎と煙を4~5mも上空に巻き上げながら、徐行しもせず、40kmぐらいのスピードで走っているのを見て驚いた。
その工場地帯では当たり前過ぎて、誰も振り向かないが、これでは、道路交通法違反、車両運送法違反、消防法違反は一見してわかるが、誰もお役所は相手が巨大過ぎて誰も取り締まりなんかできない。無理が通れば道理が引っ込む無法地帯で、消防局も、警察も陸運局もなにも言わない。

そう考えるとかっての大学紛争時代、暴力学生集団が機動隊に向かって火炎ビンを投げつけて、鉄パイプで武装して、内ゲバ(もう死語か?)やっていた当時のことなど子どもの遊びごとに思える。行っとくが、気ちがい河馬はそんな野蛮で子ども染みたことはやってない。しかし紙の爆弾を学生どもを指揮して4万や5万はテリトリーを越えてバラまいた。
仔河馬たちよ!良く聞け、これが法治国家日本の実際だ。

まだ幼い仔河馬たちよこんな治外法権はまだまだある。心して貿易何ぞに関わるものは注意しなければ命を失うこともあるぞ。

車に孫河馬なんか乗せて知らない土地へいくな。

警察は高速道路でスピード違反の取り締まり、はするが通行車両の安全なんか絶対守ってくれないから。

西名阪道路なんか走るな、そこはゴムタイヤ履いた戦車みたいな車両が一般道にもかかわらず、100km近いスピードで、乗用車と一緒に走っている。

気ちがい河馬は実際にゴムタイヤ履いた戦車みたいな超重量車を運転して来たから良くわかっている。

また話しは飛ぶが河馬は脳みそが、薬で、ぶっ飛んでいるから仕方ない。

君たちは本物の現代の戦車を見た事があるか? 河馬は富士山の裾野の演習場でそれらが、小高い丘をかけ登り、時速60km以上のスピードで軽々とジャンプするぞ!そして一旦照準が付けられたらどんなに高速で逃げようとしても無駄だ。レーザー光線とコンピューター制御の砲だから。
百聞は一見に如かずだ。
不整地をノロノロ歩くと言うイメージは一発に吹き飛んだ。


仔河馬たちよ!世の中にはまだまだ怖いものがいっぱいある。
仔河馬娘よ!仔孫河馬を人質に取って気ちがい河馬を脅すだけは止めてくれ。
日記の落ちがつかなくなった。もう止めにする。

メタセコイヤの林のなかで、古代杉のミストを吸ってお昼寝しよう。



添付の写真はメタセコイヤの林。

気ちがい河馬は自由だが親友が悪い。

2014-07-04 14:25:39 | 風景
河馬は河馬の巣で、全く自由に過ごしている。
ヘルパーさん以外誰も訪ねてくる人はいないし、新聞など取っていないからいろんな集金人等も来ないから、訪ねてくる人はいない。
 夏など一糸まとわぬスッポンポンで部屋の中にいる。

ただひとり、訪ねてくる人の例外は、タクシー運転手ねテクシー氏だ。
彼はもう定年退職し、アルバイトでタクシーに乗っている。
 彼は自ら借金大魔王と名乗り闇金からや、会社から、友人からも借金したおしている。
喫茶店にも付けがあるし、居酒屋にも付けが貯まっている。

テクシー氏はアル中である。アル中も病気だから治療したら、と勧めるが、病院代が無いと応じない。
 朝から酒を食み、仕事を連続して10日以上休む事はしょっちゅうだ。
だから、いつも金が無い、金が無い、と言っては借金している。
労働者としての自覚と規律に欠ける。

朝から酒を飲むとタクシー乗務前のアルコール検査に引っ掛かり乗務出来ない。雨が降っても仕事を休む。
また酒のんで1日暮らす。

河馬はそんな悪友と25年以上も付き合っている。

悪縁である。

ちょうど元嫁さんと子どもたちを河馬のテリトリーから大和の国へ追い払った以降友達になった。 気ちがい河馬も寂しくあったのだろう。
付き合い初めは酒の縁である。 その頃はテクシー氏も今ほど酒にのめり込んでいなかった。
河馬も働いていて、酒を奢ったり、奢られたりして、良い関係だった。
テクシー氏も嫁さんに、逃げられていた。 同じ傷もの同士寂しさをなぐさめあっていたのだろうか。いやそれに違い無い。

もうひとり友達がいた。前にも紹介した。 大和川の自然堤防上(国有地)に一戸建ての豪邸を立てて、今は年金暮らししている河馬の鉄ちゃんと3人で、友達同士だった。
河馬の鉄ちゃんとは気ちがい河馬も今も仲良しだが、鉄ちゃんも嫁さんに逃げられて、元嫁さんと子どもたちとは音信不通で、寂しく暮らしている。河馬の鉄ちゃんは嫁さんに逃げられてから、営んでいた小さな喫茶店をたたみ、勤めに出るようになった。

3人はセットで良い友達だったが、テクシー氏は金銭トラブルを河馬の鉄ちゃんとの間におこし、縁を切られてしまった。

河馬は今のところ両方と付き合っている。

しかし最近、テクシー氏と縁を切ってしまおうか、と思うようになった。河馬の鉄ちゃんはとっくにテクシー氏と縁を切っている。曰く「テクシーと付き合っているとこちらが損ばかりする。」本当に気ちがい河馬もそう思うようになった。

しかし、JR某駅前で、テクシーと縁を切ってしまうと、病院以外での友達は河馬の鉄ちゃんだけになってしまう。


病院には患者の友達はいっぱいいる。しかしみんな薬を飲んでいるから、酒の席で遊ぶような友達はいない。

気ちがい河馬もこの頃めっきり酒に弱くなって、駅前のアットホームな韓国風居酒屋「アガシ」の店には、月2~3回しか行かなくなった。以前は毎日通っていたが今はほとんど酒を止めたと言って良いくらいだ。


酔っぱらい+気ちがいの状態では、仔河馬の娘や孫河馬に合わせる顔がない。

 地元の町の同年輩だった友人はほとんど家を建てて町を出て行ったし、元もと気ちがい河馬は一回り上の世代の人と付き合っていて、そういう親しい人々は亡くなったか、病院か老人ホームへ行ってしまった。

だから気ちがい河馬は寂しい。
つい先日も50年近く付き合いのあったワッタンおっちゃん82歳が近くの老人ホームへ入った。 肺気腫で病院へ1年ほど入院していたが゛10数回血を吐いて、医者から見放され、近くの老人ホームで酸素を吸いながら、生活している。
本人の話では、余命半年か長くて1年と医者から宣告されたと言う。

気ちがい河馬の父親河馬94歳から比べたたら、まだ若い。
ワッタンのおっちゃんの入居している老人ホームは河馬自宅からほんの5分ほどの近くだから、退院してから三度見舞いに行って、なけなしの金、5千円包んだ。


話をテクシー氏に戻そう。彼は金が無くなると、ノンアルコールビールを1本土産に持って、自分用には酎ハイ3本とワンカップを持って河馬のダイニングのソファーにどっかり居座って酔いつぶれるまで飲み、河馬のベッドで寝て泊まって行く。

迷惑千万なことだ、河馬は仕方がないからダイニングのフロアーで毛布をかぶってねる。冬なんかフロアーの上はさすがに寒い。

テクシー氏が河馬の巣に来るのは店で飲むより安くつくからだ。おまけに深夜「腹減ったラーメン作ってくれ」などと要求する、アホらしいことこの上無い。
最近は金まで貸せと言うようになった。

いくら優しい河馬と言えど、もう許せない。

河馬の鉄ちゃん同様断固テクシー氏と縁を切る。

こないだ元、気ちがい河馬の元嫁さんに電話したら、懺悔と反省、感謝の日々を過ごしなさいと言われた。

2014-07-01 19:04:26 | 風景
元嫁さんはひさびさに電話に出てくれた。
開口一番「ブログ読んでるわよ、随分と自己合理化が激しいんじゃ無い。
都合の悪いことは、みんな忘れて。」と言われた。

そう言われれば、確かに長期入院中の前後の事など、ところどころ記憶が欠落しているのは明らかだ。


昔、25年以上前はなかなか良い薬が無く、寝る前の薬なぞ20錠近く飲んでいた。
42~3歳のころである。
それでも安眠できず、大きな寝言を叫んだり、ベッドで寝返りを打ち、リノリウム張りのコンクリートの床に転落し、したたかに頭や腰を打った。それでも目が覚めず、コンクリートの床で寝ていた。目が覚めたとしても体が硬直していてベッドに這い上がる事などとても無理だった。

 毎夜病棟中に大きな音を深夜響かせていたそうな。
ベッドは今のような低床のベッドでなく、高いベッドの上、床は今の設備は、ソフトな絨毯仕様だが、昔の病棟はそうでなかった。

冬季など転落しても寝ている、体重100Kg近い河馬を深夜勤の二人の看護婦さんが高いベッドに乗せて戻すのは、難儀な作業だっただろう。

人生の危機、長期入院を終えて10年ばかりたったころ、顔馴染みの男の看護師が、河馬にこう言った。
河馬に掌に山盛りの赤、白、黄色の錠剤を飲ませていて「僕らがあんだけの薬飲んだら、3日で死ぬと思って飲ませていた。」と言ったので腹がたった。

元嫁さんは自己合理化が激しいと非難するけれど、人間誰しも、障害者であれば、あるほど現実(症状)を受け止め、自己肯定的にならなければ生きてはいけないと河馬は思うのです。