東京でカラヴァッジョ 日記

美術館訪問や書籍など

漱石のモナリザ、『永日小品』

2022年06月03日 | 西洋美術・各国美術
2022年5月29日、こんな事件があった。
 
 パリ、ルーヴル美術館にて。
 36歳の男性が、女性高齢者に扮装し、車椅子でモナリザに近づき、突然立ち上がり、クリーム菓子を投げつけたが、強化ガラスに守られたモナリザは無事、また、ガラスはモナリザの胸から下あたりを中心に広い範囲をクリームで覆われるが、その顔あたりは覆われることはなかった、とのこと。
 
 
 
夏目漱石『永日小品』モナリザ
 
 井深は日曜になると、襟巻に懐手で、そこいらの古道具屋を覗き込んで歩るく。
 
 安くて面白そうなものを、ちょいちょい買って帰るうちには、一年に一度ぐらい掘り出し物に、あたるだろう。
 
 色摺の西洋の女の画が、埃だらけになって、横に立て懸けてあった。
 
 きっと安いものだと鑑定した。
 聞いて見ると一円と云うのに、少し首を捻ったが、硝子も割れていないし、額縁もたしかだから、爺さんに談判して、八十銭までに負けさせた。 
 
 
 井深がこの半身の画像を抱いて、家へ帰ったのは、寒い日の暮方であった。
 
 どうだ。
 気味の悪い顔です事ねえ。
 八十銭だよ。  
 
 踏台をして欄間に釘を打って、買って来た額を頭の上へ掛けた。
 
 この女は何をするか分らない人相だ。見ていると変な心持になるから、掛けるのは廃すが好い。
 なあに御前の神経だ。
 
 
 黄色い女が、額の中で薄笑いをしている。
 薄い唇が両方の端で少し反り返って、その反り返った所にちょっと凹を見せている。
 結んだ口をこれから開けようとするようにも取れる。
 または開いた口をわざと、閉じたようにも取れる。
 
 口元に何か曰くがある。
 けれども非常に落ちついている。
 切れ長の一重瞼の中から静かな眸が座敷の下に落ちた。 
 
 その晩井深は何遍となくこの画を見た。
 どことなく細君の評が当っているような気がし出した。
 
 
 けれども明日になったら、そうでもないような顔をして役所へ出勤した。
 
 四時頃家へ帰って見ると、昨夕の額は仰向に机の上に乗せてある。
 午少し過に、欄間の上から突然落ちたのだという。
 
 額の裏を開けて見た。
 すると画と背中合せに、四つ折の西洋紙が出た。
 開けて見ると、印気で妙な事が書いてある。 
 
「モナリサの唇には女性の謎がある。原始以降この謎を描き得たものはダ ヴィンチだけである。この謎を解き得たものは一人もない。」  
 
 
 翌日井深は役所へ行って、モナリサとは何だと云って、皆に聞いた。しかし誰も分らなかった。
 じゃダ ヴィンチとは何だと尋ねたが、やっぱり誰も分らなかった。
 
 井深は細君の勧めに任せてこの縁喜の悪い画を、五銭で屑屋に売り払った。
 
(以上、抜粋)
 
 
 19世紀末から20世紀初頭、ヨーロッパにおいて異様なレオナルド・ブームがあったらしい。
 漱石の英国留学の時期(1900〜03)は、そのブームの時期にあたる。
 このブームの火付け役をしたのが、英国の作家ウォルター・ペイターの『ルネサンス』に収められた「レオナルド・ダ・ヴィンチ」の章。
 漱石は、その記述を下敷きにしたようである。
 
 
 漱石は、ルーヴル美術館の「モナリザ」を見たのだろうか。
 
 漱石は、1900年9月に横浜を出港し、10月17日にナポリに到着、翌18日にナポリ国立考古学博物館を見学し、再乗船して19日にジェノヴァで下船、28日にロンドンに到着するまでの間、21〜28日の7泊、パリに滞在している。
 
 パリでは、開催中のパリ万国博覧会に3日も訪問するが、ルーヴル美術館に行ったという記録はないらしい。
 
 漱石が見たのは、1902年にロンドンのロイヤル・アカデミー・オブ・アーツで開催された「昔日の巨匠展」の出品作、当時個人蔵の「モナリザ」とされる。
(現在ではコピー作品とされる。)
 
 2013年の東京藝術大学大学美術館「夏目漱石の美術世界展」に、漱石が所蔵していたその展覧会図録が展示されていた。
 レオナルド・ダ・ヴィンチの「モナリザ」の箇所に、漱石自身に拠るらしいチェック印が残っていた。
(「不惑」との書き込みもあったようだ。)
 
 ロイヤル・アカデミーのホームページでは、その展覧会図録の全ページを閲覧することができる。
 
 漱石は、ルーヴル美術館の「モナリザ」と別バージョンの、レオナルド自身の手による「モナリザ」だと信じて観ていたのだろうか。
 
 
 
【参照】
谷川渥『文豪たちの西洋美術』河出書房新社、2020年12月


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