DFEの屋根裏BLOG

殺伐

誰でも話せば分かり合えるものだとばかり思ってましたが、世間には幾ら冷静に話そうとしても理解してもらえない相手がいるって事を改めて知った、貴重な一日の始まりでした。。。
振り返れば数ヶ月前頃からでしょうか。
家から数十メートル離れた路肩に、我家の方向に向けて駐車する一人乗りのK車が一台。っま、向かいには売れ残りの分譲地が沢山あるし、土地に興味を持った方が周辺の状況を熱心に観察されているのかな?なんて思い流してましたが、それが雨の日も風の日も数日置きに数ヶ月間続き、しかも車は常に我家向きとなれば、誰だって不信な気持ちにもなるでしょう。

これまで幾度となく、接触を試みようとして出勤時に表に出ると、タイミングを図ったように居なくなってるケースが多かったのだが、今朝はその場所にその車が止まってた。そこで意を決し接触を試みる事にした。

どこの誰かも全く知らない人故、一応警戒もしつつ、至って冷静に声を掛けさせてもらった。ところが60歳を超えたほどの初老の親父さんは、怪しいと思われ声を掛けられた事が逆鱗に触れたらしく、ただ単に「人を待ってる」の一言で済むはずのやりとりが、わざわざ車から降りてきて、体を震わせながら反撃(?)に出られ、お前は物事の順番が間違ってるし、若くて勉強が足りないとまで言われる始末。

親父さん曰くは、怪しいと思ったら真っ先に警察に連絡すべきだったと言う。貴方がそう言う感覚の人間であれば、確かにそうだったかも知れないし、多分今の時代はそれが当り前なんだと思う。確かに、子供達が玩具の鉄砲を持って遊んでるのを見た大人が警察に電話するような時代。目の前で悪い事をしている他人の子供を叱れない時代。子供達が学校の行き帰りに町内の人から挨拶されても、無視するような教育方針が罷り通る時代からすれば、これが極当り前なんでしょう。

ただし物好き親父的には、ただでさえ近所付き合いが廃れ、自分さえよければ他人はどうでも良いような殺伐とした世の中の風潮を見れば、これをそのまま受け入れる訳にはいかないのだ。って事で声を掛けさせてもらったのだが。。。

いくら話をしようとしても、その話を聞いてもらえない
聞く耳すら持ってもらえない人も世の中にはいるって事。

なんか悲しく寂しい一日の始まり。。。
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「時事/見聞」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事