旅立つ芭蕉と曽良
「奥の細道」は、俳諧の書物としてもっとも有名だといってよいでしょう。
江戸にいた芭蕉が門人曽良と奥州(東北地方)への旅の途中で詠んだ俳句を載せた紀行文形式の俳句集です。
ちかごろ同行の曽良の日記の発見との食い違いから、芭蕉が奥の細道を脚色しているとの指摘がされます。
しかし、思うに「奥の細道」は、紀行文ではなく、俳句を主とした文章だと思います。
悪く言えば、俳句のために書かれた文章、俳句を説明するための文章なのではないかと思います。
つまり、俳句は5,7,5のたった17字の文芸ですから、どうしても状況が分かった方が鑑賞しやすい(とくにしろうとには)。
芭蕉は実は「奥の細道」で自作の俳句を正しく鑑賞させようとしたのでないかと考えてしまいます。
それは現実の事実よりも句の世界を優先していて、ときに曽良の手記と異なって、事実誤認やフィクション性を疑われます。
あらたうと青葉若葉の日の光
と詠む日光では、雨が続いていたらしい。
それは、実際の景観よりも句が先行してできていたのだと思われるのです。
「奥の細道」によって、すぐれた俳句がさらに深みを増して感じられるのは芭蕉のしかけであるようです。
それは「ずるい手段」かもしれませんが、俳句の宿命でもある気もします。
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