なぜ私は難しいことを続けてきたのだろうか。
それは難しいことが好きだからだろう。
技術系の仕事なので、難しい問題の取り組んで、それを解決できれば周囲から認め
られる。
そんなことを繰り返して、難しい問題に取り組むことが好きになってしまったのだ。
振り返って考えると、学校の勉強でも易しい問題から始めて、だんだん難しい問題
を解くようになり、難しい問題を解ければ先生からほめてもらえる。
だんだんと難しい問題に取り組むことが好きになるような習慣的想念が根付いてし
まったのだと思う。
私だけでなく、技術系の人間の殆どが難しい問題を解決できる人が優れていると思
い込んでしまっていると思う。
実は自分の「難しい事を好む」性格が原因だということは、以前から気が付いてい
て、気持ちを切り替えようという思いもあって6年ほど前に勤め先を換えてみた。
とにかく、
日常生活では
「複雑なことはやらない」
「難しく考えるのはやめて、なるべく簡単な方法を考える」
また、過去の
「難しい問題を解決して褒められた体験(いわゆる成功体験)」
は思い出さない。(ただし否定はしない)
などなど、習慣的想念をなんとか変えようと試してきた。
それでも会社ではだんだん難しい仕事を任されるようになり、憂鬱になってしまう。
他人のせいにはしたくないが、会社で「難しい問題を解決できる人が優れている」
と皆が考えているのではどうしようもない。
どうしたら私の憂鬱感は解消できるのだろうか?
「難しい問題を解決できる人が優れている」と皆が考えている環境で、一人だけ
「難しく考えない」ようにする、というのは、ある意味では難しいことだと思う。
とりあえず今週の金曜日に心療内科へ行って相談するのだけれど、自分でここまで
分析できていて、なにを話せばよいのだろうか?
それにしても心療内科に通う人があんなにいるとは驚いた。
最寄の駅近くにいくつか心療内科の医院があるのだけれど、そのうち2件に行った
のだが、2~3週間先でないと初診も受けられないとは。。。
それは難しいことが好きだからだろう。
技術系の仕事なので、難しい問題の取り組んで、それを解決できれば周囲から認め
られる。
そんなことを繰り返して、難しい問題に取り組むことが好きになってしまったのだ。
振り返って考えると、学校の勉強でも易しい問題から始めて、だんだん難しい問題
を解くようになり、難しい問題を解ければ先生からほめてもらえる。
だんだんと難しい問題に取り組むことが好きになるような習慣的想念が根付いてし
まったのだと思う。
私だけでなく、技術系の人間の殆どが難しい問題を解決できる人が優れていると思
い込んでしまっていると思う。
実は自分の「難しい事を好む」性格が原因だということは、以前から気が付いてい
て、気持ちを切り替えようという思いもあって6年ほど前に勤め先を換えてみた。
とにかく、
日常生活では
「複雑なことはやらない」
「難しく考えるのはやめて、なるべく簡単な方法を考える」
また、過去の
「難しい問題を解決して褒められた体験(いわゆる成功体験)」
は思い出さない。(ただし否定はしない)
などなど、習慣的想念をなんとか変えようと試してきた。
それでも会社ではだんだん難しい仕事を任されるようになり、憂鬱になってしまう。
他人のせいにはしたくないが、会社で「難しい問題を解決できる人が優れている」
と皆が考えているのではどうしようもない。
どうしたら私の憂鬱感は解消できるのだろうか?
「難しい問題を解決できる人が優れている」と皆が考えている環境で、一人だけ
「難しく考えない」ようにする、というのは、ある意味では難しいことだと思う。
とりあえず今週の金曜日に心療内科へ行って相談するのだけれど、自分でここまで
分析できていて、なにを話せばよいのだろうか?
それにしても心療内科に通う人があんなにいるとは驚いた。
最寄の駅近くにいくつか心療内科の医院があるのだけれど、そのうち2件に行った
のだが、2~3週間先でないと初診も受けられないとは。。。
○「外」にある難しい問題は、実は自分の問題でないのですが、それを行なって上げることで、人の役に立ちまた自分も良く見られる・・という意識から来ていると思います。・・そこに自分の問題があります。
何か他者依存・自分からの巧妙な逃げ的な要素もあると思います。
が、実は潜在意識的にはそのマイナス面にとうの昔に気付いており、その克服作業を既に開始しているしすぐにでも克服することが出来ると思います。
難しいことは実は誰も歓迎しないし、宇宙にも本来ないのではないかと気付けば、やはり楽しいことをする方がはるかに自分と他人のためになる・という簡単な結論になります。
「難しいことは・・・、宇宙には本来ない」
確かにその通りだと思います。
私の「心」が、「・・は難しい」と感じていること
には間違いありません。
そんな「心」を無感動や無慈悲な性質に陥ることなく、
発達させてゆくのが人生なのだと思っています。