赤ちょうちん

フロンターレサポでテニス初心者でしがないサラリーマンのボヤキ場

所得格差

2007-08-08 17:38:10 | 時事問題
久しぶりに、ちょっと時事ネタを。

よく言われる格差拡大の問題。非正規雇用が増えて低所得者層が拡大していると盛んに喧伝されている。で、その歯止めのために地域別の最低賃金改定を議論しているそうで、目安を19~6円上げで一致したとかニュースになっている。

この問題を考える際に、いつも疑問に思うことがある。そもそも所得格差の拡大が問題なのか、ということ。ま、ありがちな疑問といえばそうだと思う。で、何で私がそう思うかというと、所謂低所得者層だとかワーキングプアだとかいう問題は、労使間で解決すべき問題だからというのが前提としてある。端的に言えば、低賃金に不満があるのならストライキ(流行らない)をちらつかせて賃上げを要求するか別の仕事に就けばよい、という事になる。

で、何でそこまで(自分も労働者の身でありながら)突き放した感じの事を考えるのかというと、日本における弱者とはワーキングプアとかニートとかではなく、身体障害者とかドヤ街にすらいられないような人達なのでは?という考えがあるから。あと母子家庭とか。

となると社会保障制度の話になるのだけれども、国が保障しなければならない層=日本国民の中でも最低限度の生活をしている人達(以下、最低層と呼ぶ)という認識を持つ必要がある。勿論、最低層というのは貶めている訳ではなく、保障を受けている人たちが卑屈になる必要は無い。堂々と受け取れば良いと思っている。それでも尚、これをワザワザ書いたのは、概念上の認識として必要と感じている為。

では何故必要なのかというと、それは憲法二十五条に「最低限度の」という文言があるから。念のために引用すると

1.すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
2.国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

で、これを実現しようと思えば、必然的に「最低限度とは何ぞや」という話が出てくる。否応無しに。この現実を無視して「最低層だなんて不謹慎、差別的」みたいな批判は、空理空論でしかなく、むしろ問題解決の足を引っ張る存在でしかない。問題を解決しようと思えば醜い現実を直視しなければならず、その過程で一見自由だとか平等だとかに反するように思える話だってしなければならない。最終的に自由だとか平等だとかを実現する為に。子供じゃないのだから、現実離れした(若しくは問題解決に寄与しない)ような理屈をこねくり回してご満悦という訳には行かない。問題をどう解決するのかという話に収斂していく必要がある。で、その話を経て(官僚が考えて国会の承認を経て)、生活保護を受けている人たちがいると認識するのが妥当だろう。つまり生活保護を受けている人たちが、即ち国の考える最低限度の生活をしている人たちである、と。

そうである以上、その保障を受けている人たちよりも「良い暮らし」が出来ているのならば、それは国が保障する必要の無い「健康で文化的な」生活を営んでいる事になる(そう看做さなければならない)のだから、国が面倒を看る必要は無いのではないのかというのが私の考え。もしそうではない(ワーキングプアの面倒も看なければならない)と言うのであれば、もっと厳しい状況に置かれている最低層として生活保護を受けている人たちの生活も、もっと引き上げなければならないはず。所得格差よりも生活格差の方が重要でしょうと。所得が無くても蓄えがあれば良い暮らしは出来るのだから。あとこの「国が面倒を看る」というのは1か0かの問題ではなく、労働基準監督署があるので、現状のシステムで対応は十分可能な範囲だと見ている。

ちなみに、所得格差は所得がある人たちの中での格差なのに対し、生活格差は生活している人たち(つまり全国民が対象)の中での格差になるので、対象者の範囲が変わってくる。私はこの格差問題の中に、所得の無い人たちも含めるべきだと考えている。

で、格差格差言う割には弱者代表として出てくるのはワーキングプア。本当の弱者にスポットライトは当たらない。もしかしたら、私が弱者と認識している以上の弱者が存在しているのかも知れないし。と考えているので、これは単にマスコミが煽って針小棒大に見せた幻の問題なのでは無いだろうかと、私は勘繰ってしまっている。

ま、ワーキングプアと呼ばれる人達が厳しい生活をしていると言うのを否定するつもりは無い。ただ、それよりももっと厳しい生活をしている人たちがいると言う事は認識しておいた方が良いと思う。不衛生な環境での生活を強いられて体にカビが生え、医療費が支払えない為に治療もままならないような人が。ここら辺は結局は相対的な問題であり、どこまでが保障の範囲になるのかという話になる。そしてそれは決して抽象論やキレイゴトで決まるのではなく、日本がどの程度の福祉国家を目指すのか(予算がGDPの何%)というのと、弱者と呼ばれる人たちの数と日本の国力との綱引きによって決まるのだと思う。

またこの「最低限度」をしっかりと認識していれば、天災の被災者への対応や諸外国への援助(日本国政府は、日本国民に保障している以上の生活を外国人に保証する必要は無い)の基準になるのでは無いかと考えている。ま、これらは私の想像の範囲で、実際には難しいのかも知れないけれど。

そんな事を考えているのでマスコミの要らない煽りに国民が乗っかったばかりに、国が不要な対応を強いられているようで、何だかなぁ・・・という思いがしてならない。

以下、そんなに低所得が問題なら所得税を全般的に引き下げて代りに消費税を引き上げて直間比率の是正をして生活の質に応じて納税額が自然と変わるようにした方が・・・でも橋龍が所得税据え置きのまま消費税を引き上げたもんだから経済の腰が折れて失われた十年で日本国民の間には消費税引き上げに対するアレルギーがありそうだしそもそも今の日本人の購買意欲は低いし・・・などとグダグダな感じになるので割愛。

ま、いずれにせよ自分の所得にあった趣味を見つければそこそこ幸せな訳で。あーサッカー観たいテニスがしたい。

WE その4:運用に関する共通認識の構築

2007-01-15 18:41:53 | 時事問題
今回はホワイトカラーエグゼンプション(WE)その4、運用について。

WE導入の建前として、ホワイトカラーの処遇を労働の時間ではなく役割や成果で決めるというのがある。である以上、各労働者の成果を検証する場が必要になってくる。つまり、固定給にしろ成功報酬にしろ、その額を決める際には必ず「成果」を吟味しなければ、WE導入の建前が実現されることは無い。

で、実際にはこれが意外と厄介なのだ。売り上げや利益など、お金で推し量ることが出来るのならばどんなに楽か。例えば営業が100万でとってきた仕事を、様々なコストの合算が80万で、目出度く納品し、会社が20万の利益を上げたとする。

この時、仮に営業の「成果」を100万として、その100万が高いのか安いのか。本来150万でとってくるべきだったとすれば、マイナス評価になる。逆に80万でしかとってこれなさそうだったとするなら、プラス評価になる。

コストの部分(製作などを担当する側)も同様に、普通考えて100万は掛かるところを80万に抑えたと見るのか、60万で十分できたのに80万かかったと見るのかで、評価は分かれる。要は、期待値との差分がどうなのかという話が必ず出てくる。結構、すったもんだのやり取りをやろうと思えばやれるくらい、ものは言いようの世界になる。

挙げた例では利益をだしているから、それ程醜い争いには発展しないかも知れない。しかし赤字になった場合の責任のなすり付け合いが加わると、果たして冷静な評価が下せるかどうか。更に言えば、評価者による評価の甘辛も無視できない。

これをなるべく回避しようと思うと、事前の意識摺り合わせが必須になる。コストは最低でも幾ら掛かりますよ、と、関係各位に周知しておく必要がある。同様に目標売り上げは幾らですよ、というのも。そこをあいまいにしておくと、後々揉める火種を抱える事になる。

とはいえ、完全に公平な評価は臨むべくも無いことを念頭に置く必要がある。にも関わらず、経営者サイドが抽象的な概念や奇麗事ばかりを並べてきた場合は、注意が必要だと思う。ある程度冷めた考えで、提言の具体的内容を理解し、実際の運用時には建前通りにならない事を覚悟しておけば、変に言いくるめられる事も無いだろう。

個人的な経験で言えば、相手がテンポ良く持論を展開している時に、軽く水を差すような事を言うだけで、ご都合主義な意見は言いづらくなる。ま、それは睨まれる事を覚悟の上でという事になるだろうけれども。

で、仮に事前に認識をあわせていたとしても、その認識が正しいのかどうか検証できない。実際の仕事では、正式に受注する前に見切り発車せざるを得ない場合もあるだろうし、仕様があいまいのまま作業を進めなければならない場合もあるだろう。途中から話が変わっていく場合も。結局WEのいう「役割や成果で処遇を決める」というのは概念上の話であって、実態を見ればここ数年の流れである成果主義から数歩も離れていない。ちなみに「提言」では、仕事の成果を賃金に反映させる制度を導入している企業は55%で、3年以内に予定しているのは27%となっている(P7)。

その一方で、当期の売上高と言うのは時間が経てば必然的に求まってくる。で、どう考えても、給料はその売上高と無縁ではいられない。例え同じ仕事をして同じ成果を挙げても、会社全体の売上高が違えば、手にする給料も違ってくる。赤字を出した部署の社員から徴収できない以上は、そのしわ寄せを他の社員全員が受ける事になる。

ここら辺を調節する為に、例えば評価を5なり10段階で決め、各段階で幾らになるのか給与テーブルを作成してそれに当てはめて額を決めるという、マッピングなどをする必要がでてくる。この例は成果を絶対的に決め、売り上げとの相対で額を決めるという方式だ。ま、評価を絶対的にとは言っても、部署間で調整などが入れば相対的になってしまうのだけれど、それは言葉のあやと言う事で。

で、既に導入している企業は、今まで述べたような事を実際に行っていると思う。形は千差万別だろうけれども。これらの企業は既に下地が出来ていて、あとは従来残業手当に充てていた部分の分配法を決めるだけだ。

導入していない企業は、上記部分に関してどうするのか、話を詰める必要がある。こういった話を抜きにWEを導入する場合、既に破綻(若しくは事実上の賃下げ)が目に見えているからだ。で、導入が決まったあとは、前述と同様に従来残業手当に当てていた部分の分配法の話になる。

この分配法を考える際に「事実上の賃下げとしない」事を考慮すると、売り上げと人件費の相関関係を決める事になると思う。「現在の人件費総額を変更せず導入する」とか「売り上げの○%(現在の値)を(導入後の)人件費の総額とする」の様に。また、直近3ヵ年の平均を用いたりする事により、極端な変動を避けることは考えられる。あとは、別途改定を何年おきに行うかの合意も必要になるだろう。

成果で処遇を決めるので、個人差が出てくるのは仕方が無い。である以上、事実上の賃下げか否かの判断は、現状をベースにした人件費の総額(若しくは売り上げに対する人件費の割合)に拠るしかなくなる。まずはここが保障されて、初めて賃下げではないと言い切れるようになる。

更に気をつけるべきことは、提言でも触れられている「拘束時間の上限」について合意を得ること。給料が同じでも労働時間(拘束時間)が増えれば、時間当たりの単価が下がり、事実上の賃下げになるからだ。「労働時間」という概念が消滅する変わりに、「拘束時間」という概念を持ち出す。

で、それらの大枠が確定した後で「固定給のみ」「固定給+成功報酬」の話が出てくる。この違いは、利益分配の「粒度」によって変わってくる。全社員を運命共同体的に見立てて、同じ基準で評価したい場合は前者、計上される各売り上げ別(プロジェクト、部署、商品や顧客別など)で評価が異なるようにしたい場合は後者になる。

各部署の独立採算制を導入したり、FA宣言して他部署に自分を売り込んだりできる制度を導入している場合は、後者の方が親和性が高い。ま、ここまで来ると、各企業の経営者と社員が「どう考えるのか」に強く依存してくることになるとは思うけれど。

と、概ね書く事は書いたのだけれども、運用とはいえそれも制度と密接に係わっている事が分かる。例えば人件費総額の決め方を現状と同額とするのか、比率を同じとするのか等。成果に関して明文化しなくても、暗黙の了解という形を取る事により、事実上の制度とみなすことも出来る。とはいえ、これらは制度の運用法の共通認識を労使間で予め構築しておくという意味で、運用とみなした。

交渉の中で、賃下げになりそうな方向へ話が進んだ場合、今までに挙げたポイントを提示すれば、反応で相手の考えている事が何となく分かってくる。基本的な対応としては経団連の提言を良く理解しそれをベースに話を進める。その上で「成果の評価法」「人件費の総額」「拘束時間の上限」その他にも産業医などの話も提言には出てきているが、詰めるべき話を詰めていく。

その様にして初めて、理性に基づいて建設的な主張が出来ると考えている。最後にまとめのエントリを入れようかと思っていたけれど、何だか今回でまとまってしまった様な感じがするので、これにておしまい。また何か思うことでもあれば、追加するかもしれないけれど。

今回のまとめ:
・提言の内容を良く理解し、それをベースに話を進める
・成果の評価法、人件費の総額、拘束時間の上限について話を詰める
・抽象的な概念や奇麗事を連発されても、混乱しないようにする
・どれだけ話を詰めても、その通りに事が運ばない覚悟は決めておく

WE その3:雑感

2007-01-11 20:04:48 | 時事問題
ホワイトカラーエグゼンプション(WE)に関する考察その3。今回は、前回挙げたWE導入時に採られる可能性のある賃金形態「固定給」「固定給+成功報酬」について、運用面で考慮すべき点についてまとめてみたいと思っていた。

しかしその前に、私の基本的な考え方とか価値観とかいうふうな雑感を幾つか。本当はこのシリーズのまとめで書こうかと思っていたのだけれど、後に延ばすと「夢オチ」級の悪手になりかねないと思ったので、今回、"雑談"する事にした。

ちなみにWEに関する一連のエントリで言う「提言」とは、経団連のWEに関する提言のことを指す。

私はこの一連のエントリを「自分のために」まとめている。直ぐに法制化されるとは限らないものの、WEそのものに反対を唱えている人は少ない(多くは時期尚早という点で反対している)ので、いずれは導入されていくものと考えている。

で、日本社会全体がこういう流れである以上、感覚的・感情的に「賛成」「反対」と単に唱えるだけでは、経営者に相手にされない(別の人が建設的な意見を言ったらそっちに耳を貸すし、その意見に自分が納得できるとは限らない)。

実際にWEが導入された場合、各企業毎に労使間の協議が行われるであろう(当然、私の勤め先でも)から、その場で少しでも(出来れば労使共に)有利になるような、建設的な提案を行った方がより良い環境で働けるようになると考えている。ちなみに提言でも、労使間の取り決めを尊重するという方向で書かれている。

その際に、従来よりも状況が悪化するのが確実な場合でも、交渉した方が良い。つまり、最終的な選択肢が「悪い」「とても悪い」「最悪」だとしたら、その中から「悪い」結果に落ち着くよう努力すべきだ、と。「とても悪い」「最悪」を回避する手段として有効。

で、これは例えば選挙に関しても、同じスタンスで通している。時々「まともな候補がいないから選挙に行かない」という人がいるけれど、それは私からしてみれば夢見る少女の意見。私は、政治家になろうという人にまともな人がいるとは思っていない。候補者は全て海千山千の存在と考えて、その中で「とても悪い」「最悪」を除外するという考えで投票している。

話をWEに戻して、「残業代ゼロ」という言葉に国民(マスコミ?)が強く反応しているだけで、WE導入が本当に固定給で長時間労働を強いるのかどうか、疑問に思っている部分がある。理由の1つは、提言の内容。もう1つは、企業の利益になるのかという問題。人件費削減(生産性向上)の為に、長時間労働を強いると言うのが果たして妥当な方策なのだろうか、と。

単純に考えて、人件費を削減したいのなら賃金を安くすれば良い。人件費をそのままに生産力を増強したいのであれば、削減した分で人を増やす事だって出来る。

人を倍に増やしたからといって、出来ることが倍になるわけではない。しかし労働時間を倍にしたからといって、出来ることが倍になるわけでもないのだから、人件費削減や(長時間労働を強いての)生産力向上を目的としたWE導入が合目的的か疑問。どの道、経営者が本当に人件費を削減しようと思えば、他の手を使っても(WE以外でも)実現するだろうという思いもある。

提言を読む限りでは、経団連の考える「労働時間規制の適用除外」とは、深夜残業に関する適用除外に限られている(P18)。その箇所の変更が労働基準法の41条「労働時間等に関する規定の適用除外」である為に、「労働時間規制の適用除外」と言っているのであろうけれども、これは時間制限無しに働かせられるという印象を与える。

「労働時間"帯"規制の適用除外」と言った方が、内容に合っていると思う。例えば海外に子会社がある場合、子会社の現地で「昼」は、日本の「夜」に当たるかも知れないから、夜でも普通に働けるようにしましょう、と(海外云々の似た話は提言P13にもある)。

その言葉を額面通りに受け取れるか否かだけれども、別途P15-16で、「一定期間内の在社時間や拘束時間の上限を取り決め、その時間を超えないようにする」と総量規制(懐かしい響き)めいたものがあるので、「9-18時の拘束がOKなら21-6時の拘束もOKじゃない?」という事を言っているように読める。

重要なのは、P16最後の「このように、ホワイトカラーエグゼンプション制度は、原則として各企業の
労使で適用業務や職務を取り決め、労働時間規制にとらわれない裁量的な働き方を実現しようとするものである。」の一文かなと思える。

どうやら総労働時間が増えるといった話ではなさそうだし、一方的に企業が変更できるというものでもなさそう。そうすると、「マスコミの煽りは何なのだ」となるのだけれども、彼らのアレは今に始まったことではないので仕方ないのかも知れない。

確かに残業手当は(深夜・休出手当ても)無くなるのだけれども、「その分、固定給を増やしてよね」と労使間協議の場で言えば良いだけの事の様な気もしてきた。ま、世の中には法を知らない経営者(社員並みに働くバイトの有給休暇を認めないなど)もいるし、これを口実に経営者の都合の良いようにしてしまおうと悪巧みする経営者がいないとも限らない。

いずれにせよ、ツボを押さえていれば交渉の場で不当に不利な状況に陥ることは無くなる。何度も言うけれど、人件費を削減したいのなら経営者はWEとは無関係に削減するので、WE関係で過度に反応する必要はなさそう。

と、ここまで書いて、何だか結論出たっぽいかなと思えてしまって困る。ま、交渉事がある時点で、「その分、固定給を増やしてよね」を経営者にどう呑ませるのか、方策を考える必要はあるのだけれども。

そういう意味でも、次回に「固定給」「固定給+成功報酬」の運用面について考えをまとめたいと思う。まとめというか、交渉の場で「ああいえばこういう」為の引き出しを作っておくというか・・・そんな感じになるかも知れないけれど。

今回のまとめ:
1.導入時に対応できるようにしておく必要はある
2.しかし、過度に反応する必要は無い

WE その2:賃金形態

2007-01-10 17:35:07 | 時事問題
ホワイトカラーエグゼンプション(WE)に関する考察その2。今回は導入する際の賃金・評価形態に関してまとめていきたい。

具体的には、前回の最後に書いた「請負制の問題」「固定給+成功報酬」の2形態について考えてみる。

まずは請負制の問題。最大の問題は、会社が社員に仕事を割り当てない場合、給料を支払う必要が無いという事。現在は事実上、雇った以上は社員の仕事を賄う義務が会社に生じる。しかし完全な請負制では、この義務が自動的に消滅する。若しくは著しく価値が低い(誰でも出来るような)労働を意図的に割り当て、給料を低い水準に置くことが出来る。

これは通常の社員に対して用いられるケースは稀だろうけれど(企業の利益に結びつかないという意味で)、リストラに準ずる措置として考えれば有効な手段となる。特に鬱病・出産などで休職を経て復職した人などに対して用いられる可能性は大いにある。

それに企業によっては「夏場は忙しい」「年末は忙しい」「年度末は忙しい」と、特定の時期に人が必要になるケースがある。それ以外は、「仕事がありません」と言い出すことも考えられる。こうなってくると使い方としては、派遣社員に対するそれと似ていると思う。

このように突然仕事が来なくなった場合の事も考えて、労働者が保険を掛けられるようにする必要性を感じる。その保険とは、社員が複数の会社の社員になれるようにする事。仕事の供給先が複数あれば、それだけ安定性が増す。

ここで注意が必要なのは、WEを導入している企業のみが掛け持ち対象となる事。WEを導入しない、従来の賃金形態の企業にとっては、社員が別企業と掛け持ちするのは望ましくない(だから現在の様な法制度になっている)ので、WEを導入しない企業を掛け持ちにすることは出来ない。

で、それを理解した上で請負制を導入するというのであれば、労働者側が複数企業から提示された仕事を取捨選択し、どの仕事を優先させるのか判断する事になる。これは、従来の「正社員」ではなく、「個人事業主」といった概念が当てはまる。こうなると形としては「あり」なのだけれども、これ以上はWEの枠組みで議論するのではなく、企業と個人事業主と言う関係の中で議論すべき。

それにWEの枠組みで議論したとしても、企業としては正社員ではない(一般論として)短期で入れ替わる(可能性の高い)労働力に依存することは、業務の連続性や機密保持の観点から望ましくない。請負という形態自体は悪くは無いものの、WEとは相性が悪いように思える。結局、サラリーマンと請負制とが馴染まないのだろう。

で、これらを踏まえた上で更に検討すべき事が1つ。個人も企業もそれぞれの利益の最大化を図るので、上記の選択肢の長所をある程度残して短所を減らした形について。それが「固定給+成功報酬」。上記の請負制の問題点を解決する方策として、仕事が無い場合でも固定給を支払うという考えもある。その流れで「固定給+成功報酬」という形に辿り着くことも考えられる。

固定給を支払って企業と労働者が従来の雇用関係を続けることにより、企業側にとっては業務の連続性・技術の類似性に対応できるようになり、労働者にとっては生活の安定性が保障される。一方で成果に応じた成功報酬を支払うことにより、労働者の「残業」(WE導入後は残業という概念が消滅する)に対する意欲を生み、「労働の対価を時間ではなく成果で決める」という建前をある程度現実に反映できる。

この場合、企業側は損失が発生するリスクを背負うことになる。が、それは現在でもいえる事なので、大きな問題とは言えない。また当然、成功報酬については、事前に協議が必要になる。

この「成功報酬」を「ボーナス」に置き替えると、現状から残業手当を廃止したものと同じになる。しかしボーナスは期間で支払われるものに対して、成功報酬は1まとまりの業務単位に対して支払われるので、完全に一致しない。またボーナスは基本給○ヶ月分の様な算出方法が一般的なのに対し、成功報酬は個別の事前協議の上で決定される。

この段階で、WE導入後の賃金形態は「固定給」「固定給+成功報酬」の2種類に絞られたと見ている。「固定給」は理論上矛盾しているし、良い選択肢だとは考えていない。しかし提言を読む限りでは、排除できない選択肢であることに変わりは無い。

ここまでの流れ:
ホワイトカラーの労働は時間ではなく成果で量るべき

だったら月給制っておかしいよね

じゃぁ請負制は?

それって個人事業主

成果は報酬という形で評価すれば? ← 今ここ

と、ここまで考えて、企業に属する形の個人事業主もあるのでは?と思った。社員と個人事業主とが相反するようなイメージなので盲点だったのだけれども、保険のおばcy・・・おねーさんがそれに該当したと思う。一般的には保険外交員というらしい。

保険外交員に関して良く知らないのだけれど、感触としては「厳しい」と思う。40代の保険外交員との何気ない会話で、その保険外交員が一度も人間ドックを受けたことが無いのを知ったときは、ショックを受けた。業務内容もさることながら、社会保障面でも厳しいだろう。

考えてみると、ノルマなどを課せられて時間より成果で評価されて残業手当が無い事も、専門知識を必要とする専門職である点も、提言の内容と一致している。いきなり多くの正社員が、ある日突然個人事業主扱いになるとは考えにくい。しかしWE提言で求められている事が、既に業種によっては実現されている事実が周知されれば、その様な方向に収束していくようにも思える。付き合いのある保険外交員に、暇を見て質問メールでも投げてみるかな・・・と。

それはそれとして、どんなシステムでも、制度と運用の2側面がある。今までは賃金形態から見る制度面について考えてきた。次回は、「固定給」「固定給+成功報酬」の運用面について考えてみたい。この二つは似ているようだけれども、違う部分があるので、今のところ別物として扱いたい。

今回のまとめ:
1.サラリーマンに請負制は馴染まない
2.固定給+成功報酬という形は、現状からの移行が容易
3.固定給のみというのも、根強い選択肢
4.保険外交員の形が理屈の上では合致している

WE その1:経団連提言の矛盾

2007-01-09 20:57:03 | 時事問題
ここのところサッカーネタが無いので、どうしても日記やテニスの話に偏ってしまう。そこでというわけで、久々に時事問題のエントリを載せたいと思う。個人的に興味を持ているのがホワイトカラーエグゼンプション(WE)。これが法制化されるとかされないとか、ニュースになっている。

私自身がドンピシャ適用対象者であるということもあり、将来の為にメモを取っておくという意味も込めて、数回に分けて考えをまとめて行きたい。

現在某厚労相が法案を提出する意気込みを見せていたりする状況。そこで、法案を直接読みたいと思いググってみたものの見当たらず。仕方なく経団連の提言を読んだ(以降、「提言」はリンク先のPDFの事を指す)。

大筋で言えば、提言は下記流れで構成されている。

主張1. ホワイトカラーの労働の対価は、時間ではなく成果で判断すべき
主張2. 現行制度には問題点がある
主張3. 管理職の労働の対価も時間ではなく内容で判断すべき
主張4. ホワイトカラーエグゼンプションを導入すべし

で、上記の主張4を正当化するのに都合の良い事例や理由を集めて、肉付けしている。

随所に、労働の対価を時間ではなく成果で量るべき(以下、主張1)との主張が目に付く。ざっと読んだ限りで疑問に思ったのは、労働の対価の支払われ方に関する記述が無い事。適用者の要件を見る限りでは、月給制や年俸制で働いている人に対して適用されるようだ。

ここが良く分からない。何故なら、月も年も時間(期間)の単位だからだ。時間ではなく成果で判断すべきと言いながら、月給や年俸を念頭に置くことは、論理的に矛盾している。論理的整合性を保つならば、サラリーマンを個人事業主的な存在にし、請負制にしなければならない。

ここで月給制の下に、主張1を実現した場合の矛盾点を考えてみる。

2人の労働者A, Bに同じ仕事を与えたとする。Aは1ヶ月で終え、Bは2ヶ月で終えた。この時、Aの1ヶ月分の給料とBの2か月分の給料が同額にならなければ、労働の対価を成果で量った事にはならない。そしてAの1ヶ月分の給料とBの2か月分の給料が同額になるように会社が払うと言う事は、かかった時間を完全に無視して、仕事に対して予め決められた額を、会社がA, Bに対して支払う事を意味している。これは月給ではなく紛れも無く請負制だ。

まとめると、

ケース1.Aの1か月分の給料 = Bの2か月分の給料 → 労働を成果で評価している
ケース2.Aの1か月分の給料 < Bの2か月分の給料 → 労働を成果で評価していない
ケース3.Aの1か月分の給料 > Bの2か月分の給料 → 労働を成果で評価している

の様になる。

ケース1, 2は分かり易いと思う。ケース3に関しては、早く終わった時間も「成果」と評価しているケースが該当する。普通郵便よりも、速達の方が高いのに似ている。この時、ケース1, 3が主張1を実現し得るが、月給制の元では実際にはケース2になり易い。

ここで問題となるのは、仕事が終わってからでないと1ヶ月の給料が求まらないということ。見切り発車的に最低労働賃金を1ヶ月目に支払ったとしても、終わらないままずるずると延び、支払われた累計額が仕事の対価を超えてしまう場合(ケース2)には対応できない。予め決まった額を支払った後は無給というのも理論上は考えられるが、月給制の不成立を証明している事には変わりない。

つまり主張1を実現するならば月給制(年俸制)を見直す必要があり、必然的に請負制に移行する事になる。そしてそれは、現在企業間でやっているような見積り依頼→見積もり→発注→作業→納品→受け入れ確認という一連の流れを、労使間で行う事を意味する。もししないのであれば、企業が一方的に仕事を決める事(例えば2か月分の分量を1ヶ月でやれとか)が出来たり、仕事が終わり支払いも済んだ後で「不具合が出た」と、無給労働が発生する事が考えられる(受け入れ確認などの何をもって終わりとするかを決めていない、若しくは保守契約を結んでいない場合、企業間でも発生する問題)。

要は主張1を唱えておきながら月給制を維持しようとする為に、「残業手当がゼロになる」「サービス残業を合法化」「時間上限まで固定給で働かされる」といった話が噴出するのだ。

また請負制に移行する場合、今までは口頭で済んでいたものが契約ベースとなるので、作業量が純粋に増える。これは企業の利益を圧縮する(若しくは作業者の負担増に繋がる)といえる。これでは労使がWin/Winの関係を結べないことになる。

請負制に移行する場合、もっと本質的な問題がある。また最低賃金(固定給)+成功報酬(「ケース2」になるリスクを企業側が呑み込んだ上で)の様な、擬似的な月給制もある。これらについて、次回のエントリで述べたいと思う。

今回のまとめ:
1.月給制(年俸制)の元で労働の対価を成果で量るのは矛盾している
2.労働の対価を成果で量るなら、理論上は請負制にしなければならない
3.最低賃金(固定給)+成功報酬のような、擬似的な月給制も考えられる

修正1:2007/01/10
ケース2の部分で、半角の「小なり」がタグの開始として解釈されたのか、保存時にシステム側で強制的にBRタグに変更されていましたので、全角の記号に修正しました。