金生遺跡を世界遺産 世界標準時の天文台にしよう会

オールトの雲 ボイジャー

現生人類誕生 20万年前頃から
縄文時代 今から10000年前頃から始まった、太陽暦の開発は7000年前頃
金生遺跡・大配石での太陽暦観測は4500年前頃から

人類の存在を証明する最後の証拠となった?  金のディスクを持っている   NASA史上最も重要な探査機「ボイジャー」
このボイジャーが太陽系から外に出るのには、オールトの雲を抜けるのに30000年かかるという

ボイジャーは今光で1日近くかかる距離に居るという

打ち上げられた1977年というのは、宇宙時代が幕を開けてから20年しか経っていない頃です。これはオイルショック直前のころですね 現在と重なる悪夢ですね。
金生遺跡・大配石が発見されたのはこの直ぐ後の1980年代

ボイジャーに搭載された原子力電池は、故障しない限り2020年まで持つと言われます。その頃ボイジャー1号は、太陽から約224億4000万kmという地球と太陽の150倍の距離に達し、恒星間飛行をする人類史上初の探査機となっていることでしょう。ということです。
金生遺跡・大配石での太陽暦観測装置が発見されたのは2021年でした

 

 

ボイジャーはまだ信号を送り続けているのでしょうか。
ボイジャーが写真を送ってきた最後は、「ペイル ブルー ドット」という。歴史上で地球を一番遠くから写した姿で、カラーのドットとしか見えない。

 

淡く青い地球  白い点としか見えていないようですが  写真はお借りしました


一光年を移動するには
探査機のボイジャー1号が時速6万キロくらいで、およそ18000年ほどかかるといわれています。

 時速5万6000kmを超える速度で、へびつかい座の方向に飛行するボイジャー1号は、宇宙空間にある最速の人工物だ。
2012年に初めて太陽圏を離脱して星間空間に入る探査機となったことが、翌年になって公式に発表された。(参考記事:「ボイジャー1号の太陽系外到達を確認」)

 ボイジャー2号がほかの恒星に接近するのは今から約4万年後で、小さな赤色矮星ロス248から1.7光年以内のところを通過する。


この頃には人類は間違いなく存在していないでしょう、数万年前に滅亡して、他の宇宙人により・・・

 

 現在、太陽から最も近い恒星はアルファ・ケンタウリだが、ボイジャー2号と出会う頃にはロス248が太陽から3.02光年のところまで接近して、一時的に太陽に最も近い恒星となる。(参考記事:「太陽系から最も近い地球型惑星発見、過酷な環境」)

 西暦4万472年には、ボイジャー1号はきりん座の恒星グリーゼ445から1.7光年以内のところを通過する。

 6万1000年後にはオールトの雲を通過する。オールトの雲は太陽系を取り巻く氷の天体の集団で、その直径は太陽から地球までの距離(約1億5000万km)の20万倍にもなるという。

 科学者の多くは、長周期彗星はオールトの雲からやって来ると考えている。太陽の重力の影響が及ばなくなる場所を真の太陽系の果てと考えるなら、オールトの雲は太陽系の果てでもある。

 ボイジャー2号がその次に恒星に接近するのは西暦29万8000年で、地球の夜空で最も明るく輝く恒星シリウスから4光年以内のところを通過する。
それから約10万年後に、くじゃく座デルタ星とGJ 754という2つの恒星の近くを通る。

 ボイジャー1号は5万6000年後にオールトの雲から出て、57万年後にはGJ 686とGJ 678という2つの恒星の近くを通過する。

 最終的には、ボイジャーは銀河系のほかの天体と同じように銀河中心の周りを回って・・・

 ボイジャーのプロジェクト科学者であるエド・ストーン氏は、「太陽付近の恒星は、銀河中心の周りを2億2500万~2億5000万年の周期で回っています」と言う。「ボイジャーも同様の軌道をとり、銀河どうしの衝突により秩序が乱されるまで、数十億年間は2億2500万年周期で回転を続けるでしょう」

 40億年後、銀河系は隣のアンドロメダ銀河と衝突し、夜空の眺めは大きく変わる。(参考記事:「銀河系とアンドロメダ、40億年後に衝突」)

と言う話のようです。

ボイジャー関係の情報は各所のソースからお借りしました。

追加しました

引用ーーーーーーーーーーーーーー

宇宙戦艦ヤマト
さらばー、ちきゅうよー

イスカンダル星は、地球から14万8000光年離れているそうです。
これをキロメートルに換算すると、約140京80兆Km。

光の時速10億kmで、14万年ですので・・・
時速60.000kmのボイジャーが到達するのは・・・

これをヤマトは片道半年で行ってるんですねっ(゚ロ゚屮)屮(笑)
 
まぁ「宇宙戦艦ヤマト」は設定が2199年らしいので、話を現実に戻しましょう♪
(太陽以外の)地球から最も近い恒星とされているのは、プロキシマ・ケンタウリという星。
英国クイーン・マリー大学の2016年の発表によると、プロキシマ・ケンタウリには惑星が回っていることが判明したそうです。 (「プロキシマ・ケンタウリb」と名付けられました)

これなら現実的な知的生命体との接触もありえなくなさそうですが・・・
プロキシマ・ケンタウリbと地球との距離は約4.2光年、キロメートルにすると約39.7兆km。
現在のボイジャーのスピードですと、到着までに約7万年かかるそうです(笑)。

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イスカンダルとは

 東方遠征を開始したアレクサンドロス大王は、前330年に宿敵・アケメネス朝ペルシアを滅ぼしました。都であるペルセポリスでは徹底的な破壊と一般民衆の虐殺まで行いました。しかし、大王は行軍を止めませんでした。アケメネス朝の領土内を辿り、さらに東へ遠征を遂行したのです。

【地図2】アケメネス朝ペルシア cアクアスピリット

【地図3】アレクサンドロス大王の遠征図 cアクアスピリット
【地図2】は、アケメネス朝ペルシアの領土を、【地図3】は、アレクサンドロス大王の遠征図を示しています。

 これを見て分かるのは、大王の遠征は、実はアケメネス朝ペルシアの領土内の移動が大半であったということです。
 少し話が横道に逸れますが、「アレクサンドロス大王」のことを、ペルシア語やアラビア語では、「イスカンダル」と呼びます。この言葉、ある世代にはすぐにピンと来ると思いますが、松本零士氏の『宇宙戦艦ヤマト』に登場します。
遠征はアケメネス朝の商業ルートを利用していた
 放射能で汚染された地球を救うために、『ヤマト』は放射能除去装置コスモクリーナーを提供してくれるという星に向かうのですが、その星の名が「イスカンダル」でした。おそらく松本零士氏はアレクサンドロス大王の東方遠征にストーリーを重ねたのでしょう。
『ヤマト』の宇宙航海は、人跡未踏の航路を辿るもののように思えますが、よくよく考えてみると、イスカンダルの女王スターシャーが教えてくれた航路であったはずです。つまり艦長の沖田十三や乗組員の古代進たちには進むべき道が見えていたわけです。
大遠征はアケメネス朝の商業ルートを通って


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