2年半、1万3千キロを歩く。
しかも、いくつもの国にまたがって。
そんな経験をしてみたい、と思うだろうか。
静岡市清水区出身の大村一朗さんは、そう思った。思ってしまった。思ってからしまった、というわけではない。
ちなみに、日本列島は、北から南まで、約3000キロである。
*地理ー日本の国土と気候 http://www.cmpk.or.jp/user/aiueoscl/EJUAIS/tiri/q1.html
登山や旅は、好きだった。
学生時代、毎日、未来への不安を感じていた。
何かを変えたい、きっかけが欲しい、そう思い続けていた。
時代を覆う、漠然たる不安。
理屈では、払拭できない、何か。
自分には、とても不可能だと思えることを達成すれば、変わるんじゃないか。
自分に挑戦したい。
それが、歩いてシルクロードを旅するチャレンジになった。
自分には、というよりも、大多数の人には、と言ったほうがいい気がするが。。。
別に、大村さんは、屈強な男性ではない。
少々自信を裏打ちするために、2年間空手を習った。身に付く護身術、というより、護心術。
果たして完遂できるのか。
そんなことは、誰にもわからなかった。当の本人とて。
だからこその、挑戦。
中国は西安から、ゴールのローマを目指して。
〇シルクロードマップ
http://hzen.at.infoseek.co.jp/
中国の若者は、徒歩で、自転車で、或いはバイクで、盛んに旅をしていた。
エネルギーに満ち溢れていた。
しかし、彼らの行き先は限られている。 お国事情だ。
「狭苦しそうに、広大な中国を巡っている」大村さんは、そういった。
いまも、輸送路或いは生活路として、各地で幹線道路として活用されているシルクロードは、
日本でイメージすれば、ちょうど国道1号線のようなもの。
アスファルトの道を、トラックが往来し、比較的、交通量もある。
30~40キロも行けば、次の集落が開けて来るから、誰も居ない荒野に彷徨う不安は少ない、らしい。。。
13もの国を通り抜ける。
もちろん、簡単ではない。
国境を越えるたびに、緊張した。
一方、人々は、どこでも旅人を歓迎する傾向にあった。
旅などしたことがない、他の国に行ったことのない人たちも多い。
各地の辞書を片手に、片言の会話。
それでも、聞かれることは大体同じ。
そう、きっと、私たちも聞くこと。
どこの国から来た、どこへ行く、何をしている、何故歩いている、この国はどうだ、この国の女の子はどうだ、食べ物は。。。。
人々を区切る国境線や言葉の違いはあっても、心根は、同じ。
一番怖い目にあった思い出は、と問うと、犬、と来た。
イランからトルコにかけて、軍の施設や大きな店などでは、決まって獰猛な番犬がいる。
いや、獰猛といっては犬に申し訳ない。
荒々しく番をするように頼まれている犬がいる。
少しでも、テリトリーを犯すと、イキナリ襲ってくる。
これにはかなり閉口したらしい。
って言うか、そうか、それが一番の恐怖体験だったのか。
少し拍子抜けするような答えだったが、大村さんの肝っ玉が太いってことなのか。
それとも、やはり、直接的な暴力体験は、動物(忠実な番犬)による、通常の平安を襲われることだったのか。
宿が見つからなければ、テントを張ったり、民泊した。
借りた宿で、何の御礼も出来ず、そんなときに役立ったのは、とり続けた写真だった。
これを見せながら、いままでの旅の話をすると、みな、とても楽しんでくれた。
だから、現像できる場所に行くと、必ず写真をプリントしておいた。
もうだめだ、或いはふと我に返り、旅を投げ出したくなると、歩くのをやめて、静かに座った。
何回か、自分の気持ちが歩を促すまで待った。
そうして、あと少し、ゴールのローマが近づく。
2年半もの間、毎日地図を見ながら歩いてきた。
明日どころか、今日の、イマの続きがどうなるかも分からず、歩いてきた。
ゴールがすぐそこにある。
自分は、変わっただろうか。変われただろうか。ゴールで、何か変化が表れるのだろうか。
到着したら、自分はどうなるんだろう。。。。
ゴール。
なにも変わらない。
いや。
気付いた。
明日の不安、未来の不安、わけの分からない不安でどんよりしていた自分の心。
いまは、さて、次はどこに行こう、何をしよう、好きな場所にいける、好きなことが出来る、とワクワクしていた!
帰国した大村一朗は、体験を本にする。
まとめるのに、7年かかった。
〇大村一朗
〇「シルクロード路上の900日」
http://www.asiabunko.com/g_silk900.htm
出版が決まった彼は、中国で知り合った日本人女性と結婚した。
そして、シルクロードの旅で、一番印象深かったイランに、もう一度行こう、と決めていた。
イランに入ると、会う人が、必ず声を掛けてくれる。
お茶を飲んでいけ、休んでいけ、と進めてくれる。
ついぞイランでは、宿の心配がなかった。
言葉を学び、大学院に入り、彼の学びは本格化する。
いつかは、と思っていたジャーナリストの道を歩み始める。
シルクロードを自力で歩き抜いた彼だ。
新たなジャーナりストの道も、一歩一歩、前に進むだけだ。
歩けば、景色が変わる。歩いて行けば、出会いがある。歩き続ければ、目指すものに近づく。
妻も、ついてきてくれた。子どもも生まれた。
イランの放送局で、日本向けの短波放送を日本語で流す仕事にも就いた。
一時帰国しているが、この秋イランに戻れば、本採用で、局での仕事を続けてゆく。
いまの日本はどうですか、といささか曖昧な質問をしてみた。
その日に乗ってきた小さな地方の私鉄の駅に「テロ警戒中」という張り紙があちこちにあり、
ゴミ箱が撤去されているのに、少々面食らったらしい。
イランでは、ゴミ箱が多くて、街はきれいだという。
もちろん、テロ注意の張り紙は見たことがない、と。
彼の見る、イランの人々の生活や日常の姿を、電波で聞ける。
彼は、これからも、道を歩き続ける。
〇夜10時から30分、短波放送13755/15555kHz
イランイスラム共和国放送~ウィキペディア
〇IRIBラジオ日本語
http://japanese.irib.ir/
〇第16回「イランイスラム共和国 日本語ラジオ放送アナウンサー大村一朗さん」~海外キャリアの歩き方
http://www.ecareer.ne.jp/contents/walking/016.jsp
穏やかで、落ち着いていて、物静かな、という形容が近い大村一朗さん。
彼の視線は、地を歩く視線だ。
その言葉が、地から離れることなく、歩く速度で語られる。
生き物としてのヒトが、見て、聞いて、理解できて、経験できる速度やサイズがあるはずだ。
それを拡大するには、一歩づつを重ねることしかないのだろう。
五感すべてで体感する立体的な生物時間で、空間を生きてゆくこと、なのだろう。
イランからの放送では、空を飛んでくるけれど。
何事かを自分に課す、というときに、たくさんのいいわけが浮かぶのも、また才能かと思えるほど、行く手に覚悟を阻む要素は多い。
wasawasaさんの、次の一手、応援します!