元教員の資料箱

昭和43年から35年間、教育公務員を務めました。その間に使用した教育資料です。御自由に御活用ください。

文献紹介・「聞く聴くドリル」(文英堂・2008年)

2012-01-12 00:00:00 | 文献紹介
「聞く聴くドリル」(CD4枚付き・文英堂)で「頭の体操」」を!
 
 もし、お子様から「何のために勉強するの?」と尋ねられたら、何と答えるでしょうか。「いろいろな知識を身につけて、将来、困らないようにするため」「いろいろな技術を身につけて、将来の自立に備えるため」などと答える方が多いと思います。しかし、本当にそうでしょうか。私自身、学校で勉強したことが、社会生活で「役に立った」とは感じられません。例えば、算数・数学、せいぜい「割合の計算」くらいまで(小学校4年程度)は使いますが、分数の計算、方程式、因数分解、微分・積分、三角関数などとはおよそ無縁の生活を送っています。例えば、英語、未だに相手の言うことは、ちんぷんかんぷん、会話は全く不可能です。つまり、学校で学んだことが、社会生活の中で「ほとんど」役に立っていないのです。  
では、勉強をする必要はないのでしょうか。私はそうは思いません。勉強は子どもにとってはもとより、大人にとっても必要な「仕事」だと思います。なぜでしょうか。勉強の目的は「頭を使う」こと、つまり「頭の体操」をすることだからです。適度な運動が健康を保たせるように、適度な勉強は健全な心を養います。物を見分けること、憶えること、計算すること、文字を読み書きすること等々、それらはすべて「頭を使う」ことに他なりません。「頭を使っていれば」間違えてもいいのです。学校の勉強では、なぜか、「間違う」ことが忌み嫌われますが、「間違う」ことをおそれて、「頭を使う」ことを止めてしまうのはもったいないことだと、私は思います。
 さて、「頭の体操」には様々な活動がありますが、中でも最も大切なものは(しかも、つねに見落とされているものは)「聞く」という活動ではないでしょうか。「聞く」という活動は、「話す」「読む」という活動の土台になっています。「聞く」力が不十分な場合、「話す」ことも「読む」ことも十分にはできなくなります。私が英語を「話せない」のは、英語を「聞く」力が十分ではないからです。英文をすらすらと音読できないのも、英語を「聞く」力が十分ではないからです。それは日本語においても同じこと、もし「スムーズに会話ができない」「文章をすらすらと音読できない」「ことばがはっきりしない」(発音に誤りがある)という問題が生じている場合、まず「聞く」力が十分に備わっているかを見極める必要があると思います。
 では、「聞く」力とは具体的にどのような力でしょうか。私の恩師・谷俊治先生(東京学芸大学名誉教授)は、以下の七つを挙げています。
 ①聴力(小さい音まで聞き取る能力。いわゆる「難聴」とは、この能力が不十分な状態をいいます)                                    ②弁別力(音や言葉の違いを聞き分ける能力。この能力が不十分な場合、発音に誤りが生じることがあります)
③記銘力(音や言葉を聞いて憶える能力。昔、小学1年生の国語の教科書に「5つの言葉を聞いておぼえましょう」という単元がありました。成人の場合、数字7桁まで聞いて憶えることが要求されます。昔の電話番号は7桁でした)
④分析力(ひとまとまりの言葉を聞いて、その言葉がいくつの音で作られているかを聞き分ける能力。例えば「木」は一音、「猫」は二音、「机」は三音、「手袋」は四音というように。この能力が不十分だと、かな文字の習得に支障が生じます)
⑤統合力(バラバラの音を聞いて、それらを「まとまり」に統合する能力。例えば、「ア」「タ」「マ」という音を二秒間隔で聞いて「頭」という言葉(意味)が思い浮かぶかどうか。この能力が不十分だと、かな文字を「すらすらと音読する」ことに支障が生じるでしょう。いわゆる「ベンケイガナ、ギナタヲ」式の「拾い読み」の段階の場合、この能力がまだ不十分ということになります。
⑥構成力(言葉を途中まで聞いて、全部(終わりまで)を推測する能力。例えば、「先生さようなら、みなさん○○○○○」という言葉を聞いて、○に該当する音を推測するように。日常生活で使われている音声言語は、つねに「不正確」「不十分」です。それを、聞き手の方が「修正」「補足」しながら「やりとり」できたとき、会話が成立するといえるでしょう。したがって、この能力が不十分だと、スムーズな会話ができにくくなります。
⑦聴解力(ラジオのニュース、朗読、放送劇などを聞いて、その意味を正確に理解したり、登場人物の気持ちを察して感動することができる能力。いわば、①から⑥までの能力が総合された能力といえるでしょう)
 「聞く」能力が不十分という場合、通常、⑦の「聴解力」が不十分ということになりますが、その原因を明らかにするためには①から⑥までの能力がどの程度かを的確に把握する必要があると思います。①の聴力が正常であっても、②の弁別力、③の記銘力が不十分であれば、相手の言葉を正確に聞き取ることはできないでしょう。 
 そんなわけで、まず「音や言葉を聞き分ける」「聞いて憶える」能力を養うことが、「頭の体操」(勉強)にとって最も大切だと思います。  
では、どうすればよいか。最近市販された「聞く聴くドリル・聞き取り練習教材・CD4枚付」(和田秀樹監修・村上裕成・文英堂・2006年)は、恰好の教材だと思います。これまでのドリルは、「読むこと」「書くこと」を中心に作られているものが多く、「聞くこと」に真正面から取り組んだものは、皆無に等しかったと思います。この教材は①「入門編」(5歳程度)、②「小学校1年」(6歳程度)、③「小学校2年」(7歳程度)の三部で構成されており、それを順番どおりにマスターしていけば、「弁別力「記銘力」「分析力」「統合力」「構成力」が、「自然に」身につくようになると思いました。

 今、その一部分(③「小学校2年」)を紹介します。
<問題1 お話のどこがちがう>
 ア、イの2つのお話を聞きくらべ、ちがうところをさがしましょう。ちがうところは1つとはかぎりません。ちがうところがなければ、○をしましょう。
① ア 体育館に入ろうとしたとき、誰かが僕を大声で呼んでいるのが聞こえた。そこで   僕は急いで声のした方に走って行った。
イ 体育館に入ろうとしたとき、誰かが僕を遠くで呼んでいるのが聞こえた。そこで   僕はすぐに声のした方に走って行った。
② ア 明君は八百屋さんまで買い物に行く途中で財布を落としてしまいました。一生懸   命探しましたが見つかりません。それでしょんぼりして家に帰りました。
イ 明君は八百屋さんまでお使いに行く途中でお金を落としてしまいました。一生懸   命探しましたが見つかりません。それでしょんぼりして家に戻りました。
③ ア 桜の花が咲く季節は北の地方に行くほど遅くなります。また同じ地方でも高い山   の上に咲くものほど遅く咲きます。
イ 桜の花が咲く時期は北の地方に行くほど遅くなります。また同じ地方でも高い山   の上に咲くものほど遅く咲きます。
<問題3 大事なことは3つ>
 言われたところに色をぬりましょう。問題を言っている時に、色鉛筆を持ったり、ぬる場所を指でおさえたりしてはいけません。
① 右から4番目に赤色をぬります。
② 左から3番目に緑色をぬります。
③ 左から1番目と4番目に青色をぬります。
<問題5 お話をくりかえそう>
お話がおわったら、すぐにくりかえして言いましょう。
① 太陽も月も 東から出て 西へ 沈みます。 
② 昼の 時間が 1番 長い月は 6月です。
③ 2月が 29日まで ある年を うるう年と 言います。
<問題7 条件に合うのはどれ>
聞こえてくる説明について、条件に合うものをみつけましょう。答えがわからない時は、何も書かずに空けておきます。
① もし、ネズミがネコより大きく、ネコがトラより大きいとしたら、1番大きい動物は 何ですか。
⑤ もし、春が夏より暑く、冬が春より暑いとしたら、この中で1番寒い季節はいつです か。
⑨ もし、コップがやかんより小さく、コップがバケツより大きいとしたら、1番大きい 物は何ですか。

 このドリルの特長は、①CD付であること、②やさしい問題から難しい問題にきめ細かなステップが組まれていること、③1回の時間が10分以内で済むこと、④それぞれの問題ごとに「目標得点」(100%正答でなくてもよい・間違えてもよい・わからなくてもよい)が示されている、ことだと思います。
 お子様と一緒に「頭の体操」(勉強)をはじめたい方、「聞く聴くドリル」をぜひ御活用ください。。。))
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文献紹介・「自閉症の僕が飛び跳ねる理由」(東田直樹・エスコアール出版・2007年)《その5》

2012-01-10 00:00:00 | 文献紹介
『自閉症の僕が飛び跳ねる理由』(東田直樹・エスコアール・2007年)の第三章「感覚の違いについて」の内容要約・感想を続けたいと思います                   
6 痛みに敏感・鈍感?:これは神経の問題ではないと思います。きっと、心の痛みが体に現れているのだと僕は思います。記憶がよみがえることをフラッシュバックと言いますが、僕たちの記憶にははっきりとした順番がありません。髪や爪など痛いはずがないのに切られると大騒ぎする人は、悲しい記憶がそのことと結びついているのでしょう。僕たちの記憶は、一列に並んだ数字を拾っているわけではありません。ジグゾーパズルのような記憶なのです。ひとつでも合わなければ全体がかみあわず完成しないように、他のピースが入ってきたことで、今の記憶がバラバラに壊れてしまいます。体が痛いわけでもないのに、記憶のせいで僕たちは泣き叫ぶのです。

<私の感想>
ここでも東田さんは、「感覚の異常」を「神経の問題」ではなく、「心の痛みが体に現れている」と説明しています。その「心の痛み」とは、「今の記憶がバラバラに壊れてしまう」ために生じると考えられますが、具体的にどのような気持ちなのか、私には実感できません。養護学校教員時代、生徒に修学旅行の「思い出」を作文に書いてもらったところ、さまざまな出来事が「順不同」に綴られていたことがありましたが、「僕たちの記憶にははっきりとした順番がありません」とすれば、当然の結果だったと思います。
 多くの場合、「思い出」には「楽しいこと」が残りますが、反対に「悲しいこと」「苦しいこと」「不快なこと」ばかりがよみがえってくるとしたら、耐えられないでしょう。
 「KOYOライブラリー・4」では「聴覚的記銘力」の問題について考えましたが、「自閉症」の問題と「記憶力」の問題とは密接な関係があるように思いました。

7 偏食が激しいのは?:味覚に異常があると言えばそれまでですが、きっとたくさんの物をおいしいと感じるまで、普通の人より時間がかかるからではないでしょうか。(略)食べるということは生きることです。少しずつでもいいので、食べる練習はすべきだと僕は思います。

<私の感想>
 東田さん自身、偏食の傾向が少ないからかもしれません、ここでは偏食の原因を「味覚の異常」と考えているような気がしました。味覚だけでなく、嗅覚、触覚(舌触り)なども影響しているように、私は思います。

8 物を見るときどこから?:みんなは物を見るとき、まず全体を見て部分を見ているように思います。しかし、僕たちは、最初に部分が目に飛び込んできます。その後、徐々に全体が分かるのです。どの部分が最初に目に入るのかは、その時の状況で違います。色が鮮やかだったり、形が印象的だったりすると、それに目がいってその部分一点に心が奪われて、何も考えられなくなるのです。

<私の感想>
観光地の駅前にある案内図(地図)等をみるとき、私たちの目にも「部分」が飛び込んできます。視野が360度でない限り、私たちはまず「部分」を見て、そこを基点に周囲を「見回しながら」全体を把握するという見方をしているのではないでしょうか。したがって、東田さんの見方が私たちと著しく変わっているとは思えません。違うところは、「部分一点に心が奪われて、何も考えられなくなる」ことだと思います。ドナ・ウイリアムスは、著書『自閉症だった私へ』の中で(あるいはテレビ番組の中だったかもしれません)、「スーパーマーケットで必要なものを探すのが苦手だ。その理由は、最初に目に入った商品が目に焼き付いてしまうから」というようなことを述べていました。だとすれば、「視覚的記銘力」(ものを見て記憶する力)が「高すぎる」ということが考えられます。テンプル・グランデンは、著書『我、自閉症に生まれて』の中で、「私の知的活動は完全に視覚的なので、図面を引くような視空間的作業はやさしい。私は鋼鉄とコンクリートの家畜施設をデザインすることはできるが、電話番号を記憶したり暗算することには困難を覚える」と書いています。「高すぎる」視覚的記銘力が、専門的技術に結びついた好例ではないでしょうか。養護学校時代、電車、立体地図、アニメのキャラクター、似顔絵などを、フリーハンドで見事に描ける子どもたちに、何人も出会いました。その才能を「専門的な技術」に高め、社会自立に活かすことができなかったことを反省しています。

9 衣服の調整は難しいですか?:僕は、いつも同じ服を着ていたい人の気持ちも分かります。服は自分の体の一部のような物なので、同じだと安心します。自分を守るためには、自分の力でできることをやらなければなりません。それが僕たちにとっては、体になじんでいる服を着ることなのです。  

<私の感想>
 私自身、冬になると「毛糸のセーター」を着ることが苦手です。特に、とっくりのセーターは、首の周りがチクチクして耐えられないのです。子どもの頃、「こんなに暖かいのに・・・。何がそんなに嫌なのか?」と問われ「首がチクチクする」と答えると、「贅沢言うな!」と叱られたおぼえがあります。したがって、衣服の調整が難しいのは「皮膚感覚」(触覚)が敏感すぎるためではないか、と私は考えていましたが、東田さんは、「体になじんでいる服を着る」ことによって「自分を守る」意味がある、ということを教えてくれました。「体温調節」「清潔」が保たれるようにするにはどうすればよいかを考え、工夫することが大切だと思いました。

10 時間の感覚はありますか?:僕たちは怖いのです。自分がこの先どうなるのか、何をしでかすのか、心配で心配でしょうがないのです。自分で自分をコントロールできる人には、この感覚は分からないでしょう。僕たちの1秒は果てしなく長く、僕たちの24時間は一瞬で終わってしまうものなのです。 
 
<私の感想>
 自分で自分をコントロールできないため、自分がこの先どうなるのか、何をしでかすのか、心配で心配でしょうがないという「恐怖感覚」は、私にはありません。その感覚が、「時間の感覚」に結びついているということも、私には体験できません。「自分がこの先どうなるのか」と思うことはありますが、それは一瞬であり、すぐに忘れてしまいます。 養護学校時代、高等部の修学旅行を引率したとき、「しおり」をいっときも手放さない生徒がいました。彼はそこにある「旅程表」と「時刻」をつねに確認するのです。はじめの目的地に着くと何時何分、見学はそこそこに出発は何時何分、次の目的地は何時何分、移動の電車に乗ると下車駅何時何分というように・・・。まさに腕時計とにらめっこしながら旅行は終わりました。彼の頭の中には、「現在」を感じる(見聞し楽しむ)というよりも、つねに「時間に追われ」「この先どうなるのか」という不安が満ちあふれているように感じました。東田さんの感覚と共通するものが彼にもあったのでしょうか。

11 睡眠障害はどうしておこるのでしょうか?:僕も小さい頃、夜遅くなっても眠れないことがありました。人間なのに、どうして夜になっても眠れないのか、僕は不思議でした。(略)寝なくても本人は平気そうに見えますが、とても疲れています。どうして睡眠障害が起こるのかは分かりませんが、寝ない時期が続いても、叱らないでそっと見守って下さい。

<私の感想>
 この問題は大変深刻だと思います。睡眠障害の原因が分からないからです。私たちの場合は「運動不足」「不安」「ストレス」等が、不眠症の原因として取りざたされています。また、適度な運動、アルコール飲料、睡眠薬などで対応していますが、それらが該当しなければ、手の打ちようがありません。「寝ない時期が続いても、叱らないでそっと見守る」他はないのでしょうか。
(つづく))))
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文献紹介・『自閉症の僕が飛び跳ねる理由』(東田直樹・エスコアール出版・2007年)・《その4》

2012-01-06 00:00:00 | 文献紹介
自閉症の僕が飛び跳ねる理由』(エスコアール・2007年)の第三章「感覚の違いについて」の内容要約・感想を続けたいと思います                   
2 空中に字を書くのは?:僕の場合は、覚えたいことを確認するために書いているので す。書きながら見たものを思い出します。それは、場面ではなく文字や記号です。文字 や記号は僕の大切な友達なのです。なぜ友達なのかというと、いつまでも僕の記憶の中 で変わらないからです。

<私の感想>
「沈思黙考」という言葉がありますが、「考える」という活動とはどういうものなのでしょうか。「思い出す」「比べる」「分類する」「計画する」「想像する」「類推する」等々、様々な活動が含まれていると考えられますが、いずれの場合でも、頭の中に「情報」が蓄積されていなければならないでしょう。その「情報」が多ければ多いほど「考える」ことが容易になります。したがって、「考える」土台として、まず「覚える」(「情報」を頭の中に蓄積する)ことが重要です。東田さんの場合、それを「書く」という活動によって行おうとしていることが分かります。私たちの場合でも、「忘れないように書いておく」「英単語を書いて覚える」ように、「書く」という活動と「覚える」ことは密接につながっており珍しいことではありません。しかし、私たちは同時に「聞いて覚える」という活動もしています。東田さんの場合、その活動が苦手なために、その代償として「書いて覚える」という活動が大きなウエイトを占めているのではないでしょうか。彼の頭の中には、文字や記号など「視覚的な情報」がたくさん蓄積されているのに比べて、「音声言語」「音楽」など「聴覚的な情報」が不足しているのではないか、と思いました。

3 耳をふさぐのは?:人が気にならない音が気になるのです。(略)音がうるさいとい うのとは、少し違います。気になる音を聞き続けたら、自分が今どこにいるのか分から なくなる感じなのです。その時には地面が揺れて、回りの景色が自分を襲って来るよう な恐怖があります。だから、耳をふさぐのは、自分を守るためにする行動で、自分のい る位置をはっきり知るためにやっているのだと思います。気になる音は人によって違い ます。(略)僕も時々、耳をふさぐことがあります。僕の場合は、ふさいでいる手をだ んだんゆるめて音に慣れていきました。その音に慣れることで、克服できる場合もある と思います。

<私の感想>
 気になる音のことを「不快音」といいます。私たちでも「大きすぎる音」「金切り声」「ガラスがこすれる音」「動物の鳴き声」「不協和音」「いびき」等々、思わず耳をふさぎたくなる「不快音」をたくさん経験しています。また、東田さんの言うように「気になる音は人によって違います」。私の考えでは、「自閉症」と呼ばれる人は、聴覚が「敏感すぎる」ために、「不快音」が多すぎるのではないか、ということです。「絶対音感」を身につけているために「不協和音」に耐えられないのかも知れません。「耳鳴り」のように、体内の音を感じているのかも知れません。いずれにせよ「自分が今どこにいるのか分からなくなる」「地面が揺れて、回りの景色が自分を襲ってくる恐怖」を感じていることを、私たちは理解しなければならないと思います。「耳栓」「ヘッドホン」などで、少しでも、その「不快感」「恐怖感」を軽減できないかと思いました。

4 手や足の動きがぎこちないのは?:手足がいつもどうなっているのか、僕にはよく分 かりません。僕にとっては、手も足もどこから付いているのか、どうやったら自分の思 い通りに動くのか、まるで人魚の足のように実感の無いものなのです。自閉症の子供が 人の手を使って物を取ろうとするのも、距離感が分かっていないために、自分の手では どれくらい伸ばせばそれに届くのか、どうやればつかめるのか、分からないからだと思 います。実際に何度も経験すればできるようになります。しかし、いまだに僕は人の足 を踏んでも分からないし、人を押しのけても分かりません。触覚にも問題があるのかも しれません。

<私の感想>
 「自閉症の子供が人の手を使って物を取ろう」とすることを、専門家は「クレーン現象」等と称し、行動特徴の一つに挙げています。しかし、「なぜそうするのか」ということについて、東田さんのように「距離感が分かっていないため」と説明できる人は少なかったように思います。また、「いまだに僕は人の足を踏んでも分からないし、人を押しのけても分かりません。触覚に問題があるのかも知れません」という記述も興味深く読みました。混雑している電車の中、駅の構内等で「人を押しのける」人によく出会います。そのたびに「失礼なやつだ」という思いをしていましたが、彼らもまた「触覚に問題がある」のでしょうか。昔、中央線や山手線の満員電車に乗り合わせると、乗客はお互いの体ができるだけ接触し合わないように、考えて自分の「立つ位置」を工夫したものです。しかし、最近は、体がぶつかり合っても平気な乗客が増えているように感じます。ストレスの多い競争社会の中で、「周りの様子が見えない」「他人のことが考えられない」人が増えているのではないかと思っていましたが、「ぶつかった」「押しのけた」と感じていない、とすれば話は別です。新たに「触覚的鈍感」という問題が生じているのかも知れません。
 いずれにせよ、「自閉症」という問題の中には「肢体不自由」感を中心とした「運動感覚」の問題が秘められていることを、私は学びました。

5 体の感覚が違う?:自閉症の人は、体の感覚が違うのでしょうか。そうするのが好き なのでしょうか。たぶん、僕は両方とも違っているような気がします。そうしなければ どうにかなってしまいそうなくらい、その子は苦しいのです。感覚が違うというのは、 神経が正常に働かなくなっているということですが、神経は正常でもその人の気持ちが 感覚の異常を引き起こしているのだと思います。(略)感覚がおかしいと錯覚するのは、 苦しさのために自分がそう思い込んでいるせいだと思います。そこに神経が集中すると、 体のエネルギーが一点に集まって、感覚に違和感を覚えるのではないでしょうか。普通 の人は気持ちが苦しくなると、人に聞いてもらったり、大騒ぎしたりします。僕たちは、
 苦しさを人にわかってもらうことができません。パニックになっても、大抵見当違いの ことをいわれるか、泣きやむように言われるかのどちらかです。苦しい心は自分の体の 中にため込むしかなく、感覚はどんどんおかしくなってしまうような気がします。

<私の感想>
私はこれまで、「感覚の異常(敏感さ)」が「苦しさ」の原因ではないか、と考えていました。生活環境の中で受ける様々な刺激(空間、地面、気温、湿度、気圧、電磁波、臭気、光、音、食物、衣服等々・・・)を敏感に「感じすぎる」ために、いわゆる「不快指数」が増大し、それが彼らのストレス、「苦しさ」の原因になっているのではないか。しかし、東田さんの説明では、逆に「苦しさ」が、「感覚異常」の原因ということになります。では、その「苦しさ」の原因は何でしょうか。生理的な感覚とは別の次元で、「人とスムーズにかかわることができない」「自分の気持ちを表現できない」「自分は誤解されている」等、社会的(心理的)な次元での「苦しさ」なのでしょうか。東田さんは「対人関係について」の章で次のように書いています。「僕たちのようにいつもいつも人の迷惑をかけてばかりで誰の役にも立てない人間が、どんなに辛くて悲しいのか、みんなは想像もできないと思います」。つまり「人に迷惑をかけること」が「辛くて悲しい」(苦しい)のです。また、「はじめに」では、「どうして、自分が障害者だと気づいたのでしょう。それは、僕たちは普通と違うところがあってそれが困る、とみんなが言ったからです」と書かれています。要するに、東田さんの「苦しさ」は、周囲の人が「困る」ことによって生じる、ということになります。「普通と違う」ことを、周囲の人が困らなければ「苦しさ」は軽減し、「感覚の異常」も緩和されるということです。このことは、私にとって新しい発見でした。
 「言語障害治療学」の分野でも、周囲の人の反応(困り具合の程度)が、「問題の大きさ」を左右する、という考えは「常識」です。まず周囲の人が、「現在の状態」をあるがままに受け容れ、「迷惑をかけられた」と思わないこと、「困らないこと」が、大切であることを、改めて私は学びました。(つづく)


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文献紹介・「自閉症の僕が飛び跳ねる理由」(東田直樹・エスコアール出版・2007年)《その3》

2012-01-03 00:00:00 | 文献紹介
 『自閉症の僕が飛び跳ねる理由』(エスコアール・2007年)の第二章「対人関係ついて」の内容を要約してみたいと思います。                    

1 目を見て話さないのは?:相手の人の目を話すのが怖くて逃げていたのです。
2 手をつなぐのが嫌い?:手をつなぐことは、いやではないのです。他に興味のあるも のが目につくと、手を振りほどいてついそちらに行ってしまうのです。
3 ひとりでいるのが好き?:僕たちだって、みんなと一緒がいいのです。だけど、いつもいつもうまくいかなくて、気がついた時にはひとりで過ごすことに慣れてしまいまし た。
4 声をかけられて無視するのは?:ずっと遠くの人が、僕に声をかけても僕は気がつきません。(略)僕が悲しいのは、すぐ側にいる人が、僕に声をかけてくれた時も気がつ かないことです。
5 表情が乏しいのは?:みんなが僕たちと同じような考えではないからです。(略)楽しいと思えることやおかしいことが、みんなとは違うのだと思います。そのうえ、辛いことや苦しいことばかりの毎日ではどうしようもありません。
6 体に触られるのは嫌?:体に触られるということは、自分でもコントロールできない 体を他の人が扱うという、自分が自分で無くなる恐怖があります。そして、自分の心を見透かされてしまうかも知れないという不安があるのです。
7 ものすごくハイテンションになるのは?:理由が見当たらないのにけらけら笑い出したり、ひとりで大騒ぎしたりすることがあります。(略)みんなには分からないかも知れませんが、思い出し笑いの強烈なものと思ってください。
8 フラッシュバックはどんな感じ?:いつ、どこで、誰と何をした、ということは、その時のことは覚えているのですが、全部がバラバラでつながらないのです。僕たちが困っているのは、このバラバラの記憶がついさっき起こったことのように、頭の中で再現 されることです。再現されると、突然の嵐のようにその時の気持ちが思い出されます。 これがフラッシュバックです。楽しいこともあったはずなのに、フラッシュバックで思い出すことはいやな思い出ばかりです。すると僕は急に苦しくなり、泣き出したりパニックになったりします。
9 少しの失敗でも嫌?:僕は、何か失敗すると頭の中が真っ暗になります。                               10 言われてもすぐのやらないのは?:やりたくない訳ではないのです。気持ちの折り合いがつかないのです。(略)自分がやりたくても、やれない時もあります。体がいうことを聞いてくれない時です。体がどこか悪いのではありません。なのに、まるで魂以外は別の人間の体のように、自分の思い通りにはならないのです。それは、みんなには 想像できないほどの苦しみです。僕たちは、見かけではわからないかも知れませんが、自分の体を自分のものだと自覚したことがありません。
11 何が一番辛い?:僕たちが一番辛いのは、自分のせいで悲しんでいる人がいることです。
12 普通の人になりたい?:僕たちは自閉症でいることが普通なので、普通がどんなものか本当に分かっていません。自分を好きになれるのなら、普通でも自閉症でもどちらでもいいのです。

 この本の主題(意図)は、著者の東田直樹さんが「自閉症の人の心の中を僕なりに説明することで、少しでもみんなの助けになる」ことですが、第二章「対人関係について」の内容を読む限り、それらは「普通の人」の心の中と「同質である」と感じました。「視線が怖い」「独りになりたい時がある」「考え事をしていれば話しかけられても気がつかない」「心配なことがあれば表情は固くなる」「体が触れあうような人混みは嫌」「思い出し笑い」「不快な場面を思い出して御飯がのどを通らない」「失敗して落ち込む」「思うように体が動かない」「自分以外の人間になりたいかどうかなんて、いくら考えたってわからない」等々、私自身が日常生活の中で感じていること、思っていることと同じです。もし、「違い」があるとすれば、それは「程度(量)の違い」ではないでしょうか。つまり、私たちの誰もが感じている「恐怖」「不安」「不満」「不快」などの感覚・感情が、「感じやすく」「大きすぎる」のではないかと思います。言い換えれば、生活環境や対人関係の中で生じる「刺激」を「ダメージ」「ストレス」として感じやすいということです。
私たちからすれば、「そんなに大げさに感じなくても・・・」と思うことがあるかも知れません。しかし。そのことで毎日「もがき、苦しんでいる」人たちがいることを忘れてはいけないと思いました。東田さんは訴えています。「ずっと、僕たちを見ていて欲しいのです。見ていてというのは、教えることをあきらめないで下さいということです。(略)僕たちは、自分ひとりでは、どうやればみんなのようにできるのか全く分かりません。どうか、僕たちが努力するのを最後まで手伝ってください」。
 力不足の私に何ができるかはわかりません。しかし、「自分のせいで悲しんでいる人がいることが一番辛い」という東田さんが感じるような「現実」を一歩一歩改善するように尽力しなければならないと肝に銘じました。
 
 次に、第三章「感覚の違いについて」の内容について要約したいと思います。私自身、「自閉症」の問題は、この「感覚の違い」にはじまって、「感覚の違い」に終わると考えていますので、その内容ごとに感想を述べていきたいと思います。

1 飛び跳ねるのはなぜ?:僕は飛び跳ねているとき、気持ちは空に向かっています。空 に吸い込まれてしまいたい思いが、僕の心を揺さぶるのです。跳んでいる自分の足、叩 いているときの手など、自分の体の部分がよく分かるから気持ち良いことも飛び跳ねる 理由のひとつですが、最近もうひとつ分かったことがあります。それは、体が悲しいこ とや嬉しいことに反応することです。何か起こった瞬間、僕は雷に打たれたように体が 硬直します。自分の思い通りに動かなくなることです。縛られた縄をほどくように、ピ ョンピョン飛び跳ねるのです。跳べば、体が軽くなります。(略)自分に縛られ、他人 に縛られ、僕たちは籠の中の鳥のように、ピーピー鳴いてバタバタと跳びはねるしかあ りません。
<私の感想>
なるほどそうだったのか、と私は思いました。従来、私は、飛び跳ねることによって「視界が動く」からではないか、と考えていました。「自閉症」と呼ばれる人の中には、「くるくると回るもの」「乗り物の車窓画面」など「動くもの」を見続けることが好きな人がいます。専門家はそれを「視覚刺激要求行動」(飯田誠)などと言っていますが、自分が飛び跳ねる(動く)ことによって、周りの事物が「動く」ように見えるので、その刺激を求めているのではないか、という考えです。
 しかし、東田さんは「体の硬直感を解きほぐす」「体の部位を確認する」ためだと説明しています。そういえば、養護学校時代、「体が凝り固まっている」児童・生徒がたくさんいたように思います。私が「親しみを込めたつもりで」彼らとのスキンシップを求めたとき、「雷に打たれたように体が硬直」してしまったのだな、と思います。「自分に縛られ」「他人に縛られ」という感覚は、「肢体不自由」感そのものです。しかし、私は、「自閉症」を「肢体不自由」の問題として理解しようと考えたことはありませんでした。
 テレビドラマ『僕の歩く道』の主人公は、「ピーヒョロロ、ピーヒョロロ・・・」とつぶやきながら、大空を自由に羽ばたくトンビの姿を追い求めました。「僕たちは籠の中の鳥のように、ピーピー鳴いてバタバタと跳びはねるしかありません」という東田さんの言葉とぴったり重なるような気がしました。
では、その「肢体不自由」感、「自分に縛られ」「他人に縛られ」という感覚は、どうして生じるのでしょうか。
 それは今のところ明らかにされていませんが、ともかくも次の内容について考えていきたいと思います
(つづく))
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文献紹介・「自閉症の僕が飛び跳ねる理由」(東田直樹・エスコアール出版・2007年)《その2》

2011-12-30 00:00:00 | 文献紹介
 『自閉症の僕が飛び跳ねる理由』(エスコアール・2007年)の「はじめに」で、東田直樹さんは次のように書いています。<自閉症の人の心の中を僕なりに説明することで、少しでもみんなの助けになることができたら僕は幸せです>。
 今、「自閉症」という言葉がひとり歩きして、私たちは「自閉症」という言葉を聞いただけで、何かわかっような気がしています。「人との関係がうまくいかない」「スムーズな会話ができない」「こだわりがある」「人の気持ちが読めない」等々。しかし、それらは、「自閉症」と呼ばれる人の行動を「外側」から見て評価しているに過ぎないのではないでしょうか。大切なことは、「どうしてそのような行動をするのか」という原因を理解することだと思います。そのためには、「自閉症」と呼ばれている人自身の説明が、何よりも貴重であり、大いに参考になるでしょう。「自閉症」と呼ばれる人の行動を、その人の立場に立って「内側」から理解することができるからです。
 では、「自閉症の人の心の中」はどのようなものでしょうか。
はじめに、第一章「言葉について」の内容を要約してみたいと思います。

1 大きな声を出すのは?:コントロールできない声というのは、自分が話したくて喋っ ているわけではなくて、反射のようにでてしまうのです。
2 いつも同じことを尋ねるのは?:どうしてかと言うと、聞いたことをすぐに忘れてし まうからです。
3 質問を繰り返す(オウム返し)のは?:僕らは質問を繰り返すことによって、相手の 言っていることを場面として思い起こそうとするのです。(略)会話はすごく大変です。 気持ちを分かってもらうために、僕は、知らない外国語をつかって会話をしなくてはい けないような毎日なのです。         
4 何度言っても分からないのは?:やっている時には前にしたことなどあまり浮かばず に、とにかく何かにせかされるようにそれをやらずにはいられないのです。
5 独特の話し方なのは?:普通の人は、話をしながら自分の言いたいことをまとめられ ますが、僕たちは本当に言いたい言葉と、話すために使える言葉とが同じでない場合が あります。そのために、話し言葉が不自然になるのだと僕は思います。
6 すぐに返事をしないのは?:時間がかかるのは、相手の言っていることが分からない からではありません。相手が話をしてくれて、自分が答えようとする時に、自分の言い たいことが頭の中から消えてしまうのです。
7 上手く会話ができないのは?:どうして話せないのかは分かりませんが、僕たちは話 さないのではなく、話せなくて困っているのです。自分の力だけではどうしようもない のです。

 前述したように、自閉症と呼ばれる人の行動特徴として「スムーズな会話ができない」ことが指摘されていますが、ここではその原因を窺うことができるような気がします。
 スムーズな会話ができるようになるためには、①相手の言うことを正確に理解する、②自分の言いたいことを言葉で的確に表現することが必要になりますが、東田さんの場合、そのどちらもが不十分な状態です。では、どうしてそのような状態になるのでしょうか。
「いつも同じことを尋ねるのは、聞いたことをすぐに忘れてしまうからです」「すぐに返事をしないのは、自分が答えようとする時に、自分の言いたいことが頭の中から消えてしまうのです」と述べているように、東田さんの「聴覚的記銘力」(音を聞いて頭の中に貯めておく力)が不十分であることは明らかです。「自分の言いたいことが、頭の中から消えてしまう」のは、日本語の音韻体系が頭の中に記憶されていないためでしょう。私たちでも、外国語の音韻体系は頭の中に記憶されていません。したがって、外国語をスムーズに話すことができないのです。その結果、「見れば分かるのに、相手が何を言っているのか分からない」という「もどかしさ」を感じることになります。ちょうど洋画を字幕なしで見るような「もどかしさ」です。最近のテレビでは、インタビューの場面で字幕スーパーが流されることが多くなりました。それに慣れてしまうと、音声だけでは「よく聞き取れない」という不安が生じます。東田さんの場合、日本語を文字で提示されれば分かるのに、音声で提示されると理解できない、その「差」が極端なのではないでしょうか。「もどかしさ」や「不安」も倍増し、過度なストレス、欲求不満が蓄積することは当然です。「僕は、知らない外国語を使って会話をしなくてはいけないような毎日なのです」という言葉が、そのことを証明していると思います。

 東田さんは「第一章 言葉について」の中で、私たちに以下のことを要望しています。
1 みんなは、僕たちのことをこりないと思っているのでしょう。みんながあきれている のも悲しんでいるのも分かっています。分かっているのにやめられない僕たちですが、 どうかこりないでください。みんなの助けが僕たちには必要なのです。
2 僕が言いたいのは、難しい言葉をつかって話して欲しいと言っているわけではありま せん。年齢相応の態度で接して欲しいのです。
3 (独特の話し方について)でも、何回も練習すれば、だんだん上手くなると思います。 へたでも決して笑わないでください。
4 僕たちの話す言葉を信じ過ぎないで下さい。態度でも上手く気持ちを表現できないの で難しいと思いますが、僕たちの心の中を分かって欲しいのです。基本的には、みんな の気持ちとそんなに変わらないのですから。
5 僕たちは、自分の体さえ自分の思い通りにならなくて、じっとしていることも、言わ れたとおりに動くこともできず、まるで不良品のロボットを運転しているようなもので す。いつもみんなにしかられ、そのうえ弁解もできないなんて、僕は世の中の全ての人 に見捨てられたような気持ちでした。僕たちを見かけだけで判断しないで下さい。どう して話せないのかは分かりませんが、僕たちは話さないのではなく、話せなくて困って いるのです。自分の力だけではどうしようもないのです。自分が何のために生まれたの か、話せない僕はずっと考えていました。(略)自分の気持ちを相手に伝えられるとい うことは、自分が人としてこの世界に存在していると自覚できることなのです。話せな いということはどういうことなのかということを、自分に置き換えて考えて欲しいので す。

 「話せないということはどういうことなのかということを、自分に置き変えて考え」るために、私たちの「英語力」を考えてみてはどうでしょうか。NHKテレビに「英語でしゃべらナイト」という番組があります。私はその番組が嫌いです。1,2回見ただけで、見ることをやめました。なぜなら、その番組では「英語を話す」ことが「すばらしい」才能として評価されているからです。私自身、全く英語を話せないという「ひがみ」に違いありませんが、英語をぺらぺら(スムーズに)話している人を見ると、「うらやましい」のを通り越して「にくらしい」気持ちになってしまうのです。中学3年、高校3年、大学4年と、10年間も英語を勉強したはずなのに、どうして自分は英語を話せないのだろう。自分自身が情けなくなってしまいます。しかし、東田さんの気持ちはそんな「なまやさしい」ものではないと思います。私の場合はテレビを見なければすみますが、東田さんは、毎日の生活の中で、「うらやましさ」「情けなさ」を甘受し続けなければならないからです。
 東田さんの「日本語力」と、私の「英語力」には、共通点があるような気がします。「文字」として提示されれば理解できるのに、「音声」として示されると「ほとんど分からなくなる」ということです。つまり、言葉を身につける方法が同じなったのではないでしょうか。「聞く・話す」ではなく「読む・書く」方法が先行したのではないでしょうか。
 したがって、東田さんの「日本語力」を、スムーズな会話能力に高めるためには、もう一度「聞く」能力を養う学習が不可欠ではないかと、私は感じました。
(つづく)

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文献紹介・「自閉症の僕が飛び跳ねる理由」(東田直樹・エスコアール出版・2007年)《その1》

2011-12-21 00:00:00 | 文献紹介
 『自閉症の僕が飛び跳ねる理由』(エスコアール出版)という本があります。2007年2月発行、著者は千葉県立君津養護学校中学部2年生(当時)の東田直樹さんです。彼は、これまでに7冊の著書を刊行し、「第4回・第5回『グリム童話賞』中学生以下の部大勝受賞はじめ、受賞歴多数」とのことです。恥ずかしながら、私が彼のことを知ったのは、つい最近のことでした。たまたま、NHK「福祉の時間」という番組で紹介されたのを視聴したからです。(最初の著書が刊行されたのが2004年9月(「自閉という僕の世界」)ですから、私自身は○○学園を退職し、○○教育センターで「教育相談」を担当していた時期に当たります。しかし、職場でそのことが話題にのぼった記憶がありません。)さっそく周囲の関係者に彼のことを尋ねてみましたが、大半の人は「知らない」と言うのです。自閉症の研究をしている養護学校でも、そのことが採り上げられ注目されたことはないようでした。外国では「自閉症である自分」のことを著書にし、日本語に翻訳されている例があります。(『自閉症だった私へ』(ドナ・ウイリアムス・新潮社・1993年)、『我、自閉症に生まれて』(テンプル・グランデン・学習研究社・1993年)しかし、日本人がそのような著書を刊行していたことは全く知りませんでした。特殊教育に携わった者として深く反省しています。
 ところで、私より以前に彼のことを知っていた人たちも少数ながらいました。彼らに「どうしてこれまで話題にされなかったのか、画期的なできごとではないか」と尋ねましたが、その反応が実に「あいまい」なのです。極言すれば、それらの著書は「信用できない」ということなのでしょう。つまり、日頃の彼の生活ぶりを見ると、「そのような文章表現ができるわけがない」という判断をしているのだと思います。
 私自身も『自閉症の僕が飛び跳ねる理由』という本を一読して驚嘆しました。<はじめに>では、「自閉症の人の心の中を僕なりに説明することで、少しでもみんなの助けになることができたら僕はしあわせです」「人は見かけだけでは分かりません。中身を知れば、その人ともっと仲良くなれると思います」などという文章が載っています。とても、「障害のある」中学生の文章とは思えません。
 しかし、私は「信じたい」と思います。なぜなら、「自閉症の人の心の中」を知りたいからです。また、「障害児・者」と呼ばれる人たちの「可能性を信じたい」からです。(別の言い方をすれば、私は「自閉症」「障害児・者」という概念を必要としません。生活や学習を行ううえで様々な支障が生じ、周囲の支援を必要としている人はいます。支援を当然の「権利」として享受すべき人もいます。しかし、その支障は、時と場合によっては誰にでも生じうるものであり、その程度も「連続的に変化」しているに過ぎません。私たちの誰もが「自閉症」「障害児・者」と呼ばれる人たちの支障を「共有」しているはずなのです。しかし、「自閉症だから」「障害児・者だから」という理由で、その人の可能性を制限するおそれはないでしょうか。その概念は、あらたに「健常者」という概念を生み出し、両者は「異質なのだ」という「差別感」を生じさせているような気がしてならないのです。周囲の支援者の中でさえ、仲間うちでは「ジヘイチャン」「ダウンチャン」などという呼称を使っている現状があります。「自閉症」「障害児・者」という概念は、そう呼ばれる人の生活を豊かにし、可能性を実現する保障がない限り、言い換えれば、そう呼ばれる人が周囲から「白い目」で見られることがない社会にならない限り、不要なものだと私は思います。
 ドナ・ウイリアムズ、テンプル・グランデン、そして東田直樹さんも、「自分は自閉症である」ことを認め、生活や学習面で生じる様々な「支障」を明らかにしています。それは、とても勇気の要ることではないでしょうか。周囲からの「白い目」が倍増されるかもしれないからです。事実、東田さんの場合には、「信用できない」という「不審の目」(白い目)で見られているではありませんか。彼は書いています。「僕が自分の意思で筆談できるようになるまで、長い時間が必要でした。鉛筆をもった僕の手を、お母さんが上から握って一緒に書き始めた日から、僕は新しいコミュニケーション方法を手に入れたのです」この文章の中で、私は「長い時間が必要でした」という部分に注目します。どれくらいの時間が必要だったのか、その間、どのような試行錯誤を繰り返したのか、筆談ができるようになった「きっかけ」は何だったのか、しかしこの著書では明らかにされていません。多くの人は「鉛筆をもった僕の手を、お母さんが上から手を握って一緒に書き始めた」という部分に注目するでしょう。お母さんが一緒に書いているのだから、彼自身の表現とはいえないではないか、その疑問は当然だと思います。手を動かすのが「僕」なのか、「お母さん」なのか、二人以外には誰も分からないからです。私の想像では、やはり、手を動かしているのは「僕」だと思います。もし、お母さんが手を動かしているとすれば、そうなるまでに「長い時間」を必要とはしなかったのではないでしょうか。お母さんの手の動きにあわせれば、自動的に字を書くことができるからです。これも私の想像ですが、「長い時間」彼は、言葉を「文字」として頭の中に貯えていたのだと思います。通常、私たちは言葉を「音」として頭の中に貯えます。それが「単語」として表現できるまでには1年間、「文」として表現できるまでには2年間、「日常会話」として表現できるまでには5年間という「長い時間」が必要だといわれています。しかし、彼は別の著書(『この地球にすんでいる僕の仲間たちへ』・2005年)で、次のように書いています。「僕には聞こえないのです。音は聞こえるけれど、意味になって頭の中に入ってこないのです」つまり、彼は、言葉を「聞いて憶える」ことができなかったので、言葉を(文字という媒体を通して)「見て憶える」ほかはなかったのではないか、と考えられるのです。 
 彼の文章は、「障害のある中学生」のものとは思えません。しかし、彼がこれまで「目にした」文章は、おそらく「童話」「物語」「参考書」など「豊富な語い」「正しい文法」で表現されていたものではなかったでしょうか。もしそうだとしたら(それらの文章が文字として頭の中に貯えられていたとしたら)、出てくる(表現する)文章が「驚嘆すべき」内容であっても不思議ではないと思うのです。
 彼の文章は、「障害のある中学生」のものとは思えません。しかし、彼は「日常会話」には「大きな支障」を感じています。前述書では次のようにも書いています。「言葉の理解はきっと、音を聞き取って英語を訳すように、言葉の意味を頭に入れることでしょう。言葉がわかっても、うまく訳せないと意味がつながりません。意味がつながっても、つなげ方が悪いと何を言っているのかわかりません。いくつもの段階を経て、やっと文章が理解できるのです」。ここでは、「単語」がわかっても「句」はわかりづらい、「句」がわかっても「文」はわかりづらい、「文法」(語順)を理解する段階を経て、やっと「文章」(相手の意図・主題)が理解できるようになる、ということが述べられていると思います。このことは、私たちが「英会話」をしなければならない場面に感じる「支障」と「全く同じ」ではないでしょうか。「英会話」がスムーズにできないのは、まず、相手の言葉を理解できないからです。「英語」の「単語」「句」「文」、そして「文法」(語順・格変化等)が「音」として、頭の中に入っていないからです。相手が何と言っているのかわからない、わかったとしても、どう言えばよいかわからない、という点では、彼が「日常会話」で感じる支障と、私たちが「英会話」で感じる支障は共通しています。 
さらに彼は、次のようにも書いています。「僕はお母さんの言うことならすべてわかります。それは第1に安心感、第2に言葉のリズムや高低が良くわかっていること、第3に話の予測がつきやすいためでしょう」。いずれも、コミュニケーションの「鉄則」として、銘記しなければならない内容だと思います。
 「またお母さん?」と感じるかもしれません。東田直樹さんにとって、お母さんは「必要不可欠」な存在であったことは間違いないでしょう。これまでの経歴(含・著作歴)に、お母さんの支援・協力があったことは事実です。しかし、その内容は「第1に、安心感」を与えたことだったということに注目したいと思います。「可能性」は「安心感」を土台にして芽生えることを証明しているからです。その「可能性」が本当に信じられるかどうか、『自閉症の僕が飛び跳ねる理由』の内容について、もうしばらく皆さんと一緒に考えてみたいと思います。(つづく)
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文献紹介・「チャレンジする心」(箕輪優子・家の光協会・2005年)

2011-07-12 00:00:00 | 文献紹介
 親や教員にとって、子どもの「可能性」を信じることは最も大切なことですが、では、実際にどうすればよいかということになると、口で言うほど容易なことではありません。
「人間、その気になれば何でもできる」などと言う人もおりますが、私には信じられません。その気になっても、「できないことはできない」というのが本当ではないでしょうか。人間の能力(生まれながらの「素質」)は「千差万別」であり、ある人が「できる」のに、ある人は「できない」というのが自然な姿だと思います。つまり「できる」ことには個人差があります。大切なことは、その「個人差」を無理に埋めようとしないことです。みんな「違って」いいのです。みんなと同じことが同じようにできなくていいのです。
 「できないよりできる方がいいにきまっている」という常識は誤りです。場合によっては、「できない方がいい」ことだってあるのです。「いじめる」「からかう」「傷つける」「盗む」「殺す」などという犯罪行為は「できない方」がいいのです。
 したがって、「可能性」を信じる、ということは「できる」ことを増やすことではありません。「できるようになることを」お祈りすることでもありません。生きている人間は、全てが「可能性」をもっています。「生きている」こと自体が「可能性」であると言ってもいいでしょう。心臓が動いている、呼吸をしている、食物を摂る、排泄する、そうした「生命活動」そのものを見届け、「生きていること」を共感し合うことが、「可能性」を信じることに他なりません。医学の進歩により、人間の「可能性」は際限ない広がりを見せ、平均寿命も90歳に近づきつつあります。「人生五十年」といわれた時代に比べて、私たちは「30年間」という時間を余分にもらうことができるようになったのです。とはいえ、そのことを「たしかな喜び」として実感している人は少ないようです。どうすれば、「可能性」を信じることができるのでしょうか。
 最近、ある保護者から『チャレンジする心・知的発達に障害のある社員が活躍する現場から』(横河電機株式会社 箕輪優子・家の光協会・2005年)という本を紹介されました。表紙には「障害とは何か、人間の可能性とは何か、仕事とは、そして自己実現する喜びとは何かを、根本から問いかける貴重なドキュメント。」と、内容が紹介されています。「可能性」を信じる参考になると思いますので、私の感想を述べてみたいと思います。
 著者である箕輪優子さんは、教育・福祉の専門家ではありません。あくまでも会社の利益(障害者雇用率向上)のために、特例子会社「横河ファウンドリー」を設立して六年、経営は軌道に乗り、今では十八名に増えた社員が<「僕が行かないと仕事がストップしてしまう」と言って、飛び起きて会社にやってくる>までになりました。障害者雇用にかかわる関係者の見学が後を絶たないそうです。
 この成功の要因は何でしょうか。 
まず第一に、箕輪さんが「教育・福祉の専門家ではなかったこと」が挙げられると思います。特に、「知的障害」に関する知識はほとんどありませんでした。その結果、<採用試験で市販されている知能テストの類を使うことなどは、全く考えなかった。療育手帳や障害者職業センターの判定書の記載も考慮に入れなかった。そのことが結果的に正しかったのだと思うが、客観的な能力判定ではなく、自分たちの直感に頼る人選となった>のです。その「直感」は、「面談」と「作業」を通しての「チャレンジ精神」を探るものでした。<作業の出来などは、どうでもよかった。ともかく、できなくてもやってみようというチャレンジ精神を見たかった。しばらくすると、作業を投げ出してしまう人、おしゃべりを始める人、立ち歩く人が出始めた。何とかあきらめずに見慣れない道具と格闘してくれたのは六名だけだった>、その六名が「横河ファウンドリー」の礎になりました。箕輪さんは<知的障害者の中には苦手なことが多い人がいるのは事実だが、一般社会で求められる能力を十分に発揮できる人も大勢いて、障害の質も程度も個人差がかなりあることなどには思い至らない。また、障害について書かれた文献の中には、障害だけに焦点を当てていて、障害者のトータルな人間像にまでは言及していないものもある。障害者に対するステレオタイプのイメージを、文献できちんと勉強されている生真面目な人ほどもっていたりする>と、専門家の「先入観」を疑問視しています。「知能テスト」「判定書」などの「客観的な能力判定」が、「障害だけに焦点を当てていて、障害者のトータルな人間像にまでは言及していない」傾向は否めません。箕輪さんはまた、「障害の程度なんてわからない」<企業の人事担当者にとって必要な情報は、目の前の応募者がどのような可能性をもつ人なのか、どのような潜在能力を秘めているのかということである。できないことや劣る点ではなく、できることや優れている点については、自分自身で確かめるしかない。そのために行った採用試験で選ばれた六名なのだから、社員の多くが、実は重度の障害者であったということは、私にとってはほとんど意味をもたなかった>とも述べています。専門家の知識が、障害者の可能性を妨げているかもしれないことを留意し、反省しなければならないと私は思いました。
第二は、箕輪さん自身の「チャレンジする心」だと思います。<実習生六名の仕事の力量は全く未知数だ。と同時に、私の事業運営の力量も未知数だ。六名を巻き込んだ上で共倒れ。そうならないように全員でがんばるしかなかった。私は何でも自分で試してみないと気がすまないタイプなので、実習のメニューもひと通りやってみた。精密機械の解体は、けっこうおもしろかった。見事に製品をバラバラにすることができると、妙な達成感がある。パズルを解くような知的な快感もある。同じことを繰り返すことで、製品の構造がわかってくるのも、うれしかった>と述べています。まず自分が試すことによって、その面白さ、達成感、快感を体験し、「働く喜び」を確信できたのだと思います。それを実習生六名に伝えることが人事担当者の役割でした。しかし、<ひとりだけ意欲はあってもスキルを伴わない人がいた>のです。箕輪さんは「ショック」でした。「頭を抱えて」しまいました。でも、さらにチャレンジします。<ハンダごては苦手でも、マウスなら使えるかもしれない>という発想の転換が成功の要因になりました。<今ではパソコンによる業務は横河ファウンドリーの象徴のようになっているが、もともとは解体作業が不得意な実習生が、思わぬ才能を示したのがきっかけだった>のです。
 第三は、「コミュニケーションによる成長」を重視したことだと思います。<仕事をしていく上で、円滑なコミュニケーションを取ることが重要であることは言うまでもないが、当社の社員にとって、それは伝達事項を正確に伝える以上の意味がある。言葉を交わし合うことが、彼らの自尊感情をはぐくみ、成長を促すからだ。しかし、彼らとのやり取りは、相手を尊重する気持ちさえもてば成立するものではない。日々の体験の中で、私自身が試行錯誤しながら学ばなければならないことがたくさんあった>と、箕輪さんは述べています。私は、その「試行錯誤」がすばらしいと思いました。「ヘビを見た?」と唐突に言ってくる社員・Dとの会話(「試行錯誤」)を通して、<私は、Dがなぜ言葉を言い捨てていくのかが少しわかった気がした。Dは何となく言葉を発していたのではなく、私と話がしたかったのだ。ただ、何を話題にたらいいのかわからなくて、最初はDがもっとも印象深かったヘビの話を持ち出したのだと>と思うようになりました。以後、社員とのコミュニケーションを円滑に図るために、①自分の話し方を反省すること、②余計な修飾語は省き、小分けにした内容を丹念に伝えていく、③平易な表現にこだわらない、④話が伝わらないことをあきらめないこと、また、社員相互のコミュニケーションのために、①トラブルを話し合いで解決すること、②表情を観察し合い、相手の気持ちを察することが大切であることを確認できたからです。
 以上、『チャレンジする心』について感想を述べましたが、この本にはまだまだ多くの示唆に富んだ内容が盛られていますので、ぜひ皆さんで回読されればと思います。口で言うほど容易ではない「可能性を信じる」ことの実際例を知るための貴重な参考書になるのではないでしょうか。

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文献紹介・「変光星」(森口奈緒美・飛鳥新社・1996年)

2011-07-06 00:00:00 | 文献紹介
 「変光星」とは、宇宙に実在する星の名前ですが、著者の森口さんが、父親の転勤にともない「転校」を繰り返したことから、「変な転校生(変に光る星)」という意味で、自分自身を「もじって」表した言葉です。森口さんは、1963年福岡市で生まれ、以後、藤井寺(大阪)、横須賀(神奈川)、大湊(青森)、伊勢原(神奈川)、松戸(千葉)、目黒(東京)、長崎(長崎)、世田谷(東京)と転居を繰り返しながら幼児期、小・中学校時代を送ります。その回想は、決して「楽しい思い出」ではありません。周囲の人の気配から、自分がどこか「変」なように感じているが、どこが「変」なのか、どうして「変」なのか、よくわからない。乳児期、<赤ちゃんにはよく、視覚的に訴えるいろんなおもちゃがあるが、いつまでも私はそれを手でぐるぐる回したまま、手放そうとしなかった。ところが授乳となるとまるで逆様だった。(略)母は私に哺乳瓶を持たせようとしたのだが、何故か、手を離してしまう。母親にも自分から抱きつかない。どうやら生物にとって一番基本的な本能が欠落しているようだった>。幼児期、<私の言葉は標準よりはやや遅かった。しかし、いったん発するや否や、それは恐ろしく乱暴な言葉遣いとなった。それは毎晩泥酔して帰宅する父の言葉をそのまま模倣したもので、「貴様」「てめえ」は日常茶飯事だったし、自分のことを「オレ」と呼ぶ始末だった。(略)私の言葉は一方通行で、母や外部の声は聞こえても、頭の中を素通りしたまま、意味のある言葉として通じていなかったからだ>。<やがて私は「幼稚園」に通うようになった。(略)私は大勢の子供たちと一緒にされ、「みんな」と呼ばれる一団の子供の一部となった。幼稚園では集団遊戯とお遊びの時間ばかりなので、「みんな」の中にいるのが嫌だった。それは自分の世界が吹き飛ばされる場所だった。いつ些細な災いが降ってくるかわからなかったからだ>。
通常なら、「友だちと関わる楽しさ」を味わう頃になっても、森口さんはそれを「災い」と感じてしまうのです。学童期、「集団生活」の苦手な森口さんは、当然のことながら、様々な「いじめ」に遭遇することになります。特に、松戸(高木第二小学校)での学校生活は惨憺たるものでした。松戸とは「魔が集う」所だと思うほどに、「災い」は大きく、両親は「転居」を決意します。その「災い」がどのようなものであったかを列挙してみたいと思います。①転校当日、転入生として紹介されなかった。②「集団登校」の際、リーダーから「さあ、行こう」といきなり背中をたたかれ、ショックで癇癪を起こし、喧嘩になった。相手から「気違い」と言われた。③友人宅を訪問、「これなあに、あれなあに?」を連発し、無視されたのでパニックを起こした。④背後からいきなり頭を机にぶつけられた。相手に立ち向かい教室で大暴れした。⑤災難をふっかけられ相手を追って教室まで走っていったとき、先生は逃げてしまった方はそのままにして、私の土足を注意し、終日、床掃除の罰を与えた。⑥体育の授業で見学していると、いつもいじめる男児から髪の毛を引きちぎられた。⑦「粘土消しゴム」を学友にプレゼントしたことが学級会で問題になり、「有罪」になった。⑧新しい分度器を友だちに貸したが、古い分度器とすり替えられてしまった。⑨作文の時間、友だちにだまされて「悪口」を書き連ね、本当に書きたいことが書けなかった。⑩写生の時間、構内にトラックが入ってきて追いかけられ、作品を完成できなかった。そのことを先生に話そうとしたが、先生は話を聞いてくれなかった。⑪「モリグチさんはいじめっ子」という言葉でスキップをしながら、友だちが遊んでいた。問いただすと、欠席したときに先生がそう言ったそうだ。⑫砂場で、人の顔の写真と名前が大きく入ったベニヤ板を使って遊んでいると、先生は「そのポスターで何をしているの」「早くここを離れなさい」、と言い、有無を言わさず私の手を握って、さっさと校舎の方に歩いて行った。
 これらの「災い」が事実であったか、その原因は何であり、誰に責任があったかを簡単に判断することはできません。森口さんは書いています。<基本的に、その先生は、生徒たちの自主的な判断を尊重する、良い先生だったのである。ところが肝心の生徒が未熟過ぎた>。<「高木第二小学校」での、数々の苦い経験は、集団生活の何たるかを、自分の魂の奥深くにまで刻み込むことになった。それは、独りでいることは良くないこと、みんなと違っていることは悪いこと、つまり自分がいけないのだということもよくわかった。自分に悪気がないだけに、このことは私をひどく困らせた>。
 私にはよくわかるような気がします。学校は、そして教員は無意識のうちに「みんなと同じことが、同じようにできること」をめざしているのではないでしょうか。先日も、ある小学校で授業参観したとき、先生が生徒に質問しました。「町探検で、どんなことをすればよいと思いますか?」三人の生徒が手を挙げましたが、先生は指名せず、次の質問に切り替えました。先生にしてみれば、三十人以上の生徒の中で三人の反応しかなかったので、もっと多くの生徒に応えさせたいと思うのは当然かもしれません。しかし、挙手した生徒の側からすれば、「せっか、く応えようとしているのに、先生は無視した」と感じることも、また当然だと思います。私の経験からも、このようなやりとりは「日常茶飯事」であり、知らず知らずのうちに、先生に対する「不信感」が高まるのだと思います。
 『変光星』を読み終えて、私が最も強く感じたことは、学校は何のためにあるのか、「みんなと同じことが、同じようにできること」をめざした結果、一人一人の「可能性」が見落とされていることはないか、ということでした。特に最近、頻繁に取りざたされている「特別支援教育」という考え方の中で、その問題がどのように解決されようとしているのか、論議を深めるべきだと思います。「高機能自閉症」「注意欠陥多動障害(ADHD)」「学習障害(LD)]等、「発達障害」と診断された人の中には、そもそも学校という「集団」が苦手で、そこに「災難」しか感じないという人たちも数多くいるのではないでしょうか。
森口さんは『変光星』のエピローグで書いています。
<「学校」という場所では「大局」でもなく、「足元」でもなく、常に「目先」の問題だけに対応し続けなければならない。ほんの少数の、ほんの目先の人間のために、視野を邪魔され、学校に居続けられなくなってしまう。これを逆に言えば、ほんの少しの助けがあれば、学校でやっていけるということでもある。私はずっと級友や周りの人たちなどから、しょっちゅう「性格を直せ」と言われ続けたが、不思議なことに「人格を直せ」とは全く言われなかった。いかに、周囲の人たちが、枝葉を問題にしているかが如実に出ていると思う。しかし、性格よりも人格を向上させ、偏った性格をより適した方向に向ける方が、むしろ大切ではないかと思うのだが、そういう意味では、集団生活よりも、古典に親しむ方がむしろ価値があると思う。孤独の世界を極めれば、道も自ずと見えてくるものだ。だから学校なんか行かなくてもいい、と今の私は考えている。「学ぶ」ことは、本来は孤独な行為である。しかし独学だと、どうしても「行き詰まり」というものが出てくる。それを支えるのが「学校」なのだ。だから「学校が生活の中心」ではないのである。したがって、「学校」は、いわば「孤独を補佐」する機関であるのが望ましく、決して「孤独を増長」させる場であってはならないと思う。いっそのこと、独学ができない人が学校に行く、というふうに、法律を変えて、選択できるようにしてみてはどうだろうか?>
 引用が長くなりましたが、「不登校」「集団適応」「学業不振」など、現在の学校で様々な「問題」を「かかえさせられている」子どもたちの「気持ち」を代弁してくれているようで、貴重な提言であると思いました。
 森口さんはまた、「自閉症」という障害について、「知覚あるいは感覚過敏ゆえ、この世の物事に生真面目に取り組みすぎる結果、かえって、自衛本能的に背を向けてしまうことが多いので、自閉的に見えるのは実は二次的現象に過ぎないと私個人では思うのだが・・・」と遠慮がちに述べていますが、私自身の「仮説」と寸分違わず一致していることに感動しました。(2007.8.17)  

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