5月26日
トモちゃんは、地域の「いきいきサロン」に出かけました。
わたしは、唯一の楽しみの散歩を終え、休憩中。
PCに向かっています。
木曜日、中途半端に終わった記事(魔術師トモちゃんの通院)の続きを書こうと思います。
トモちゃんは魔術師はともいえるのですが、その訳は木曜日のブログをお読みいただくとして、
このところメデイアで何かと取り上げられている
「日大アメリカンフットボール反則事件」について、です。
全く別の視点から見つめると、トモちゃんととても似ているんですよね、
あの「監督」の記者会見での「言動」がね。
ある部分で「そっくり」でした。
正確な引用ではなく、意味で解釈していただければと思いますが、
「あの子の弱いところをもう少し何とかしたかった」
「こう言ったらもっと、よくなるだろう」
「もっと厳しくしたら(それに耐えて)伸びていってくれると思っていた」
特にこの最後に言葉など、
かつてトモちゃんがわたしに発し続けた言葉そのまんまで、驚いたのなんの。
「こう言えばもっと、良うならんかしらんと思って、もっともっと、って。
強い言葉で言ってまうんや」
こうして、親(監督)の子ども(選手)に対する言動がどんどんエスカレートしていくのです。
これが「支配の構造」そのまんまだということがわかります。
しかも最悪なことに、支配=愛情だとまるごと誤解している。
あるいは錯覚してしまった状態で、正しいと思い込んでいるんですね。
これがそもそも、悲劇的なことで、
世界中のあちこちで、男と女の間で、親と子の間で、監督と選手の間で、
強い国と弱い国の間で、
会社の上司と部下の間(日大の監督とコーチの関係がまさにコレですよね。
だから選手にも同じことするのです)。
「支配の構造」が延々と繰り返され続けているのですね。
こうした関係は戦争を産みやすくします。
戦争状態になっても、だれも反対できない構造になっていますから。
ですから時代的にも環境的にもトモちゃんが、
絶えずこういう状態に置かれ続けた人なのだろう、ということが想像でき、
そういうことを考慮しても、なお、残念な思いを抱き続けてきたわたしですが、
あの「日大監督とコーチの記者会見」を二人で見ていた時。
トモちゃんはこう言いました。
「あの人らぁは勝手やで。嘘ばっかついとる。ええこと言って自分を守っとるだけや」
お、おおおおおおおおおお!!!
おいおいおいおいおい、トモちゃん。
あたしゃ、そっくしそのまま、同じ言葉をあなた様にお返ししたいのです……
そういうことは、ちょっと身を引けばわかるんですね、トモちゃん。
あなたもそうだった。
そして今のあたしも、トモちゃんにとって良かれと思ってすることが、強圧的になるかも、
なっていることがあるかもしれません。
決して、物事がわからない人ではないのです。
あまりにも密着していた。物事が見えなかった。知らなさ過ぎた。
まあ、いろんなことが言えるでしょう。
ですが、あの会見を二人で見ていた時、トモちゃんがそんな言葉を発し、
わたしは言い返しませんでした。
もういいや、済んだことだ。
そう思うことにしたんです。
瞬間的に、そう思うことができたのです。
そして、言い返さなかったことで、やっと一段、大人になれたかなって……
そう思えた瞬間でした。
昔のことをすっかり棚上げにして正論を吐けるトモちゃんが、
またまた魔術師に見えてきました。
本日もお付き合いいただきありがとうございました。