J’sてんてんてまり

はじまりは黎明期。今は、記憶と記録。

シルクロード900日

2007年09月23日 | 人にぞっこん

2年半、1万3千キロを歩く。

しかも、いくつもの国にまたがって。

そんな経験をしてみたい、と思うだろうか。

静岡市清水区出身の大村一朗さんは、そう思った。思ってしまった。思ってからしまった、というわけではない。

ちなみに、日本列島は、北から南まで、約3000キロである。
*地理ー日本の国土と気候 http://www.cmpk.or.jp/user/aiueoscl/EJUAIS/tiri/q1.html

登山や旅は、好きだった。
学生時代、毎日、未来への不安を感じていた。
何かを変えたい、きっかけが欲しい、そう思い続けていた。

時代を覆う、漠然たる不安。

理屈では、払拭できない、何か。

自分には、とても不可能だと思えることを達成すれば、変わるんじゃないか。
自分に挑戦したい。

それが、歩いてシルクロードを旅するチャレンジになった。

自分には、というよりも、大多数の人には、と言ったほうがいい気がするが。。。

別に、大村さんは、屈強な男性ではない。
少々自信を裏打ちするために、2年間空手を習った。身に付く護身術、というより、護心術。

果たして完遂できるのか。

そんなことは、誰にもわからなかった。当の本人とて。
だからこその、挑戦。

中国は西安から、ゴールのローマを目指して。



〇シルクロードマップ
http://hzen.at.infoseek.co.jp/



中国の若者は、徒歩で、自転車で、或いはバイクで、盛んに旅をしていた。
エネルギーに満ち溢れていた。
しかし、彼らの行き先は限られている。 お国事情だ。

「狭苦しそうに、広大な中国を巡っている」大村さんは、そういった。

いまも、輸送路或いは生活路として、各地で幹線道路として活用されているシルクロードは、
日本でイメージすれば、ちょうど国道1号線のようなもの。
アスファルトの道を、トラックが往来し、比較的、交通量もある。
30~40キロも行けば、次の集落が開けて来るから、誰も居ない荒野に彷徨う不安は少ない、らしい。。。

13もの国を通り抜ける。

もちろん、簡単ではない。

国境を越えるたびに、緊張した。

一方、人々は、どこでも旅人を歓迎する傾向にあった。
旅などしたことがない、他の国に行ったことのない人たちも多い。
各地の辞書を片手に、片言の会話。

それでも、聞かれることは大体同じ。

そう、きっと、私たちも聞くこと。

どこの国から来た、どこへ行く、何をしている、何故歩いている、この国はどうだ、この国の女の子はどうだ、食べ物は。。。。

人々を区切る国境線や言葉の違いはあっても、心根は、同じ。

一番怖い目にあった思い出は、と問うと、犬、と来た。
イランからトルコにかけて、軍の施設や大きな店などでは、決まって獰猛な番犬がいる。
いや、獰猛といっては犬に申し訳ない。
荒々しく番をするように頼まれている犬がいる。
少しでも、テリトリーを犯すと、イキナリ襲ってくる。
これにはかなり閉口したらしい。

って言うか、そうか、それが一番の恐怖体験だったのか。

少し拍子抜けするような答えだったが、大村さんの肝っ玉が太いってことなのか。
それとも、やはり、直接的な暴力体験は、動物(忠実な番犬)による、通常の平安を襲われることだったのか。

宿が見つからなければ、テントを張ったり、民泊した。
借りた宿で、何の御礼も出来ず、そんなときに役立ったのは、とり続けた写真だった。
これを見せながら、いままでの旅の話をすると、みな、とても楽しんでくれた。

だから、現像できる場所に行くと、必ず写真をプリントしておいた。

もうだめだ、或いはふと我に返り、旅を投げ出したくなると、歩くのをやめて、静かに座った。
何回か、自分の気持ちが歩を促すまで待った。

そうして、あと少し、ゴールのローマが近づく。

2年半もの間、毎日地図を見ながら歩いてきた。
明日どころか、今日の、イマの続きがどうなるかも分からず、歩いてきた。

ゴールがすぐそこにある。

自分は、変わっただろうか。変われただろうか。ゴールで、何か変化が表れるのだろうか。
到着したら、自分はどうなるんだろう。。。。

ゴール。

なにも変わらない。

いや。

気付いた。

明日の不安、未来の不安、わけの分からない不安でどんよりしていた自分の心。
いまは、さて、次はどこに行こう、何をしよう、好きな場所にいける、好きなことが出来る、とワクワクしていた!

帰国した大村一朗は、体験を本にする。
まとめるのに、7年かかった。



大村一朗

〇「シルクロード路上の900日」
http://www.asiabunko.com/g_silk900.htm



出版が決まった彼は、中国で知り合った日本人女性と結婚した。

そして、シルクロードの旅で、一番印象深かったイランに、もう一度行こう、と決めていた。

イランに入ると、会う人が、必ず声を掛けてくれる。
お茶を飲んでいけ、休んでいけ、と進めてくれる。
ついぞイランでは、宿の心配がなかった。

言葉を学び、大学院に入り、彼の学びは本格化する。

いつかは、と思っていたジャーナリストの道を歩み始める。

シルクロードを自力で歩き抜いた彼だ。

新たなジャーナりストの道も、一歩一歩、前に進むだけだ。
歩けば、景色が変わる。歩いて行けば、出会いがある。歩き続ければ、目指すものに近づく。

妻も、ついてきてくれた。子どもも生まれた。

イランの放送局で、日本向けの短波放送を日本語で流す仕事にも就いた。

一時帰国しているが、この秋イランに戻れば、本採用で、局での仕事を続けてゆく。

いまの日本はどうですか、といささか曖昧な質問をしてみた。
その日に乗ってきた小さな地方の私鉄の駅に「テロ警戒中」という張り紙があちこちにあり、
ゴミ箱が撤去されているのに、少々面食らったらしい。

イランでは、ゴミ箱が多くて、街はきれいだという。
もちろん、テロ注意の張り紙は見たことがない、と。

彼の見る、イランの人々の生活や日常の姿を、電波で聞ける。
彼は、これからも、道を歩き続ける。



〇夜10時から30分、短波放送13755/15555kHz
イランイスラム共和国放送~ウィキペディア

〇IRIBラジオ日本語
http://japanese.irib.ir/

〇第16回「イランイスラム共和国 日本語ラジオ放送アナウンサー大村一朗さん」~海外キャリアの歩き方
http://www.ecareer.ne.jp/contents/walking/016.jsp




穏やかで、落ち着いていて、物静かな、という形容が近い大村一朗さん。
彼の視線は、地を歩く視線だ。
その言葉が、地から離れることなく、歩く速度で語られる。

生き物としてのヒトが、見て、聞いて、理解できて、経験できる速度やサイズがあるはずだ。

それを拡大するには、一歩づつを重ねることしかないのだろう。
五感すべてで体感する立体的な生物時間で、空間を生きてゆくこと、なのだろう。

イランからの放送では、空を飛んでくるけれど。


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2 コメント

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Unknown (wasawasa)
2007-09-24 15:27:32
一つの「成功体験」を持っている人は強いと思いますね。「ハムレット」にも「今来ることは後には来ない。肝心なのは覚悟だ。」という言葉がありますが、やり遂げた事はその先何十年もずっと自分の中の屋台骨になる気がします。やり始めたから、やり遂げたからこそ次に開く何かがあるというのも大村さんの経験から納得しますね。そろそろ自分も新たな成功体験を得るべくがんばらねばと思うこの頃です
課す。 (本人)
2007-09-24 23:34:59
まったく、覚悟、するには覚悟がいるよね。。。。。

何事かを自分に課す、というときに、たくさんのいいわけが浮かぶのも、また才能かと思えるほど、行く手に覚悟を阻む要素は多い。
wasawasaさんの、次の一手、応援します!

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