二十年以上ぶりにブログを開設してみた。
きっかけは一匹のにゃんこ。
名前はもねちゃん。
今年の1月に、帰宅した娘のあとをついてきて、ドアを開けたら中に入ってきたトーティシェル柄の子猫ちゃん。
かかりつけのドクターによれば、もねは5か月くらいの仔。
おなかがすいていたみたいで、フードをあげるとがつがつと食べ始めた。
うちにはすでに、7匹のにゃんこがいる。
去年の12月、19歳のあちゃくんと、まだ10歳にもならないゆずくんが急逝した。
12月24日。クリスマスイブの日だった。19歳のあちゃくんは、人間でいえばもう、92歳。
いつなにがあってもおかしくない年齢だったが、なくなる前日まで元気だった。なのに。
24日朝起きてきたら、テーブルの上で冷たくなっていた。
ゆずくんは、24日の何日か前から急激に体調を崩して、あれよあれよという間に、動かなくなってしまった。
抱いて動かすだけでも苦しそうなので、なんとか、あたしのベッドへ運んで、スポイトで水を飲ませた。
だが、それさえももう・・・・。
25日の明け方、あたしと娘の間で天に召された。
24日から25日、あたしは泣き通しの日だった。
いつか別れる日がくるのはわかっていることだ。だが、やはり、楽しかった思い出ばかりが思い出されて涙が止まらなかった。
そんな年の暮を過ごして1月。
もねちゃんがうちにやってきたのだった。
あちゃとゆずが、もねになって帰ってきたように思えた。もねちゃんは女の子だが。
さっそく、もねちゃんにフロントラインをつけて、あたしの仕事が休みの日、かかりつけの病院へ連れて行った。
もねちゃんは、白血病キャリアだった。腎臓も、右側しか機能しておらず、ドクターが見せてくれた腎臓の画像は、
左側が完全に、形が崩れていた。おなかに寄生している虫もひどいようだった。
何種類かの虫を駆虫する薬をもらい、風邪もひいていたので風邪薬ももらった。
白血病キャリアの仔は長生きできないという。もねちゃんも、3年は生きられないと言われた。
いきなりの余命宣告だった。
ほかの猫たちが感染しないよう、もねちゃんを隔離して生活させる必要があった。
家を出て生活をしている息子の部屋をもねルームにした。あたしが仕事の日は、あたしが帰るまでもねはもねルームで過ごす。
もねがきて1か月ちかくたつ。白血病キャリアだなんて、腎臓が右側しか動いていないなんて思えないほど、
もねは元気でやんちゃでキュートで甘えん坊だ。
隔離するのはもね自身のためでもあり、ほかの猫たちのためでもある。
それはわかる。
だが、3年しかない命なら、思い切り自由に過ごさせてあげたい。
毎朝、出かける用意をしながら悩む。
もねはほかの猫たちとは戯れることはない。ほかの猫たちも、あまり、猫同士、じゃれあったりグルーミングをしあったりしない。
だが、白血病は、食器からも感染する。同じ食器で水を飲めば、ほかの猫たちの感染リスクが高くなる。
うちの猫たちはみな、保護した猫たちばかりだ。ひどい雨降りの日に、びしゃびしゃに濡れて崩れ始めていた段ボールの箱に入れられて捨てられていた仔もいた。
保護しなければ、たぶん、とっくに天に召されていただろう猫たちばかりである。
みんなかわいい。仕事でひどく疲れ、持病の痛みに耐え、常にお金がない貧乏生活でも、猫たちが笑いをくれている。
どの猫も大切な子供たち。
今、とても悩んでいる。もねの、短い人生・・猫生?を、最後まで狭い部屋で過ごさせるのか。
・・・とても悩む。