冬至の日没と配石の関係
この関係はこれまで誰も見ていなかったと思うのですが
配石が冬至の日の出ラインでデザインされていることから
冬至の日没と石棒の関係が推測可能となった
冬至の日の出ラインと、飯盛山からの立秋の日の出と男根型石棒との交点から
冬至の日の入りラインの上に石棒が載っていることが推定出来る。
概念図を改訂して追加しました。
冬至の日の出ライン上で、立春のノーモン台は先端に決まっているから、
同じく立秋のノーモン台は冬至の日の出ラインの上に、立秋の日の出の飯盛山と、立秋の石棒から決められている。
茅が岳から立春の日の出があり、飯盛山から立秋の日の出があるという立地に、
同時に甲斐駒ヶ岳への冬至の日没があるなどという位置に合わせることが出来たのか。
地形の不思議と云うほか無い。
この金生遺跡・大配石での太陽暦観測施設の立地は奇蹟の立地であると思う。
図はお借りしました