親父の威厳 音楽編

ディズニ~のぷよぷよコロコロって・・・なんでもかんでもディズニーにすんなって。^^;;

達観して行き着く先。

2006-12-14 | 人権・教育関係
【産経正論】拓殖大学学長・渡辺利夫 「死はお迎え」の死生観を思う

 ■「健康」「長寿」は本当に幸福か
 ≪「死」を約束された存在≫

 私も60代の後半になった。還暦を迎えるころに、それまで繁く受けていた人間ドックやら血液検査などを一切断つことにした。私はヘビースモーカーである。勧められて年1回のCTスキャンによる肺がん検診まで受けていた。毎回のように胃や腸の精密検査の要ありと告げられ、1度は肺の苦しい生検を余儀なくされた。結果が出るまでは半病人のごとくであった。

 加齢とともに肉体は確実に老いていく。検査をつづければ精密検査や生検に送られる頻度が高まっていくのは避けられない。その度ごとに不安におののかされていたのではなんのための人生かとの思いに駆られ、以降、検査とは縁を切り、痛い苦しい時以外は病院には近づくまいと臍(ほぞ)を固めた。

 人間は死を絶対的に約束された存在である。還暦あたりまで健康な生を授かった以上、その後は自然生命体の「則」に素直に従って生きていこうと考えたのである。67歳の現在までさしたる病いに襲われることもなく打ち過ごしている。年相応に皮膚は弛(たる)み、顔にしみが浮き出て老化の兆しは歴然である。内臓だって同じような老化が発生しているにちがいない。薄くなった髪やこぼれ落ちた歯をもとにもどすことができないのと同様、老化した内臓を元気にする医療などあるはずがない。

 ≪検診で寿命が延びるか≫

 老いを病いと見立てれば、人生とは不幸に向かって突き進む悲惨な存在である。現在の日本の医療界は、結果的には人間をそのような存在とみなす「思想」の上に組み立てられているかにみえる。高血圧、脳卒中、心臓病、糖尿病などはかつては老人に固有の病いだと受け取られていた。がんもそうである。加齢とともに発症率が加速度的に上昇するのが、これらに共通する傾向である。それがゆえに老人病として運命的なとらえ方をされてきたのであろう。

 しかしいつの間にやらこれらの病いは成人病と称され、ついには生活習慣病と呼ばれるにいたった。成人になったら不健全なライフスタイルは改めよ、されば発症は避けられる。定期検診を怠るな、早期発見・早期治療に努めよと医師は繰り返し、厚生労働省や地方自治体の指導が喧(やかま)しい。これによって多少でも健康が増進され寿命が延びるというデータの裏付けはどこにあるのか。パソコンのどこをどう探しても検診の有効性を証明するデータはみつからない。情報公開もままならぬ怪しげな論拠で、検診という苦痛を強いる権限を誰が役所や医師に与えたというのか。

 長寿を求めるのは人情の事実である。しかし生老病死というライフサイクルから逃れられないのも人生の事実である。老化現象を生活習慣病と称して国民に検診を強要し、死の観念を希釈させて人間が幸福に生きられるとは思えない。むしろその逆が真実なのではないか。

 ≪アンチエイジングって≫

 不覚にも先だってまで知らなかったのだが、「アンチエイジング」という医療分野があるそうだ。いくつかの医療機関のウェブサイトを開いてみると、昨年の秋あたりから多くの総合病院で「抗加齢ドック」を導入し、日本抗加齢医学会なる団体がその導入を全面的に支援しているという。病気の早期発見や治療が目的の人間ドックとは異なり、個々の体の状態を調べ「病気にならないため」の指導をするのが特徴だという。

 メタボリック・シンドロームという言葉を最近よく目にする。内臓脂肪症候群という訳語が当てられている。腹囲、血圧、血中脂質、血糖値を測定して作られた検診結果にもとづいて医師が受診者に生活習慣の具体的な目標を提示し、その後も継続的に受診者をチェックするというのが治療の方針だという。この方針を厚生労働省が医療保険機関に義務づけ、これを「相談型指導」から「介入型指導」への転換だと自負しているらしい。

 健康や長寿は、これをいくら追い求めても切りというものがない。われわれが生老病死というライフサイクルの中で生きざるをえない以上、健康や長寿を追求すればするほどこの観念に呪縛(じゅばく)されて、授けられた生をまっとうできなくなるという背理を強めてしまうことを私は恐れる。生活習慣病とかメタボリック・シンドロームといった用語法の中に、日本人が追い求めて作り出された現在の医療界の危うい観念が透けてみえる。

 人生は「お勤め」「死はお迎え」という日本人の伝統的死生観からわれわれははるけくも遠くにまできてしまったのである。(わたなべ としお)
(2006/12/14 05:06)


結局さ、考え方の偏りの問題なんだろうね。

やはり、渡辺学長も言われている通り、人間は長寿願う。
神話だったか、神様が蛇と人間の寿命を間違えたとか美しき心を持った動物として弱き人間に長寿を与えたとかって話があることや、古来から不老長寿の薬の話等からも伺える。
最近では、クローン人間なんて話でしょうなぁ。

が、「長寿=幸福」であるとは限らない。

長寿を願う人は、現時点で満ち足りた環境にある人である。
それが未来永劫続く前提であれば問題はないが、そんな前提なんぞないのである。
にもかかわらず、「長寿=幸福」として世の中は動いている。
そこには大きなギャップの差がある。

終わりが近づき、ある程度達観してくるとそのギャップの差に気がつく。
そして渡辺学長的な意見が多くなる。
「ここまでやってきたんだから、抑制するよりも好きな事をして後悔せずに人生を楽しもうや!!そっちの方が幸せだ。」と。

行き着く先は、『今を生きる』なのだ。

今日を精一杯生き、何時死が訪れても後悔しない人生を過ごす。
これこそが本当の幸福であると。

そして、不老不死とは・・・
世界の偉人や新渡戸稲造、二宮尊徳、福沢諭吉等々死して尚、その生き様が未来永劫、後世に伝えられる事じゃないのかなぁ。
そんな風に思うのである。

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