ヒンドウー教徒であれ、
イスラム教徒であれ、キリスト教徒であれ、
どのように生きてきたのか、ということが、
その人の人生がまったく神のものであるかどうかを、
証明するのです。
わたしたちは、非難したり、判断したり、
人々を傷つけるような言葉を言ったりすることはできません。
わたしたちは、神がどのようなやり方で、その魂に現れ、
ご自分の方に引き寄せられるのか、わからないのですから。
そうであれば、だれかのことを非難することなど、
いったいわたしたちは、何様なのでしょうか。
(マザー・テレサ)
”愛する者よ。
悪にならわないで、
善にならいなさい
善を行う者は神から出た者であり、
悪を行う者は神を見たことのない者である。
(ヨハネ三 11)”
コロナ時代に入って、
言葉にすると違和感を持たれてしまう分断社会に変わりました。
接種者、非接種者、感染者のすべての人(無知な人も含む)が
被害を受けている今の実態を何と呼べばよいのでしょう?
化学物質過敏症も超えた健康被害で全人類を巻き込んでいる新たな「公害」ではないでしょうか?
製薬会社と為政者たち(中には医者も)、
が利を貪るだけの社会になっている気がしてなりません。
善人と見える人の内側も神さまはご存知です。
(また、人間である彼らを義に見せかけて操作している闇も含めて祈ります。
信頼できる唯一のお方は主なる神さまだけです。
主を通して、
キリストの血と復活の体を通して、
真理が成ります。
信頼して祈り続けます。
そして、一人でも祈る人が増えて、
神の愛に忠実に生きれる社会へと変えられますように。
神の愛の願いだけが全地に満ちますように。
あふれますように。
キリエ・エレイソン
Amen.
11月25日の花言葉
キンモクセイ
謙遜・真実
