近くにありますが・・・あんまり知識がない・・・(苦笑)調べてみました(笑)郡山城は1585年から15年間に城主となった豊臣秀長(秀吉の弟)、秀保(秀吉の甥(おい)、秀長の養子)、秀吉に仕えた「五奉行」の一人の増田(ました)長盛の3代で本格的に築かれたそうです。関ケ原後に廃城となったすですが・・・1615年に復興しましたが明治時代に再び廃城となったとか。
豊臣秀吉の弟・秀長(1540~91年)が城主だった郡山城の天守閣は、高さが約15~20メートルで、5階建て相当の城と分かったそうです。出土した瓦の文様などから本格的な築城年代は、秀長や、豊臣五奉行の一人、増田長盛らが城主だった16世紀末と判明。天守台では23個の礎石を確認、最大で直径1.2メートルだった。ほとんどの礎石は自然石だが石塔なども利用しており、東西方向に3列、南北方向2列に配置されていた。建物の1階の規模は東西が7柱間(15~16メートル)、南北は8柱間(18メートル)で、1階の構造や他の城との比較から高さを推定したそうです。天守閣はなかったとされていた郡山城(^_^)/興味深い・・・
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