フォ~☆シーズン~☆

思っているんだけどウサギは?からスタート
てくてく山歩き・神社参りを楽しんで、今が一番素敵に過ごせたら・・

☆下総国一宮:香取神宮<第一鳥居は、津宮鳥居河岸から>

2016-02-18 | ■関連その他 山と神社仏閣

 

平安時代に成立した延喜式によると、江戸時代以前から「神宮」と称されていたのは伊勢神宮・鹿島神宮・香取神宮の三社だけで

その創建は神武天皇十八年(紀元前643)と神代の時代まで遡る古い歴史のある神社です

香取市は香取神宮とともに歴史を歩み、数千年以上もの昔から人々の崇敬を集め、時には地域の守護的な役割を担ってきました

 

 

御祭神

経津主大神(ふつぬしのおおかみ)又の御名伊波比主命(いはひぬしのみこと)



御事歴

大神は天照大御神の御神意を奉じて、鹿島の大神と共に出雲の国の大国主命と御交渉の結果

円満裡に国土を皇孫に捧げ奉らしめ、更に国内を御幸して荒振る神々を御平定され、日本建国の基をお築きになり、

又東国開拓の大業を完遂せられて、平和国家の建設と民生の安定福祉に偉大なる御神威を顕わされた

 

御神徳

古来国家鎮護の神として皇室の御崇敬最も篤く、特に「神宮」の御称号を以て奉祀され、名神大社として下総国の一の宮である

明治以後の社格制では官幣大社に列せられ、その後勅祭社に治定せられて今日に至っている

奈良の春日大社、宮城の鹽竈神社(しおがまじんじゃ)を始めとして、香取大神を御祭神とする神社は全国各地に及んでおり

昔から伊勢の上参宮に対し下参宮と云われ、広く上下の尊崇をあつめて居る

又、一般からは産業(農業・商工業)指導の神、海上守護の神威は心願成就、縁結び、安産の神として深く信仰されている

尚その武徳は平和、外交の祖神と敬われ、勝運の神、交通安全の神、災難除けの神として有名である

                                           =参照= 旅なび!佐原

 

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香取神社参道正面にある第二の鳥居、神域に入っていきます

参道の石燈籠は古式威厳を込めてお出迎え圧巻です

第一の鳥居は別場所にあります

 

 

 

 総門前の狛犬

 

   

 

  総 門

 

 

 こちらは楼門前の狛犬

 

    

 

お手水舎

 

 

楼 門

 楼上の額は海軍大将・東郷平八郎の筆

随身像は、右が武内宿禰(たけしうちのすくね)、左が藤原鎌足とされ、裏側を狛犬が護っています ↓

本殿・拝殿(現祈祷殿)・楼門は、江戸五代将軍徳川綱吉が造営した

                            

 

 

 中世の古瀬戸狛犬ではないですね、木彫です

楼門の拝殿側に鎮座していました

 

  

 

お手水舎でお清めが済み、楼門をくぐると雅な雅楽の音色が響いてきた

10分前だが、<お祓い所>での神事が始まりました

 

 

 

 

拝殿での斎行

 

 

無事に祈年祭は終わり、ワタクシたちの参拝・拝観へ

 

 

神 殿

檜皮葺屋根、黒塗権現造りの典雅な社殿である 

黒を基調とした重厚華麗な社殿は、2014年の式年大祭「式年神幸祭」に合わせて大改修され、美しく蘇りました

本殿・幣殿・拝殿が連なる権現造の社殿は、同形式では最大級の規模です

 

 

 摂社  鹿島新宮

ご祭神:武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)、天隠山命=高倉下命(あまのかくやまのみこと、たかくらじのみこと)

本殿右後方にあり、フツヌシ大神のペア神・鹿島神宮のタケミカヅチ大神と

初代神武天皇に布都御魂(フツヌシ大神を顕現化した霊剣)をもたらした高倉下命が祀られています

 

 

 摂社  匝瑳神社(そうさじんじゃ)

ご祭神磐筒男神(いわつつおのかみ)、磐筒女神(いわつつめのかみ)

本殿左後方にあり、フツヌシ大神の父母神が祀られています

 

 

練習艦「かとり」は昭和45年に建造され、海上自衛隊の幹部候補生の訓練航海に用いられた

世界各国を歴訪しその際、戴いたたくさんの贈り物は香取神宮宝物館に陳列されている

平成10年に「かとり」は除籍となり命名の由緒の深いこの香取神宮に奉納された

 

 

 

 三本杉


源頼義の祈願により三又に分かれたといわれる大杉で、真中の杉が空洞になっています

空洞の中で青い動く光が見えた、霊感ないけど・・

 

 

盛土は祭事で使ったのでしょうか?

 

 

 祈祷殿(旧拝殿)

祈祷殿は昭和の大修築まで拝殿として使用され、移築されたもの

 

 

御神木

大杉(樹齢1000年)幹回りは7.4m

 

 

さし石

昔から若者たちの間で行われていた力比べに用いた石で、勝者が自分の名前を刻んで奉納した

 

 

神 池

参道を挟んで両サイドに池があります

 

 

参道と並行した道すがら咲いていた椿

 

 

護国神社、要石まで歩きます

 

 

急な石段を登って

 

 

静かな樹林帯に

 

 

広い境内は何もなく、境内西方・要石のほど近くに小さな神社がひっそりと鎮座しています

 こちらの神社が奥宮だと思っていたが違っていた!

護国神社ですね?

 

 

裏に咲いていた椿

 

 

要 石(かなめいし)

地震封じの要石

太古から信仰の対象とされてきた場所

香取神宮の最重要な「心の御柱」的存在の霊石です

 

 

かつて、地震は地中に棲む大ナマズ(又は龍)が暴れて起こすものと考えられていて、要石はその大ナマズを押さえつけるもの

それでこの地方には大きな地震がないと伝えられていました

地上に出ている部分は小さいですが、地中部分は巨大で、決して抜くことができないと言われています

古墳の発掘も指揮した徳川光圀公も、要石の正体を突き止めようと掘らせましたが、掘りきれなかったそうです

香取神宮の要石は凸形で、鹿島神宮には凹形の要石があり、地中でつながっているとも

香取の要石は大ナマズの尾、鹿島の要石は頭を押さえているとされます

東日本大震災時には、巨大なエネルギーを放出して被害を抑えた様子です

 

 

末社 押手稲荷神社

 

 

 さて、最初に書いた第一の鳥居は津宮鳥居河岸(つのみやとりいがし)

                           利根川に面して立つ、香取神宮の北3kmの場所にあります

 

 

行き方が分からず利根川まで出ましたが、道の駅「水の郷さわら」まで行って・・尋ねました(*´Д`)

利根川沿いの道路と平行していて、途中土手に上がり鳥居を探した!

 

フツヌシ大神が海路ここから上陸したとされ、かつて香取神宮への表参道口でした

12年に1度の式年神幸祭では、ここから御神輿をのせた御座船が利根川を遡ります

式年神幸祭は、12年に1度の午年に行われる式年大祭で

古くは軍神祭とも呼ばれ、フツヌシ大神による東国平定の様子を模したものといわれます

東国三社はすべて海から神様が来たということで海に向かって鳥居が建っています

 

 

 

 

 

 

津の宮から香取神宮に向かう道

 

 

 

奥宮にお参り出来なかったのでまた行きたい香取神宮でした

次は息栖神社へ参ります

 

 



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