毎日、毎日辛くなるニュースが沢山ありますな。
今日は言ってはいけない、ギリギリを毒づいてみたくなりました。
こんにちは、jisan-basanです。
先の参議院選挙、なかなか考えさせるものがありました。
4月に設立されたばかりの山本太郎氏率いる「れいわ新選組」が、
96万3千票も集めて、重度の障害を持つお二人を当選させ、
自身は落選しましたね。
TVで繰り返し流れる山本氏のフレーズに
「死にたくなる世の中の変えるんだ!」
「あなたは存在しているだけで価値がある!」
がありますな。
泣けるじゃないですか。
特に世の中の不条理に絶望している人に、何と力強い励ましの
言葉でしょうか。これが、96万票を呼び込んだのです。

私は一生懸命に努力して生きようとしている人間に、心から応援
したいと思っています。
ですが一方で、身勝手な理由から人を巻き添えにする、けしからん
輩の命の価値が、全く同じだとは思いたくない。
例えば京アニの事件を引き起こした犯人に、生きる価値があるとは思えない。
彼が仮に一命を取り留めて、どんなに情状酌量を訴えようとも、
輝かしい未来のある若者の命を奪ったことを許す訳にはいかない。
一生懸命生きてきた人々の命が、そんな人間と等しい価値だとは
思わない。
日本は法治国家ではあるが、「死刑」と「死に行く権利」の論争の種は尽きないですな。
さらに言えば、刑法39条の
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(心神喪失及び心神耗弱)
第三九条 心神喪失者の行為は、罰しない。
2 心神耗弱者の行為は、その刑を減軽する。
(心神喪失及び心神耗弱)
第三九条 心神喪失者の行為は、罰しない。
2 心神耗弱者の行為は、その刑を減軽する。
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によって守られる犯罪者がいるということは、公には声を大にして
唱えることこそ出来ないが、不条理の極みであると思います。
重罪を犯した加害者を守るために、減刑の弁に必ずと言って
良いほど弁護士がこれを口にしますね。
罪を犯した人間の命を守るため、
「責任能力の有無を確認する刑事責任鑑定」
が必要だとほざくではないですか。
何の罪もない人間に危害を加えておいて、責任能力が無い場合、
どうして
したことを無かったことに出来るのか!

正気の沙汰でないことをした人間の罪を問えず、必死に生きてきた
未来のある人間の命が無駄であったと?
いつまでもそんな理由がまかり通る国家であって良いのだろうか
と思いますよ。
私は、別の意味で
どんな命もなくなって良いものは1つもない
とは到底思えないのですがね。

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