京都 南禅寺 三門
平安時代末期、中国宋代の禅宗が栄西らによってもたらされました。これを将軍はじめ武士が信仰して、盛んになり、鎌倉と京都に五山の制度による壮大な禅宗寺院が建てられました。
武士が禅宗を信仰したのはなぜか?
一つには禅宗がみずから仏となり生死を問わない、つまり戦に向かう武士の心を支えた。
二つめは禅宗によって中国文化がもたらされ、いわゆる唐物とよばれるいわば宝物を得たいために禅宗寺院に近づいた。
三つめは、平氏のように宮廷文化を採用することで、朝廷に取り込まれるのではなく、禅宗によって新しい武士文化を成立させようとした。
とあげられるかもしれません。
どれが正しいと断定できませんが、幕府や武士が禅宗をさかんにすることによって、日本に禅宗風(中国風)の建築や美術がもたらされ、喫茶の習慣から茶道がさかんになりました。
五山の禅僧はただ仏道に励むだけでなく、中国の文人文化、つまり詩書画をたしなんだり、中国との交渉の使者となるなどの活動を行いました。
こうしたなかから雪舟などもあらわれ、文化の温床となったと言えます。
しかし、しだいに当初の悟りを目指すような修行はすたれて、立身出世をもとめる輩が増えたとも聞きます。
あと、
実は禅僧の出身は武士が多かったということもあります。武士の次男三男は家を継がないので、僧となることがありました。
したがって、武家の子息の学習や就職の場でもあったと思われます。
武士の文化と禅宗は非常に深い関係であったといえます。
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