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金生遺跡を世界遺産 世界標準時の天文台にしよう会

カレンダーの作り方をもういちど

カレンダーの作り方を知っていますか、もういちど考えてみましょう

立春を年初、一月一日として、月齢は曜日としている

 

引用しますーーーーーーーファン・デル・ヴェルデンという有名な数学者が唱えた説です。
彼は大学で広く用いられた数学の教科書を書いていますが、『古代文明の数学』という本も書きました。
その中で彼は「偉大な発明・発見は一回きりだ」と述べています。

このこと自体は納得できるのですが、これを根拠に「ピタゴラスの定理はヨーロッパのストーン・サークルが源泉で、そこから中国やバビロニアに伝わり、さらにギリシアに伝わった」と主張します。
しかし、この説は成り立つとは思えません。

一番大きな障害は、 新石器時代には文字がなかった ことです。文字(記号)がないと、100以上の数の概念が生まれません。ピタゴラスの定理には掛け算か、あるいは面積といった概念が必要となりますが、はたして新石器時代の人はこういった概念を必要としたのでしょうか。必要のないところに発明や発見は生まれないと思われます。
ーーーーーーー引用終わり

  図 ピタゴラスの定理を説明する土版   数字が無くても出来るのです


そうでしょうか、縄文時代には土版があり、文字は無いけれど、数を書き記しています。
その数は、3*3、3,5,4 と記されていて、ピタゴラスの三平方の定理を示しているように見えます

引用しますーーーーーーーこれまでヨーロッパ文明が急速に発展できたのは、古代ギリシアの学問の伝統があったためだと考えられてきましたが、最近では古代オリエントの影響があったことも再認識されるようになってきました。
オリエントとは、古代のエジプトやメソポタミア地方のことをいいます。この地方に世界最古の文明が興り栄えていました。 ギリシア文明の千年以上も前に、オリエントですでに数学が生まれ発達していたのです 。
ギリシア文明の始まろうとする紀元前6世紀になっても、オリエントはなおギリシアより進んでいました。

しかし、オリエントの遺跡の発掘が始まり、オリエントの数学がどんなものであったかが分かってきたのは最近のことで、近世(19世紀まで)のヨーロッパの人は、エジプトやメソポタミア地方でどのような数学が発達していたかを知りませんでした。したがって、ギリシアが数学の源泉だと考えていたのは無理からぬことだと思います。現代の数学はヨーロッパで発達し、ヨーロッパの数学はギリシアの数学を手本にしてきました。私たちも、ヨーロッパから数学を学んできましたから、数学はすべてギリシアから始まると思ってきました。

メソポタミアはヨーロッパのキリスト教徒にとって心のふるさとでした。子供のころから教会で聞かされるノアの箱舟やバベルの塔の物語にはウルク、バビロニア、ニネヴェ、カルデアなどといったエキゾチックな古代都市や国が登場し、思い描くメソポタミアは神秘に満ちた「エデンの園」そのものだったのです。

18世紀になると西ヨーロッパの人々は探検や観光のためメソポタニアを訪れるようになります。荒れ果て砂漠に埋もれたバビロンの遺跡や聖堂(ジグラット)、岸壁に刻まれた不思議な文字などに心を奪われました。19世紀に入るとメソポタミアで発展した楔形文字の解読が始まります

20世紀になるとイギリス、フランスなどによって本格的に発掘調査が行われるようになりました。
多くの美術品や巨大な建造物が発見されるたび、そのすばらしさに多くの人が目を奪われ、楔形文字の解読が進むにつれて、この地にかつてきわめて高度な文明が存在していたことが再認識されるようになってきたのです。
ーーーーーーー引用終わり

文明の扉を開けた人類が、長い年月をかけて「数の概念」そして「数学」を発展させていった歴史
メソポタミアそこにはこれまでの所、幾ら調べても数学の始まりの歴史はありません。
何故なら数概念獲得の長い歴史は、日本列島の20000年前頃から10000年前頃までにあるからです。
今の所縄文時代がどんなものか世界にはまだ知られていません。

数概念の高度化のためには何が必要だったのか
数概念の高度化は、月の暦と太陽暦作るところから始まっているからです。
西アジアより西には、カレンダーを作るための原理は知られていません。
小学校でカレンダーの作り方を教わってきたでしょうか。
今まで西アジアからの古代文明では、その知識はありませんでした。
現在のカレンダーは月の周期を無視し、太陽と地球の関係も無視しています。
何よりもカレンダーは月齢の周期を曜日で示すことが出来ていません。
貝採取の潮の干満が示されていません。貝採取の生業は無視されています。
現にカレンダーの作り方は何処でも教えられていません。
何故でしょうか、

それは365と30の同期、小学生でも知っている、最大公約数の原理が知られていないからです。
現代の天文学でもカレンダーの作り方は存在していません。
これこそが数概念の高度化と、数学の始まりであるからです

日本列島の縄文時代にはそれがありました。
3000年前にはそれは掻き消されてしまいました。
それ以来カレンダーの作り方は大変難しいものにされ、占い師のもの、専門家のものにされてしまいました。
複雑怪奇でとても理解出来るものではありません。
それは原理原則が欠けているからです。
単純なものが美しいと言いながら、カレンダーという基礎的なものは分らなくされていたのです。
支配の道具とするために専門家が態と難しいものにして、人々に知られないようにしてきたからです。
しかしそれは、縄文時代の金生遺跡の立地から始まる配石の解明により、今や明白なものと成りました。
金生遺跡での一太陽年の観測は、世界で初めての太陽暦観測の始まりだったのでは無いかと考える。
古代文明の基礎はここで始められていた


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