若いシスターたちの何人かが、
興奮し、少し神経質になって、尋ねました。
「言葉も習慣もわからない国で、
わたしたちはどのようにやっていけるのでしょうか?」
わたしはこう言いました。
「何も心配は要りませんよ。
あなたがたは、愛の言葉、
この、誰もが理解できる言葉を話せるではありませんか。」
質問は続きました。
「何をもっていったらいいのでしょう?」
わたしは答えました。
「わたしたちの心と、わたしたちの手を。」
(マザー・テレサ)
”わたしがこれらのことを話したのは、
わたしの喜びが
あなたがたのうちにも宿るため、
また、あなたがたの喜びが
満ちあふれるためである。
(ヨハネ15:11)”
宣教師や、日本に重荷があって来日したクリスチャンたちが、
日本に到着するまでに日本語を神さまから与えられたと、よく聴きます。
娘もペンシルバニアに留学して間もなく。、英語の扉が開かれたと感動と感謝のメールを送ってくれました。
何も心配しなくていいんだよ。
必要はわたしが与える。
あなたは、わたしの名前で祈り求めてくれたから。
主はお優しいおかたです。
誰よりも、一人ひとりを知り尽くして、
与え続けてくださいます。
信頼して心を一つにして手を合わせて祈るだけで・・・。
感謝します。
Amen.
11月2日の花言葉
セイタカアワダチソウ
生命力
