10/16

2013-10-16 22:08:59 | 日記
私はいつも青を求めてきた。
音楽を聞くことは青を見るために他ならなかったし、絵画や写真は青であれば内容に関わらず好むところとなった。
部屋に1人でいるとき、私は青となっている。ゴルトベルクの第25変奏、リストのコンソレーション第3番、ショパンのノクターン8番、モーツァルトのピアノソナタ12のアダージョ……太陽が沈み、月も未だ輝かない短いひと時……昼と夜の狭間、あっという間に闇に呑まれてしまう、静かで少し悲しい青。
私は青となりたい。しかし一番優れているのは緑だ。緑がなければ世界はなんとも味気ないと言ったのはサンテグジュペリだったか。星の王子様のようなクソ小説を書く男でも、優れたことは言うものだ。緑となるには、黄色が必要だ。黄色……笑顔に隠されたかなしみ。意地は悪くないが優しくもない色。か細い強かさ。
青と青が混ざっても、いっそう青は深まるだけだろう。青は沈黙、黄色は歌声、緑は談話。ああ、青に還りたい。いつでも、青は私の還る色だ。青と混じって美しい色になるのは、黄色くらいだろう。白は色なのだろうか。白を見たことがない。
海をまだ見ぬ人にとって、青は空でしかないのだろうか。けれど、海を見て「青い」と感じることはないように思う。青いのは、水中だ。溺れたこともないのになぜ水中を知っているのか。また水辺だ。水辺は辿りつくした。けれど、青の美しいのは潤いがあるためでもある。台風の日、空は灰色だったが、世界は青だった。それは雨の水気のために他ならない。

ああ、これって「薄明」と言うのか。おお、ヘルダーリン!けれど私の言う青は薄明とも違う気がする。もっと亀裂的だ。太陽は完全に失われているし、闇も未だ来ない。明るくないし、暗くない。モーツァルトのような美しい矛盾。

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