徒然なる写真日記

趣味に関する事や、日々の中での出来事を脈絡もなく貼り付けていく絵日記帳ブログです

2017日光杉並木街道 瀬川~野口区間を走る

2017-06-27 22:44:48 | 日光
2017 6/11 日光杉並木街道 瀬川~野口区間
前から気になっていた杉並木の未舗装区間をロードバイクで走行する

日光市今市瀬川地内  滝尾神社


風車を祀る神社  この西側に今市浄水場がある



国道119号を挟んで 日光杉並木街道 車で少しだけ入れるが、野口の119号合流点まで未舗装区間が続く
119号の北側を並行して走っている  ここから少し行くと水車のある杉並木公園が北側にある

樹齢400年超えの杉並木が全長37kmにわたり現存している日光杉並木街道。上今市駅付近から日光方面へ西に向かう並木道は未舗装で昔の面影を残している


凸凹の多い硬くしまった土の道だが、ロードバイクではパンクの心配があるのでゆっくり走る

日光杉並木は、日光街道、日光例幣使街道、会津西街道のうち、旧日光神領内にあたる大沢 - 日光間16.52キロメートル、小倉 - 今市間13.17キロメートル、大桑 - 今市間5.72キロメートルの3区間の両側にスギが植栽された並木道の総称である。総延長は35.41キロメートルに渡り、世界最長の並木道としてギネスブックに登録されている
松平正綱、正信親子によって植えられた並木杉は、一説に5万本ともいわれているが、現在では12,350本ほどになってしまっている。昭和36年に日光東照宮が並木の台帳を作成した当時の本数16,479本と比較すると、約4,000本が減少している。
その原因としては、台風などの自然災害や杉自身の老齢化もあるがが、車社会の進展や街道周辺の開発による樹勢の衰えなど生育環境の悪化が指摘されている。もし、このままのペースで杉が減少し続ければ、近い将来杉並木の見事な景観が失われてしまう恐れがある。
並木杉の根は、環境の良いところでは樹高程度の範囲まで張っていると言われている。並木杉の樹高は大体30~40mです
樹勢回復事業(木柵工法・ポカラ工法・隣接木対策)を行っている



近年では、風雨や自動車排気ガス等による倒木や枯損を抑止するため、バイパス建設や杉並木オーナー制度を導入して樹木保護のための基金を設立して、保護対策活動に乗り出している。
オーナー制度とは・・・
 杉並木保護に賛同された方に並木杉を1本1千万円で購入してもらう。代金は栃木県が日光杉並木街道保護基金で運用し、その運用益で並木杉の樹勢回復や杉並木保護の普及啓発などの保護事業を実施している
見上げるとオーナー制度に応募された個人や企業のプレートが杉の大木にかかっていた。


そばの報徳庵。(奥の建物)日曜なので大勢の客が入っていた。手前は古民家を移築した資料館。 ここの広場に杉並木のオーナー制度の表札一覧の
立て看板があった。 報徳庵から西側の並木は車の侵入はできません。UターンもNGと看板にあり


報徳庵の北裏手には円筒分水井戸、があり、所野の発電所からの水を大谷川をまたいで引いている。前の記事の今市浄水場の導水はその円筒分水井から取水している。そのほかの余剰の水は水路を通じて杉並木公園の水車を回したり、農業用水として活用。写真の水路は杉並木の北側にあるものだが、おそらく大正時代の浄水場創設時の導水管埋設時にひかれたものではないだろうか


ここから特別保護地域に・・  途中民家もありますが・・少し石畳の道もあります


また凸凹未舗装路。さらに狭くなる


砲弾打込杉
瀬川地内。戊辰戦争の際に大鳥圭介軍がこの付近に陣を張ったため、新政府軍の砲撃を受けた際の砲弾が当たってしまった杉。




ここは少し広くなって休憩ベンチもある


野口地内の国道119号線合流地点と 杉並木説明看板


短いタイムトリップは終了。 この先の西の日光東照宮まで、国道沿いにさらに杉並木は続く



杉並木といえば・・神橋脇にそびえたつ神木:日光太郎杉  (今回写真無し)
過去、国道を拡張するため、伐る伐らぬの裁判になった日光太郎杉裁判事件

「日光太郎杉」は神橋と東照宮の間、交通量の多い国道120号線に身を乗り出すようにして立っている。樹齢550年、樹高43m、目通り幹周5.75mと記されている。
ここを歩行する際は歩道もなく狭いため不便を感じることも多いだろう

東京オリンピックを誘致することが決定した昭和40年代半ば。
東京オリンピック誘致のため、栃木県知事が国道を拡幅するためにこの太郎杉を土地収用法により収用し、伐採する計画を建てた。
国道120号線は、道幅16mだったが、ある土地付近では狭くなっており5.7mしかなかった。
国道を拡幅するために、太郎杉など15本の樹を土地収用法により収用し、伐採する計画をたてた。 それに対し、所有者である東照宮が原告となって裁判をおこし、9年間にわたって伐る伐らぬの日光太郎杉事件が起こり、有名になった樹である。 昭和44年4月、宇都宮地裁で、原告勝訴になったことにより、今もその姿を見ることができるのである.・・ (以上引用)











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