「おしぶの森」から「徳田公民館」へ行く途中に桜の名所の久妙寺がある。その境内に大きくて高い石造の三重塔があった。院家(いんげ)快範上人を祀る塔であると云う。院家とは、寺院本体とは別に別院を構成しそこに止住する僧侶をいうが、この地方では住職をいう。宝永3年(1704)に建立。
愛媛県西条市丹原町の四尾山(おしぶやま)の福岡八幡宮の境内にある四尾山稲荷神社は、享保年中(1716-1736)松山藩松平定英の命令により福岡八幡宮の宮司・越智備後守が伏見の稲荷大社より周布・桑村、両郡鎮守の別宮として分霊をお迎えした。
当時松山藩は、丹原を道前地方の商業地として指定、地租税を免除。大発展を望み、そのため商業神である稲荷大神をお迎えしたのである。下って弘化4年(1847)8月、神殿を再建したが、この地方の鎮守であった事を、裏付けるように建立費用は、両郡が負担した。
愛媛県西条市丹原町の四尾山(おしぶやま)の山頂に福岡八幡宮が祀られている。四尾山は、通称「おしぶの森」と呼ばれ、道前平野の真ん中にポッンとある標高60mの丘だ。神社までは137段の長い石段がある。最初は高鴨神社の添神として鎮座していたが、後に周敷の一宮となった。神社入口の麓には、霊場「生木地蔵」がある。
愛媛県西条市丹原町に所在する生木地蔵の境内に「雨乞石」がある。昔は田へ水を入れるには自然の流水に頼る外に方法がなかった。日照りが何日も続くと田は割れ、畑は乾き作物は枯れて、飢饉となることが何百回あったか知れない。元禄10年(1697)も大旱魃があり、この石の前で火を焚き、「南無阿弥陀仏」と唱えて雨乞の祈りをすると、2.3日大降りとなって皆んな活き返って喜んだと伝えられている。