旧エンジニア指揮者の勉強部屋

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遠くまで届く音

2004-12-31 22:29:00 | 音楽
以前から私の理系音楽家としての好奇心をくすぐるテーマが、遠くまで届く音と近鳴りとは物理的にどう違うのかというのがある。なぜなら音のエネルギーは音源からの距離の二乗に反比例して減衰するという事実があるから。

自分自身は、アマチュアの中では音を遠くまで飛ばせる部類に入ると思っているが、ではどうやってそれを身に着けたのかというと、自分でもわからない。フルートの先生から言われたことはとにかく「遠くを見て、遠くへ飛ばすつもりで」だけだった。その結果、顎が上がって喉が開くのは確かなのだが。

やっとみつけたのが、新潟大学人文学部の宮崎謙一教授による説明「音響から音と音楽へ」である。オペラ歌手はなぜフルオケに負けないのか、電車の中や駅の喧騒のなかでどうして携帯電話の着信音がよく聞こえるのかなど、なるほど!と思える説明がなされています。ここから推察するに、やはり楽器にしても倍音が多い、つまり高周波成分を多く含むスペクトルにすれば、大きな音で吹かなくとも合奏の中でよく聞こえる音になるといえる。フルートにはおそらく当てはまるだろう。木製より銀製、銀製より金製のほうが音は通る。しかしホルンにそれは当てはまるだろうか。やわらかく奥行きのある音でも上手な人の音は合奏の中でも良く通る。

それ以外に一つ言える事は、楽器の中の空気を振動させるだけでなく、管そのものや喉、鼻腔、頭蓋など体を共鳴させること。共鳴させれば振幅は増幅される。

オケの中での音が通る通らないはこれで説明がつくが、しかしまだわからないのがソロの場合のよく飛ぶ、あるいは響く、あるいは抜ける音とそうでない音の違いである。単純な音源のエネルギーの差なのだろうか?

私の友人の凄腕ヴァイオリニストが「ヴァイオリンを鳴らしきる」と題してまとめています。ぜひ参考にしたいものです。

美しい日本語

2004-12-26 18:00:00 | 音楽
TVで小田和正の「クリスマスの約束」を見た。クラシック以外はあまり聞かない私にとっては、数少ないアーティストの一人。やはり彼の歌は、歌詞が美しい。言葉一字一句に重みがある。もちろんメロディーも美しい。言葉の無いオーケストラなら、もっと音色や音のニュアンス、強弱などで表現しなければ、とても歌の魅力にはかなわない。それにしても彼の言葉「これでテレビは最後。お客さんの前へ出て行って歌いたい。」には重みがあった。

無料の重み

2004-12-24 23:34:40 | 音楽
そろそろ三木でも来年秋の演奏会の選曲について皆で考え始めている。やはり大切にしなければならないのは、聞きにきてくださるお客さんのニーズをどう把握するかである。家族や友達、先輩、後輩などのいわゆる「身内」に聞きにきてもらいたいというだけではダメだ。それならいっそのことビラまきやポスターなど止め、身内のみに演奏会の案内を送るべきであると思う。やはり、街角でポスターやビラを見てきてくださる方、「三木のオーケストラ」として誇りに思ってくださる地元の方に対して、自分たちは心構えができているか、よく考えるべきだと思う。そこから、どういったプログラムにするのか、選曲に考えをめぐらせなければならない。

特に自分たちの演奏会は「入場無料」であるから、観客の中の子供たちに対する責任は大きい。彼らが「将来オーケストラに入りたい」と思うか否か、ひょっとしたら自分たちの演奏会がその運命を決定付けるかもしれない。実際に私がこの世界に足を踏み入れようと思ったのは、小学校5年のときに新設された体育館の落成記念に、隣の中学校の吹奏楽部が演奏してくれた「宇宙戦艦ヤマト」がきっかけである。

安くにCDが買え、ネットでも海外のクラシック専門ラジオが聞けるご時世、わざわざアマチュアの演奏会に足を運んでくださる人は何を期待しているのでしょうか。それに私たちはどう答えるべきなのでしょうか。私のHPにも、そしてここにも、そこにも、いろいろと考え方はある。でもそれは答えではないと思う。読んで納得するだけでは、それを探し求める過程が抜けているから。

鳥の歌

2004-12-20 07:18:25 | 日記
いつもなら、家から駅までの住宅街の道程を音楽を聞きながら歩くのだが、今朝たまたま何も聞かずに歩いていると、なんと小鳥の多いことかと驚いた。種類は私にはわからないが、いろんな声が聞こえる。清々しい気分にしてくれる。今まで勿体ないことをしていたと思う。でもメインストリートまで出てくると、小鳥たちのさえずりは車の騒音に掻き消されてしまう。まだ朝早くて車の数なんてまばらなのだが(写真)。。。都市に住む人々は鳥のさえずりに気付くチャンスさえ奪われてしまっているということだ。芸術に関わる者にとって自然から得るインスピレーションは大切である。よく耳を澄ませてみよう。

自然の一部

2004-12-19 19:38:00 | 科学
人間は自然の一部なのに、自然を支配しようとしている。音楽を広い心で考えるようになると、そういうことが気になってくる。

例1 街路樹の剪定。車道の上まで枝が張り出してもいいのにどうして切ってしまうのか。夏は葉が生い茂り涼しくなるはずだし、冬は葉が落ちて日が当たるようになるはずである。問題は秋の落葉、どんぐりの落下と、春の花粉であるが。。。 道路標識や信号機が見えにくいのなら、それらを見える位置にすればよい。欧米では車道の中央まで枝が伸びている歴史を感じさせる道が多くある。日本でもそういった桜並木の価値は認められているはずだ。

例2 公園の樹木の剪定。枝の刈り込みをしないと虫がついたり病気になるという意見もあるが、木は本来人間の力を借りずとも生きてゆけるもの。せっかく期待できる木陰が何年たっても実現しない。(写真は大学キャンパス内で自然に成長したクスノキ)

例3 公園の落ち葉の処理。植物の物質収支を考えると、落ち葉を掃除してよそへ運んで燃やしてしまうと、土がやせていくことは目に見えている。逆に落ち葉をその場の土に埋めれば、どんどん土が豊かになる。二酸化炭素の固定化にも役立つ。もちろん手間はかかるかもしれないが。

すべての例において、樹木をガードレールなどと同様の物としてとらえるか、自然から与えられた命としてとらえるかの違いで、どうすべきなのか大きく変わってくる。街路樹の枝を大きく伸ばしてやるだけで、都市の二酸化炭素処理能力やヒートアイランド現象の緩和に多少は貢献するはずだ。木陰の涼しさは誰でも知っているはずだ。

ボイジャーのレコード

2004-12-17 21:44:00 | 日記
1977年に打ち上げられたボイジャーにつまれているレコードにはモーツァルトの夜の女王のアリア(魔笛)とバッハのブランデンブルグの2番が入っているそうな。何千光年もの彼方へ飛んでいってどこかで誰かが見つけたら、やはり感動してくれるのではないだろうか。いい選曲だと思う。

モーツァルトの音楽はフラクタルに限りなく近いため、ヒーリング効果、赤ちゃんの知能発達、妊婦の精神衛生に良いなど、よく聞く話であるが、私はそんなことは全く信じていなかった。しかし、しかし、驚くなかれ。昨日今日と仕事でずっと論理を組み立てるために、とにかく一人で考えに考え抜いた。とにかくこの二日間考えること、思考実験ばかりをしていた。実験室に入ったり、会議とかもなしで、ずっと机で考え続けた。おまけに昨日は忘年会で寝不足。脳みそを絞りつくした。自分の脳がギブアップしていると実感している。そこで聞くモーツァルトは格別である。また論理思考できるエネルギーを与えられた感じがする。これほど音楽の、モーツァルトの効果を実感したのは初めてだ。

OBOGオケ

2004-12-14 21:51:46 | 音楽
東京で大学オケの指揮者仲間と一杯(一杯どころじゃない(^^;)やりながら楽しい時間をすごしました。OBOGオケやってみますか?キーはいかに少ない練習回数で楽しめるか。目標を何に置くかでしょうね。演奏会を目標にするのか、集まって楽しむことを目標にするのか。集まって楽しむのが目標なら、ゴールをどこに置くか考えないといけません。ちょっとかわったところで、チャリティーコンサートを目標におくなんてのもいいかもしれません。ホームレス支援とか、イラクの人道支援とか。

個人的には、OB会の解散を提案して率先して解散に追い込んだので、それ以来ずっと、何かきっかけを作りたいと思っています。気をつけなければいけないのは、参加者の意思で参加者の責任ですべてをやること。現役学生に負担をかけるようなことがあれば、また歴史の繰り返しになるから。

音程は大切

2004-12-13 20:50:36 | 音楽
私はもともと指揮者としては、音程に関してあまり注文をつける方ではなかった。それよりは、立て合わせ、リズムのキャラクターを出すなどに重きを置いてきた。最近の三木の演奏の録音をつぶさに分析的に聞いてみた。その結果、やはり音程のいい演奏と、そうでない演奏とでは、第一印象に雲泥の差がある。モーツァルトのピアノ協奏曲のように、音程について練習でかなりうるさく言ってきた曲は、それなりである。ということは、皆やればできるということを証明している。これからはどの曲も、音程については厳しい注文をつけていこうと思う。

単純で難しいシューベルトの4番

2004-12-05 22:25:31 | 音楽

いやー、この曲はかなり難しいです。メロディーもつくりもかなり単純なため、ベートーヴェンの交響曲第1番のように、とりあえず譜面がさらえればそれなりに聞こえる、というわけには全然いきません。一つのフレーズを、全体を、一つの音のキャラクターをどうしていくべきなのか、綿密な分析に基づいた作戦計画が必要です。一度聞くと忘れられない曲だとは思うのですが、その良さを出すのが難しい。特に2楽章などは、シューベルト特有の優しい歌のようなメロディー。これも、なんとなく思いつきでやってもダメ。きちんとストーリー性をもたせて、重みをどこに置くのか、どうもりあげるのか、どうさらっと通り過ぎるのか、ハーモニーのバランスはどうするのか、ビブラートや音色はどのようにするのか、なかなかイメージどおりにいきません。4楽章は技術的にかなりタフです。相当、何度も何度も弾かないと難しいでしょう。何度も転調もしますし。。。かなりかっこいい曲ですから、なんとか仕上げたいものです。1楽章のAllegroの出だし10小節は、アクセントを少しずつ強くしていくという、今日のやりかたで、だいぶいい感じになったように思います。作戦成功! あとは中間部をどうこなしていくかですね。どの楽章も、奏者一人一人がどういった音楽にしたいのか、いっぱい思いを込めないと楽譜に飲み込まれてしまいそうです。

子供にも影響する下手な指揮

2004-12-04 22:21:00 | 音楽

もう一月以上前になるが、娘の小学校の音楽発表会を聞きに行った。1年生から6年生まで、学年ごとに歌、器楽演奏を聞かせてくれた。各学年とも、自分の小学校時代と比べてレベルが高かったのに驚いた。しかし同時に、指導者のレベルが如実に表れてもいた。まず、どの指揮者も基本がまったくなっていない。従って指揮が音楽を邪魔している箇所が多々見受けられた。小学校一年生といえども、下手な指揮の影響をもろにうけるものなのだと、改めて指揮の責任の大きさを思い知らされた。また、打楽器などの演奏指導についても、ティンパニの中心を叩くから音が響かないなど、未経験の我流で教えたのだろうと思える演奏もあった。一方、コンガやボンゴでいい音を出している子供たち、その先生は明らかに経験があるのだろう。とにかく、指導者、指揮者の責任と影響の大きさを思い知らされた。