建て直そう日本・女性塾 特別シンポジウム(10月25日)
【議事録⑤】
伊藤哲夫 先生
さて今後大切なのはどのように運動していくのか、どのようにそういう女性を発掘していけばよいか、稲田さんから運動へのご提案をいただけたらと思います。
稲田朋美 衆議院議員
どうやったら保守系女性議員が増えるのか。それはまだ分からないのですが、
保守系女性が選挙に出にくいのは家庭を大切にされているから、家庭を犠牲にしたくないと思われるからだと思います。
しかし、むしろ家庭を大切にされている女性が議員になってほしい、そのためには家族の理解が必要であると思います。
私はジェンダーフリー思想に反対ですが、私の家がジェンダーフリー状態ですので(笑)私自身が発言する資格は無いと思ってきました。
山谷えり子先生は19年間毎朝5時に起きてお弁当を作りながら政治家を志されていたそうで、それに比べ私自身は母親としては50点くらい、選挙に出るときは子供に「ママは死んだものと思っている」と言われてしまったほどです(笑)。
ですから、どのようにして、キチンとした家庭を築きながら保守系女性議員となる人を増やせるのか、他の議員の先生にお訊きしたい位です。これは女性が支援しなければならないと思います。
安倍先生は朝日新聞を読んでいる女性にも絶大な支援を受けていますが(会場笑)、私などは朝日、毎日を被告として訴えていますので、無視されてしまっています(会場笑)。これからマスコミ対策ということも重要だと思います。
私は伊藤玲子先生のお考えに賛同していますし、地方議員候補が出ましたら、走る福井のおっかさんは何処へでも走って行きますので、そういった面で使っていただけたらと思います。
伊藤哲夫 先生
女性塾幹事長の伊藤さんにご自身の体験を踏まえながら、どのようにして女性議員を発掘していったらよいか、ご意見いただきます。
伊藤玲子 女性塾幹事長
私の体験をお話しましょう。こんな私でも出来るんですから。皆様は私以上ですから。
62歳の一介の専業主婦でございましたから、我が人生で政治家なんて考えられないことでした。
鎌倉が革新市政のとき、当時30年勤めた市職員の退職金が最高で5700万円、中央官庁次官で2500万円、職員数も17万都市として、人口が同じような他市より500~600人多いという状況でございました。それで税金が市民に還元されるのは「ごみ(処理)」だけのものです、道路はでこぼこで真っ暗、酷いものです。
革新市政は支持母体の組合を大事にし、ものすごく優遇します。鎌倉は正木革新市長のとき、市職員の給与体系をガラっと変えました。一般行政職と現業職との間には差(区別)があるものと法律で決まっていますが、それを職員は皆同じ・平等として給料表を一律にしてしまいました。それで現業職の給与は上がる一方で、市税の7割は人件費に消えていったのです。
そういう土壌ですから学校教育現場も目に余るものでした。そこで市民運動として改善に取り組んできましたが我慢できず、皆に担がれて市会議員になりました。
市会議員候補として訴えます事は「市民の皆さん、こんな市政でいいんでしょうか!こんな風な方策で変えていきませんか!」と単純に、常識で考えて、市政の実態を市民に知っていただくことです。
私は初めての選挙で30議席中6位当選で、自分でも驚きました。その後2期、3期、4期はいつも3位当選でした。
私は選挙運動は特にしてきませんでしたが、議会報告は欠かさずしてきました。議会のたびに2万8千部発行しポスティングし、私のやってきたことを市民の皆様に報告をしてきました。
私のやり方でやればお金はかかりません。まして今ではもっとかかりません。私はコンピューターが出来ませんので印刷は印刷屋に頼みますから、議会報告も1部34円位かかります。しかし今の方はご自身でコンピューターを使って議会報告を作り、印刷も印刷機をリースするなり購入すると、1枚2円で済みます。
選挙に入ってからですが、大きな選挙事務所など構えません。自宅で十分。
平成13年から公費が出るようになりました。ポスター代、ガソリン代として50万円出ます。それにご自身で50~100万円用意するくらいで済みます。
また、後援会を抱えて日当払って応援してもらうというような、バカなことはしません。皆ボランテイアです。そこに集まる人は“市政を市の教育をこのように変えてほしいから、この人に働いてもらう”という思いをもっています。だから汗水流して応援するボランティアなのです。ですから担がれて出るのがいい、私のことを言うわけじゃございませんが(笑)。議員になった以上は使命を果たす、という16年でした。
16年間、学校現場を見てまいりましたが、反体制闘争の教職員集団は国家解体が目的ですから、目に余るものでした。自虐教育、人間を駄目にするプログラムが出来ているんですね。
これでは堪らないと思い、昨年11月、中山文部科学大臣(当時)に表敬訪問し、教育の実態の資料を持って「これが教育現場ですから見て下さい!」とお願いいたしました。すると5日後に中山大臣より直接お電話をいただき「見た、これは何とかしなきゃならない」と仰って下さいました。その後も情報提供してまいりました。
そして今年の1月19日の全国各紙で「ゆとり教育大転換」「文部科学大臣 新指導要領全面見直し」「基礎科目の時間確保」「土曜日も活用」等々の見出しで報道されたのを見まして、本当に嬉しくてなりませんでした。これは日教組の方針とまるで反対、180度転換ですから。その後も中山文部科学大臣(当時)は改革を打ち出しておられます。
戦後60年、歪められて来た教育が、中山文部科学大臣(当時)によって本来の正常な教育の道が拓かれ始めたことを確信しております。このことを最後に御報告させて頂きたく思いました。
有難うございました。
伊藤哲夫 先生
時間となりましたので後は懇親会の席でご質問等お願いします。これから山谷先生、伊藤(玲子)先生、稲田先生は全国を回ります。今後は女性塾として地方でのセミナーを積極的に行い、組織作り、選挙応援をどうしていくか話を進めてまいります。皆様のご協力をお願いいたします。
これで本日のシンポジウムを終わります。
司会進行・おおさきせいこ北海道議員より締めの挨拶。
(10月25日に行われた「女性塾 特別シンポジウム」の議事録はこれで終了です。お蔭様で、このシンポジウムは312名の参加者の万雷の拍手で始まり終えることが出来ました。この後、懇親会では、中山文部科学大臣(当時)の挨拶などがありましたが、ここでは割愛させていただきます。尚、以上の議事録は記録ビデオに基づいておりますが、活字にする際、要点を絞り簡略化してあります。発言者の意とするところや雰囲気は損ねないよう配慮いたしましたので、ご了承下さい。今後とも「女性塾」のご支援を宜しくお願い申し上げます。)
【議事録⑤】
伊藤哲夫 先生
さて今後大切なのはどのように運動していくのか、どのようにそういう女性を発掘していけばよいか、稲田さんから運動へのご提案をいただけたらと思います。
稲田朋美 衆議院議員
どうやったら保守系女性議員が増えるのか。それはまだ分からないのですが、
保守系女性が選挙に出にくいのは家庭を大切にされているから、家庭を犠牲にしたくないと思われるからだと思います。
しかし、むしろ家庭を大切にされている女性が議員になってほしい、そのためには家族の理解が必要であると思います。
私はジェンダーフリー思想に反対ですが、私の家がジェンダーフリー状態ですので(笑)私自身が発言する資格は無いと思ってきました。
山谷えり子先生は19年間毎朝5時に起きてお弁当を作りながら政治家を志されていたそうで、それに比べ私自身は母親としては50点くらい、選挙に出るときは子供に「ママは死んだものと思っている」と言われてしまったほどです(笑)。
ですから、どのようにして、キチンとした家庭を築きながら保守系女性議員となる人を増やせるのか、他の議員の先生にお訊きしたい位です。これは女性が支援しなければならないと思います。
安倍先生は朝日新聞を読んでいる女性にも絶大な支援を受けていますが(会場笑)、私などは朝日、毎日を被告として訴えていますので、無視されてしまっています(会場笑)。これからマスコミ対策ということも重要だと思います。
私は伊藤玲子先生のお考えに賛同していますし、地方議員候補が出ましたら、走る福井のおっかさんは何処へでも走って行きますので、そういった面で使っていただけたらと思います。
伊藤哲夫 先生
女性塾幹事長の伊藤さんにご自身の体験を踏まえながら、どのようにして女性議員を発掘していったらよいか、ご意見いただきます。
伊藤玲子 女性塾幹事長
私の体験をお話しましょう。こんな私でも出来るんですから。皆様は私以上ですから。
62歳の一介の専業主婦でございましたから、我が人生で政治家なんて考えられないことでした。
鎌倉が革新市政のとき、当時30年勤めた市職員の退職金が最高で5700万円、中央官庁次官で2500万円、職員数も17万都市として、人口が同じような他市より500~600人多いという状況でございました。それで税金が市民に還元されるのは「ごみ(処理)」だけのものです、道路はでこぼこで真っ暗、酷いものです。
革新市政は支持母体の組合を大事にし、ものすごく優遇します。鎌倉は正木革新市長のとき、市職員の給与体系をガラっと変えました。一般行政職と現業職との間には差(区別)があるものと法律で決まっていますが、それを職員は皆同じ・平等として給料表を一律にしてしまいました。それで現業職の給与は上がる一方で、市税の7割は人件費に消えていったのです。
そういう土壌ですから学校教育現場も目に余るものでした。そこで市民運動として改善に取り組んできましたが我慢できず、皆に担がれて市会議員になりました。
市会議員候補として訴えます事は「市民の皆さん、こんな市政でいいんでしょうか!こんな風な方策で変えていきませんか!」と単純に、常識で考えて、市政の実態を市民に知っていただくことです。
私は初めての選挙で30議席中6位当選で、自分でも驚きました。その後2期、3期、4期はいつも3位当選でした。
私は選挙運動は特にしてきませんでしたが、議会報告は欠かさずしてきました。議会のたびに2万8千部発行しポスティングし、私のやってきたことを市民の皆様に報告をしてきました。
私のやり方でやればお金はかかりません。まして今ではもっとかかりません。私はコンピューターが出来ませんので印刷は印刷屋に頼みますから、議会報告も1部34円位かかります。しかし今の方はご自身でコンピューターを使って議会報告を作り、印刷も印刷機をリースするなり購入すると、1枚2円で済みます。
選挙に入ってからですが、大きな選挙事務所など構えません。自宅で十分。
平成13年から公費が出るようになりました。ポスター代、ガソリン代として50万円出ます。それにご自身で50~100万円用意するくらいで済みます。
また、後援会を抱えて日当払って応援してもらうというような、バカなことはしません。皆ボランテイアです。そこに集まる人は“市政を市の教育をこのように変えてほしいから、この人に働いてもらう”という思いをもっています。だから汗水流して応援するボランティアなのです。ですから担がれて出るのがいい、私のことを言うわけじゃございませんが(笑)。議員になった以上は使命を果たす、という16年でした。
16年間、学校現場を見てまいりましたが、反体制闘争の教職員集団は国家解体が目的ですから、目に余るものでした。自虐教育、人間を駄目にするプログラムが出来ているんですね。
これでは堪らないと思い、昨年11月、中山文部科学大臣(当時)に表敬訪問し、教育の実態の資料を持って「これが教育現場ですから見て下さい!」とお願いいたしました。すると5日後に中山大臣より直接お電話をいただき「見た、これは何とかしなきゃならない」と仰って下さいました。その後も情報提供してまいりました。
そして今年の1月19日の全国各紙で「ゆとり教育大転換」「文部科学大臣 新指導要領全面見直し」「基礎科目の時間確保」「土曜日も活用」等々の見出しで報道されたのを見まして、本当に嬉しくてなりませんでした。これは日教組の方針とまるで反対、180度転換ですから。その後も中山文部科学大臣(当時)は改革を打ち出しておられます。
戦後60年、歪められて来た教育が、中山文部科学大臣(当時)によって本来の正常な教育の道が拓かれ始めたことを確信しております。このことを最後に御報告させて頂きたく思いました。
有難うございました。
伊藤哲夫 先生
時間となりましたので後は懇親会の席でご質問等お願いします。これから山谷先生、伊藤(玲子)先生、稲田先生は全国を回ります。今後は女性塾として地方でのセミナーを積極的に行い、組織作り、選挙応援をどうしていくか話を進めてまいります。皆様のご協力をお願いいたします。
これで本日のシンポジウムを終わります。
司会進行・おおさきせいこ北海道議員より締めの挨拶。
(10月25日に行われた「女性塾 特別シンポジウム」の議事録はこれで終了です。お蔭様で、このシンポジウムは312名の参加者の万雷の拍手で始まり終えることが出来ました。この後、懇親会では、中山文部科学大臣(当時)の挨拶などがありましたが、ここでは割愛させていただきます。尚、以上の議事録は記録ビデオに基づいておりますが、活字にする際、要点を絞り簡略化してあります。発言者の意とするところや雰囲気は損ねないよう配慮いたしましたので、ご了承下さい。今後とも「女性塾」のご支援を宜しくお願い申し上げます。)