徒然なる写真日記

趣味に関する事や、日々の中での出来事を脈絡もなく貼り付けていく絵日記帳ブログです

米軍M-1ヘルメット

2016-01-11 23:12:31 | 自衛隊基地祭他ミリタリー関連
このM-1ヘルメットは35年くらい前に、渋谷の軍用品専門店 アルバン にて購入した実物である。
被って使うことはもちろん無く、軍用品骨董コレクションの1つ

中帽(ライナー)の内部


実使用の放出品かあまり使われなかったデッドストック品だ。
渋谷にあったアルバンという店から通販で10500円で購入した。店に行ったことはない。
ネットで調べたらすでに閉店した・・いや店名が変わって別の場所で営業しているという記事もあった


M1ヘルメット(M1 helmet)は、アメリカ合衆国で開発された戦闘用ヘルメットである。第二次世界大戦期からPASGTヘルメットに更新される1985年頃までの40年以上もの期間、アメリカ軍における標準的なヘルメットとして使用された。各国のヘルメットの設計に大きく影響を与えたほか、現在でもアメリカ兵を象徴するものの1つとして扱われている。
1941年、M1ヘルメットはM1917ヘルメットの後継装備として採用された。以後はアメリカ全軍の標準ヘルメットとしての配備が進められ、1945年9月の終戦までに、およそ22,000,000個以上のM1ヘルメットが米国内で製造された。以後しばらく新規調達は行われなかったが、スチールシェルは、1958年6月に400,000個が発注されている。また、ライナーに関しては1951年から断続的に発注が繰り返されている。ベトナム戦争期にも生産は継続され、1962 年から1963年ころには、新型のナイロン樹脂製ライナーが採用された。これらはいくつかの改良点のほか、やや明るいオリーブグリーン色で標準的に塗装されているなど、大戦型のM1ヘルメットと区別される。(wiki)

左:外帽(Shell,steel pot)  右:中帽(liner)



M1ヘルメットは2つのフリーサイズのヘルメット、すなわち外帽(Shell, steel pot)と中帽(liner)から構成される。中帽はファイバー製あるいは樹脂製であり、クッションやサイズ調整の役割を兼ねている。ヘルメットの深さは7インチ、左右幅は9.5インチ、前後幅は11インチである。第二次世界大戦型のM1ヘルメットは、中帽や顎紐などを含めて2.85ポンド程度の重量があった。(wiki)

左:外帽(Shell,steel pot)  右:中帽(liner)


中帽内側の写真 (手入れを怠っていたため革製のバンドの1部にカビが、金属の三角リベットの1部に緑青が生じている)

中帽は外帽と異なり、複数の部品により構成される。外側部分は外帽にしっかり収まるように成形されている。緩衝の為に設けられたサスペンション部は内側にリベットで固定されており、後には差込式に改められた。サスペンション部自体は複数本の伸縮性のある布製ストラップと汗止めバンドから成る。第二次世界大戦および朝鮮戦争頃に使用された中帽には、茶色革で作られた顎紐がリベット固定ないし差込式で取り付けられていた。通常、この中帽の顎紐は外帽との間に回してから着用する為、外には露出しない。ただし、多くのアメリカ軍人は外帽の庇部分に中帽の顎紐を引っ掛け、外帽の固定に役立てた。
初期の中帽はフェノール樹脂を染み込ませた圧縮紙繊維で作られていたが、高湿度環境での劣化が目立った為、早々に製造が中止され樹脂製に改められている。同じ時期、サスペンション部の素材も銀色レーヨンからカーキ色の綿に改められている。
(写真左側が後頭部に当たる 右側が前頭部)


上の写真と下の解説用の写真は構成、使われているマテリアル(頭頂部に当たるサスペンション部の布製ストラップ、頭周部に当たる皮の(内部布製)汗止めバンド、茶色革で作られた顎紐がリベット固定、樹脂製の同じ模様のシェル)がほぼ同じなので、1941年のごく初期以外の生産品、おそらく1941~1945年に生産、使われたと推測できる


これが前述の中帽から外帽の庇部分に引っ掛けて固定する本来の目的とは違う革製のあごひも”ライナーチンストラップ


外帽
外帽の大部分は単一のハドフィールドマンガン鋼板をプレスする事で成形され、縁の切り口部分は帯状の鋼板を圧着することで処理されている。両端には顎紐用のステンレス製ループが取り付けられている。この顎紐用のループの形状は外帽の生産時期を推定する際の重要な要素の1つとされる。 
MAAのペイントは部隊名なのか調べてみたが判らなかった。また、外帽、中帽に製造年などを表すコントラクトナンバーは記載なし


第二次世界大戦初期生産型の顎紐用ループは長方形で固定されており、戦争後期および1960年代生産型に取り付けられているループは外側および内側に可動した。これは初期生産型のループがヘルメットの落下時に破損しやすかったことから、1943年に考案されたものである。また落下傘部隊向け外帽のループはD字型であった。
多くの兵士はM1ヘルメットをかぶる際、しばしば顎紐をゆるめたり、後ろ側の縁に引っ掛けるなどした。これは2つの理由、すなわち背後からヘルメットを引っ張られた場合に首が締められたりバランスを崩すなど白兵戦時の弱点になりうると予想された事、そして至近距離で爆発が起こりヘルメットが爆風を受けて飛ばされた場合に顎紐が首にかかっていると引っ張られて首の骨が折れると信じられていた事による。爆風の問題の解決策としては、過剰な力が掛かった際に外れるようになった新型の顎紐用バックルが開発されているが、それでも顎紐を掛けない兵士は後を絶たなかった。なお、顎紐を掛けない場合でも、中帽内側のストラップだけで十分にヘルメットを頭上に保持する事が可能であった。(wiki)

外帽の顎紐と固定用バックル。顎紐は布製で、外帽に付けられた金属製の顎紐用ループ長方形で可動するので、上の記事からすると1943年以降の物となる



ヘルメットカバー
陸軍では第二次世界大戦から朝鮮戦争にかけて、何も付けないか偽装網のみを使用することが多く、覆いが標準的に配備されるのはベトナム戦争が始まってからであった。一方、海兵隊では第二次世界大戦から一貫してM1ヘルメット用迷彩覆いを標準的に配備している。朝鮮戦争時の覆いは第二次世界大戦時のものとほぼ同一であった。ベトナムではリバーシブル生地の緑色の面を外側にする事が多かった。ウッドランド迷彩が採用されると、片面のみにウッドランド迷彩が印刷された覆いが標準的になる。これらの覆いは、いずれもヘルメットの形状に合わせる為に2枚の半円形の布を縫い合わせて作られていた。覆いは外帽の上から被せ、端を外帽と中帽の間に折り込む事で固定する。また追加擬装用の枝などを取り付ける為に濃緑色のゴムバンドが配布されていたが、追加偽装を取り付けない場合でも覆いを固定する為にこれが巻かれる事も多かった。

カモフラージュヘルメットカバーとカバー用ゴムバンド(ベトナム戦争時の中古放出品)退色が顕著であったため上から彩色加筆した。


布製でリバーシブルになっていて、反対側は茶色系統のオータムパターン。こちらはそのままの色彩


コントラクトナンバーはDSA100-69で 1969年製であることがわかる


このように外帽と中帽の間に挟み込んで装着する


第2次大戦中に使われたM-1ヘルメットにベトナム戦時のウッドランド迷彩パターンのカバーを装着


カバー用ゴムバンドで固定し、ライナーチンストラップを引っ掛けて固定。
カバーにプリーツの様な隙間が空いているが装着を容易にするための物なのか、擬装用に木の枝等を差し込むのかは不明



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