武蔵ゆかりの地巡りの旅の最後に訪れたのは「霊巌洞」でした。
武蔵が晩年、かの「五輪書」を記したと言われる洞穴です。
曹洞宗 雲巌禅寺と言うお寺の奥にその洞はありました。
「兵法之道、二天一流と号し、数年鍛錬之事、はじめて書物にあらわさんと思、時寛永二十年
十月上旬の頃、九州肥後の地岩戸山に上り、天を拝し、観音を礼し、仏前に向かひ、生国播磨
の武士新免武蔵守藤原の玄信。年つもつて六十。」
この言葉を初めに五輪書を記したのです。
堂の中からの景色。
洞は想像と違い「洞穴」と言うより岩の壁を大きくくりぬいたようなそんな場所でした。
そこからは鮮やかな森の木々とむき出しの岩。そして眩しい空。
風に揺られる葉の音の中、武蔵はどんな思いで書を書き上げたのでしょうか。
洞内には大きな一つ岩があり、その上に小さな武蔵の座像が奉られていました。
手の平に乗るような小さな像でしたがその姿にもまたグッとくるものがありました。
これからもこの小さな像はここを訪れる人たちの心それぞれに想いを伝えていくのでしょうね。
熊本滞在3日目はいよいよ宮本武蔵先生の墓と言われる「武蔵塚」へお参りに行くこととなりました。
水俣市から「武蔵塚」のある熊本市までは高速道路を使って約1時間半。
想像以上に遠い道のりだったのですが、近付くにつれいやがおうにも心沸き立つ地名がナビの画面
にも。
もう、武蔵一色。
「武蔵塚」は、「武蔵塚公園」と言う公園の中にあり、よく手入れされた小さな人工の池や小川の
ある緑豊かなとても心安らぐ場所でした。
駐車場から階段を上って公園内に入るとまずは武蔵先生の像が待っていてくれました。
武蔵は当時としてはかなり長身だったといわれていますが、その像もかなりの迫力でいきなり感激
してしまいました。
武蔵野の墓と言われる武蔵塚。
供えられた花束などを見ると宮本武蔵の存在が未だ多くの人々の中にあることを実感させられます。
僕もしばらく手を合わせ、現在に伝わるこの偉大な人物に想いをはせるのでした(^^)
親父家に着いたのは7日の夜20時前。
久しぶりに母とも再会。
想像以上に立派な邸宅でした。
夜着だったのと長旅の疲れもあって外回りや周辺の散策は次の日にすべてまわす事にし、
母が準備してくれた料理と酒で夜を過ごしたのでした。
明朝、親父に連れられて自宅前の道を少し車で登ると、たったの5分ほどで絶景絶景。
八代海を一望し、海の向こう天草の島々が見渡せる大パノラマでした。
こんな場所で生活できるとは本当に羨ましいかぎり。
普段の自分の環境からすると全ての時間の流れがゆっくりと流れるような、そんな場所でした。
この後、熊本在住の父や母の親戚の方々や先祖のお墓参りなどへ行ってきました。
この地に来る前はもっといわゆる「田舎」を思い浮かべていたのですが、役場や体育館、それに
繁華街もわりと近く自然が豊かな場所でありながらも生活もしやすく、本当に良い所だなと
正直ホッとしたのでした。
親戚への挨拶回りを終えて夕方、親父と弟と男3人で近くの温泉宿のお風呂を借りて汗を流した後、
夜は母の親戚の方々と居酒屋で宴会(^^)
またまた酔っ払って熊本の夜はふけていきました。
明日はいよいよ僕が熊本でもうひとつ、どうしても成し遂げたかった「武蔵ゆかりの地巡り」へ
出かけます。
父親が今年でめでたく定年退職となりました。
これまであまり感じた事がなかった感情なのですが、これまでのことを振り返ると
本当に感謝の気持ちでいっぱいになります。
親父、お疲れ様。本当にありがとうございました。
以前から話はあったのですが、退職したらおふくろと二人でしばらく故郷の熊本で過ごしたいと
言っていた事が実現し、親父たちが熊本は水俣に移り住むことになったので今回、弟と一緒に
二人の新居を訪ねることになりました。
親父の自家用車を運ぶ事も兼ねていたので、愛知から約11時間走ってきましたよ。
そんなわけで、しばらくの間
「ジュン、武蔵ゆかりの地「熊本」へいく!!」編スタートです。
冒頭の言葉とか台無し、とか言うツッコミは受け付けません(ぉぃ)
ほら、関門橋の案内地図の写真にもある地名が書いてあるじゃないですか?
「巌流島」。
ね♪