トモちゃんといっしょ ~認知症の母と暮らして~ 中年プーのぐうたら日記(再会)

実家に戻って3年目。母は中期の認知症。今年から仕事をやめて中年プーに突入。誰にも言えない胸の内を綴ります。

世界選手権 プルシェンコのコメント

2017-03-31 16:18:24 | 日記

(本日2回目の投稿です)

プルシェンコさんが、昨夜のspの演技を観て、コメントを発表したようです。

2017/03/30

エヴゲーニー・プルシェンコ「宇野の滑りは一位にふさわしかったと思う」

 

エヴゲーニー・プリューシェンコ

「宇野の滑りは印象に残った。彼の滑りは一位にふさわしかったと思う」

二度のオリンピックチャンピオン、エヴゲーニー・プリューシェンコは、ヘルシンキの世界選手権男子ショートプログラムの結果についてコメントした。「宇野の滑りは印象に残った。彼の滑りは一位にふさわしかったと思う。しかし、フェルナンデスのために喜んでいる。同じように良く滑ったのだから。
羽生結弦には落胆した — 彼は素晴らしくループを行った。しかしサルコウは立派にやらなければならなかった。だって彼はサルコウを長いことやっているのだから。それから正直に言うと、彼のショートプログラムはあまり好きではない。それは少し彼のスタイルではないと僕は感じる。しかし、彼とコーチは常に探求していて、立派だ」。プリューシェンコはこのように語った。
文:アントン・プリャソフ / 出典:TASS  ( お借りして引用しています)
 
色々な意見があると思いますが、今回については、正直なところ、私も、プル様の意見に近いのです。
 
パトリック選手を筆頭に、上位3人は、重いスケートをします。従来型のスケートです。
ですから、決まったとき、ジャンプの見栄えがします。ステップもしかり。
 
一方、羽生選手の特徴は、まるで羽が生えたような、軽い、空飛ぶスケートです。
それは誰にもまねができません。彼にしかできないのです。体型の影響もあると思います。
 
ところが今回のプログラム・プリンスは、
そうした彼の特性に見合ったプログラムかというと、そうではない気がするのです。
 
前作の、ショパンのバラード1の方が、彼自身から音楽が奏でられているような恍惚感がありました。
軽やかにして華やか。静謐でありながら、非常に情熱的という、
相反する情念が一体となった、至高のプログラムだったと思うのです。
 
 
だからこその世界最高得点だったのではないでしょうか。
 
ところで、
今季、サルコウの呪いは、ループという新ジャンプ取得の影響だけではなく、
試合経験の少なさによるものかもしれません。
怪我による、休養でショーにも出られませんでしたから。
 

とにかく明日のフリーでは、

相反する情念と音楽が奏でる、恍惚の演技を待っています。

羽生選手自身が納得できる演技ができれば本望です。

 

プーさんのあふれるバックヤード。 (お写真お借りしています。ありがとうございます)

「みなさんの応援に支えられて、幸せです」と羽生選手は語ったそうです。

 

ゴーゴー羽生!

 

本日もお読みいただきありがとうございました。

 

 


サルコウの女神さまへ

2017-03-31 10:09:35 | 日記

 

昨夜の世界選手権、男子のショートプログラムは、

素晴らしい演技の連続でした。

これぞ世界選手権。

 

パトリックの演技と、しょーまの健闘が光ります。

パトリック選手、さすがに素晴らしいスケーティンクを魅せてくれました。

 

そして、ハビエル。やってくれましたよね。

完璧でした。トリプルアクセルは加点が3と、満点です。

 

われらが羽生選手。

またしてもサルコウの女神に見放されたか。

徹底してサルコウを調整してきたそうですが、この結果だったと本人は話したようです。

 

 

羽生選手のいないスモメダ会見…… とても 淋しい (でも真正面で見ているぞ)

 

昨夜は呆然としていましたが、

第一滑走者は30秒で演技を始めなければならず、この時タイムオーバーしてしまい、

1点の減点がありました。

これが悔しいと彼は話しているので、これを聞いて、彼はせめてくる。負けていない、

と感じました。

 

どうか自分を責めることなく、滑走順も気にすることなく、羽生選手自身の演技をしてほしいです。

 

ソチの金メダルは日本のためのメダルだった。

だけど平昌は、羽生選手のための「金メダル 」であってほしいと、

 どなたかのブログにありました。わたしも切実にそう思います。

 

羽生選手自身が満足できるような演技をめざして、そうすれば世界は魅了されてしまいます。

 

最初はこうだったんですよ。それが、

 

最高の演技を目指して。

 

余談ですけど、羽生選手は平昌後も選手を続けるような気がしています。

だって、パトリックが、ハビエルが、この活躍なのですから。

負けられないよ。若いんだもの。

本日もお読みいただきありがとうございました。

 


現実は変えられる

2017-03-30 16:04:55 | 日記

3月30日 羽生選手試合の前に 現実は替えられる

 

こころはヘルシンキ、羽生選手の世界選手権、

だけど体と頭はトモちゃんのことで、バッチバチです。

 

そこで大事な試合の前に、整理しておきます。

 

私が子どもから思春期の頃。

激高すると、「そんなに嫌いなら私を殺せ」とか、「死んでくれる」とか「きちがい」とか、

文字にするのもはばかられるような言葉で、トモちゃんに怒られました。

 

そんな母親を貶めるようなことを、よくブログに書けると思われるかもしれません。

母親をそこまで怒らせたのは私です。

私が忘れるべきなのです。

 

ですが、激昂すると足をドスドス踏み鳴らし、障子や襖を撥ね返るほどしめて怒るのです。ずっと忘れられなかったし、今、認知症になってからも、同じです。

 

人の言葉や行動パターンはそうそう変わるものではありません。

ですが、すべては私が彼女をそう行動するよう、誘導しているのかもしれません。

 

私が彼女の言動を忘れていないために、そういう現象が再現され続けているのかもしれないのです。

なぜならトモちゃんは今、そういったことは全く存在しない世界に生きているからです。

 

だったら、忘れること。

忘れることで過去と距離を取り、新しい過去を作ればいいのです。

人間関係に解決も、未決もありません。

いい関係か、悪い関係があるだけで、もしもその人たちと快適な関係が築きたければ、忘れるしかありません。それは過去をなかったことにするのではなく、過去を再構築するのだということです。

 

そう考えればすれば、つらい過去も、新しい見方を獲得できるはずです。

 

気性の激しい男ばかりの田舎で育ち、一家の中でただ一人名字の違う人間として、いわば『里子』として差別されて育ったそうです。

かわいそうといえば可哀想。

 

自分を悲劇の主人公に仕立てるのは、トモちゃんの、もっとも得意な行動なのです。

彼女と話していると、可哀想なのはいつもトモちゃんで、悪いのは言うことを聞かない私になってしまう。それは大人になった今でもそう。

認知症ですべてを忘れているにせよ、そうでないにせよ、彼女は、自分を悲劇の主人公に仕立てる超名人なのです。

 

どうも、私は、それが気に食わないのです。

 

私だって人生の表舞台に立ちたいんですよ。

いいえ、人生などという大袈裟なものじゃなく、家庭という極少のアングラの舞台ですよ。

 

ここに私の舞台はあるのか、ないのか。……ありません、というわけです。

 

そこはいつもトモちゃんの舞台で、

私はいつも脇役、みにくいアヒルの子を演じなければならない。

 

覚悟で、みにくいアヒルを演じ続けると、自己肯定感が激減します。

そんなの、嫌だ! 楽しくなーい! というのが正直な言い分なのです。

 

それならば。

さらにアンダーの隠し舞台を見つけて、そこで主役を張りますか。

ようし、ここまで分かったところで、スタンバイOK。

 

それにしても、私が距離を置こうとすればするほど、母は病気になります。

認知症は私が引き起こしたのかもしれません。

 

これが究極のトモちゃん、悲劇の主人公の巻です。

 

 

 

いよいよ、です。

がんばれ羽生選手。金メダルへ!

 

本日もお読みいただきありがとうございました。


大変・・・・・・だから

2017-03-27 21:49:03 | 日記

3月27日  大変……だから

 

介護は大変。だからこそ、ワクワクがいっぱい。自分を変えるチャンスがいっぱいあるんだと思うことにする。

 

悔しいから何がなんでもいい方向に受け止める。

 

人に何か言われたら言い返そう。

それはパンチではなく、軽いジャブで。

 

それも本当のことをさらっ言って受け流す。

自分に嘘はつかない。それだけのこと。

 

なーんて思っていますが。

 

今日は

トモちゃんのインシュリン投与の講習を受けました。

 

使用は、難しいことではありません。

ただ、毎日・食前、朝昼晩と血糖値を測定し、

朝食後に、インシュリンを腹部等に打たなければなりません。

 

気が抜けなくなります。

そして毎日・朝昼晩と、面倒になってきます。

 

ちなみに今夜は、器具の使用に手間取り、

食後2時間後血糖値になりましたが、225でした😢 

 

食後の薬を飲んで、この値ですからね。高いです。

 

そんなことより、空飛ぶ羽生選手 なんてすごいんだ!

天地逆ではありません。 空を翔んでいます。

 

こちらは、天使! ワールドフィギュアスケートのパンフのお写真だそうです。

 

行った気分のヘルシンキ。 

こんなビールがあるそうですよ。 ヘルシンキで「生yuzu」!

 

さあ、ゆけゆけ羽生! 負ける気がしない。全力応援だ!!!

本日もお読みいただきありがとうございました。


父との会話

2017-03-26 00:03:36 | 日記

3月25日 父との会話

亡くなる1,2年前、父は私の料理を本当においしいと言って食べてくれて、私より多い量を、1時間くらいかけて食べてくれました。

 

父に「おいしい」と言ってもらえるのを励みに、料理をしていました。

ところが、若い頃、父とは、ほとんど話すことはありませんでした。

何を考えているのか話さないので、お互いのことは全く理解していなかったと思います。

 

そんな父と、最近、よく話をします。

亡くなってからの方が私のことを理解してくれていると思うからです。

 

なぜなら、生前は見ることなかった私の言動のすべてを、トモちゃんの言動とともに、

天界から見ているわけですから、以前よりずっと、わかっているのではないでしょうか。

 

『こいつは、こういう時には、こんな行動をするのか』と。

 

そのせいか、最近神社にお参りする回数が増えました。

 

気が向けば、向かいの白山神社にお参りし、いろいろお願いしています。

いない父に腹を立てることも多々あります。

 

でも、腹を立てても、天界というのはすべてを見通しているわけだから、許してくれていると、勝手に思っています。

 

お仏壇にも、お話します。

でも、お仏壇はトモちゃんのものという気がして、私のなかでは住み分けをしています。

 

 

とにかく、いろいろありますね。

それは、これからもっと、チャレンジできる機会があるということです。

 

 

どう変わっていくか。

人生に貪欲に。楽しいことに正直に。

ワクワクしながら、楽しんでみたいです。

 

 

こちらは、トモちゃんの血糖値が上昇していた日の昼食です。

トモちゃん大好き天ぷらそば。

 

 

こちらは私の、まぜそばです。

 

 

 話変わって、フィギュアスケート世界選手権が来週に迫っています。

負ける気がしない、今回。 羽生選手、頑張りますよ。

全力応援です。

 

(写真はお借りしています)

 

本日もお読みいただきありがとうございました。


どんな努力も無駄ではないが、嘘をつとhanyuu氏は語った

2017-03-24 10:30:40 | 日記

 

3月24日  運命の、血糖値

 

昨日、トモちゃんの受診日でした。

血糖値が8.8に跳ね上がり、ついに、インシュリンを毎日自宅で打つことになりました。

 

自己管理ができない人に、母親として世話を焼かれ続ける違和感と腹立ちに加え、

自分でできると錯覚している人に、注射を打ってあげるという仕事が加わりました。

 

 

私はショックで、元気がありません。

今までの食事の努力は何だったのか。

 

ちょっと、ぼーぜんとして、昨夜は食べられず、食事を拒否し、

今朝は、やけ食いモードになっています。

 

お彼岸以降、調子よく回転し始めたなあ、と思っていたところでした。

 

下呂の旅行以来、原因不明の口内炎と、皮膚のただれに悩まされていた矢先、

私も、父みたいな変な皮膚病持ちなのかという不安を抱え、いやいやこれは杞憂でしょう。

花粉症の薬の副作用でしょうか。

 

それにしても、どんな努力も無駄に思えてきます。

 

かつて、努力は嘘をつくと、羽生選手は語りました。

確かに、嘘をつくこともある。

けれど、真のアスリートはその先を見据えている。

努力の嘘のさらに先を。

 

それは、決して諦めない心が見つめる、栄光の星。 

真実のひかりがてらす、人としての誇り。

 

仙台には、こんな素敵な羽生選手応援ポスターがはられているようです。

ようし、こちらも戦闘モードだ!!

ゆけ、ゆけ、羽生!!

 

今回は負ける気がしない。 全力応援だ!! 

 

 

 

こちらは、仙台市内のバス停とか。

全開でうらやましい!!

まだ一度も訪れたことがない、仙台。

いつか訪ねてみよう。

 

春になったら……

本日もお読みいただきありがとうございました。


こころの落書き

2017-03-22 13:50:32 | 日記

3月22日  こころの落書き

トモちゃんの短期記憶はほとんどないのですが、たまに正常な時もあります。

見当識はほとんどなく、スケジュールの確認は毎日毎日、毎時間、数分おきにしなければなりません。

 

というか、しょっちゅう「いつ?」と聞いてくるので、その受け答えをしなければならないのです。

デイケアの曜日も、月水ということは知っていますが、今日が水曜かどうかの認識がないので、「今日行くのか、明日行くのか」という質問が、朝から始まって、帰ってきたその夜も続きます。

 

こうした会話が人間らしい会話といえるのかどうか。

楽しいかといえば、楽しいことではなく、通りの悪い水道管をしょっちゅう覗いているようなもので、時々、プツーンとなります。そう、不快で不愉快なんです。

だから、こちらがプツーンとなるのです。つまりの悪さを解消するために。

 

不思議なのは、

私が話したことを、自分の話として話すことが多々あることです。

それが数分後のこともあれば、二、三日後のこともあり、これはホントに不思議なことです。

 

正常な人でも、人の意見を横取りして自分の意見のように話す人がいます。

私はよく、話を横取りされる人ですが、あれと、全く同じパターンなんです。

 

しかも、生前の父も、しょっちゅう私の話の横取りをしており、

夫婦ふたりして、私の話を自分の話のように言っているのには驚きました。

 

これはどういう心の作用なのだろう。

高齢になってくると、みんな、こんな風になるのでしょうか。

 

エコー現象なのかなあ、と思ってみたり。

鏡のように私を参照項目にして現実を乗り切ろうとしているのかなあと思ったり。

 

年を重ねると色んな面白い現象が起こるものです。

 

 

畑の片隅に白いたんぽぽが咲いていました。

白いたんぽぽは奇形ではなく、こういう種なのですね。

西日本ではわりとみられるということですが、吉兆だといいですね。

 

 クリスマスローズも草むらで最後の花を咲かせています。

 

日差しが日増しに強くなって、じき、水仙が咲き誇る頃になります。

 

本日もお読みいただきありがとうございました。


春の気配

2017-03-21 11:28:02 | 日記

3月21日 春の気配

昨日はお彼岸でした。

数日前、父が夢に現れたのは、お彼岸だったからかもしれません。

 

スピリチュアル系のブログによると、

この春分の日は特別な日だったようで、とてもパワーのある、願いの叶いやすい日だとか。

この日が、本当の意味での新年だそうで、

過去を整理し、未来に向けてスタートするには最適の日だったようです。

 

意識したわけではありませんが、あちこちの神社にもお参りし、

トモちゃんは老人会の法要に出かけました。

 

庭を見ていると、フクジュソウが咲いていました。

 

寒かった冬を耐えてよく咲いてくれました。

関東ではお正月の花とされているのですが、今年は特に開花が遅れたようです。

 

 

セージの横に、3輪、花をつけてくれました。

 

 

国道脇のパーキングにこんな絵が!  こちらに来る途中に見つけました。

すてきな落書き。遊び心にあふれています。 

皆様にも、いい年が巡ってきますように。 ピース✌

本日もお読みいただきありがとうございました。


モネの池

2017-03-19 22:03:59 | 日記

 

3月19日  モネの池

 

昨日は、とても良いお天気でした。散歩のあと、トモちゃんとドライブしました。

何となく南に向かい、山の中を走ること1時間。

 

ふと見ると、関市洞戸という地区の、

「モネの池」として一躍有名になった場所に来ていました。

 

そんな気は全くなかったんです。

何となくお参りするところを探して走っていたら着いたのです(笑)。

 

モネのスイレンの池に似ている、というので一躍有名になり、5月から6月は駐車場にも困るほどのようです。

 

メディアで有名なところとか、行列のできる店とかは、興味がないのですが、

実際に見てみると、素朴で、まあまあな所です。近くに、仮店舗のようなハウスがあってお土産もありました。

 

モネの水連の絵は、数回観てますが、モネの愛したフランスの庭園をみてみたかったなあ。

NHKテレビで、放送されたものを見たことがありますが、あそこはすごい庭園ですね。

ここは、その何十分の1ぐらいですが、雰囲気だけでも。

 

この池はゆう水だそうです。

 

 

 

蓮が咲いたら、さぞ美しいでしょうね。

 

 

池のすぐ上に神社があり、お参りしてきました。

 ちょこちょこ寄り道をして、無事、帰りました。

 

本日もお読みいただきありがとうございました。


やれやれ😥

2017-03-18 23:24:58 | 日記

 3月18日 やれやれ

亡き父に、「私のことを思っているなら出てこい」という不遜なお願いをして、翌朝の夢で、

ちゃんと出てきてくれました。

 

それは昨日の「不思議な夢」に書きました。

なぜそんなお願いをしたかというと、結構大変なんです。トモちゃんとの暮らし。

 

短期記憶がない人との暮らしは、本当に、くたびれます。

数秒ごとに繰り返される同じ質問や、同じ文言、そして愚痴や不安に耐えなければならず、

時には、カッとなります。

心がブロックするのでしょうか、この頃はトモちゃんの言葉が聞こえなくなります。

でもって、声を荒げて聞き直す時があります。

 

こんな母親に誰がした!  これは父さん、あなたのせいでしょ?

あなたとトモちゃんの関係が悪いからこうなったんじゃないの?

 

私は、子どもの頃からずーっとずーっと、トモちゃんの「おもり」をしてきたんですよ。

つまり=話し相手、相談相手、アドバイザー、カウンセラー、友達をやってきたのです。

しかも私は子どもだから、トモちゃんの支配下にあり、分身と思われ、何でも同じと誤解され、さらにトモちゃんとあなたの、パイプ役でした。

 

だから、父に出てきて助けてほしかったんです。

 

まあね、そんなこんなで、色々ありますが、忘れてくれて助かることもあるわけで。

ただ、短期記憶や見当識というものが、日々生きている人にとって、どれだけ、大切かということを毎日毎日思い知らされます。

さっき、どうしたか。何を話したか。今日どこに行き、何をしたか。

そういったことを、脳はほとんど記憶しています。

 

ですが、トモちゃんは、今、ほとんどすべてが新しいことなのです。

その時間を生きたこと、すべてが、赤ちゃんみたいに、新しいのです。

 

まあ、土日は、一緒の時間が長くて、大変です。

今日は、偶然珍しいところに出かけましたので、その記事は、また明日に。

 

本日もお読みいただきありがとうございました。

 


不思議な夢

2017-03-17 14:04:29 | 日記

3月17日 不思議な夢

 

 

昨夜、眠る前にお願いをしたのです。

それも、とても不遜なお願いを。

 

「ねえ、お父さん。

私はあなたが私のことを心から思ってくれていたとは、どうしても思えない。

だって、お父さんはずっと、トモちゃんの家来だったから。

 

もし、今でもわたしの支えになってくれているのなら、目の前に出てきてよ!」

 

そして、今日。明け方不思議な夢を見ました。

 

へたくそなウグイスの囀りで目が覚めて、ハッと思いだしました。

父と、夢の中でしゃべったことを。

 

その時、父と、お芝居の公演の準備をしていました。

父は相変わらず、裏方仕事を懸命に、黙々とこなしていました。

あの真面目な方はだれかと演出家が聞くので「お父さん」だと言い、演出家は「いい人だね」と。

 

しばらくして、ある新人がやってきました。

その人はとても身軽な人で、セットに軽々と飛び乗り、楽しげに仕事をしています。

 

無口な父が「あいつはいい奴だ。見所がある」と言いました。

実は、私もそう思ってその人の働きぶりを見ていたところだったので、

とても嬉しくなりました。

 

なんとたわいのない夢でしょう。

でも、目覚めた後、何だか嬉しくなりました。

 

父といっしょに働いたことなどなかったし、彼氏候補生を褒められたこともありませんでした。

これまで実現しなかったことが夢の中で実現していたのです。

 

もしかしたら、父は、ずっと見守ってくれているのかもしれません。私の、すぐそばで。

 

 

 

本日もお読みいただきありがとうございました。

 


観てきました『モアナと伝説の海』

2017-03-16 10:51:44 | 日記

3月15日 水曜日はレディスデー

 

 

春休みの前をねらって、

映画『モアナと伝説の海』を観に来ました。

 

『君の名は。』を観て以来。

『君の~』は映像はよかったんですが物語はイマイチの印象があります。

比べる位相が違いますけど『殿、利息でござる』の方が断然よかった。

 

一方、『モアナと伝説の海』は、予想以上の映画でした。

とても面白く、また、映画としてとてもよくできた作品でした。

 

『アナと雪の女王』をテレビで見ましたが、私にはイマイチだったのですが、

今度の『モアナ伝説の海』は、ツボにはまりました。

 

 https://www.youtube.com/watch?v=diAKqIIiY6g  『モアナ伝説の海』予告海とモアナ

 

映像化するための民族的なリサーチが、とてもゆき届いているんです。

どれだけ博物館に足を運んだのだろう、というような映像やストーリーが、

随所にちりばめられていて、見ごたえがありました。

 

 

海に選ばれた少女モアナは、村長の父との葛藤を抱えています。

自分は海に出たいのに父から禁止されている。

そこから物語がはじまるのですが、

唯一モアナの力を知っているのが、おばあちゃんです。

 

 https://www.youtube.com/watch?v=zR1C5MliVfk   『モアナ伝説の海』予告

 

そういう人がいるといいなあ、と思っているからでしょうか。

おばあちゃんのシーンではほろりとしました。何だか、泣けてくるんです。

そして動きや顔の表情もとても自然で引き込まれてしまいます。

 

ちなみに『モアナ』というのはポリネシア語では『太平洋』という意味があるそうです。

モアナは先祖が成し遂げなかった航海の続きを果たすために南太平洋へと舟を出す。

そして旅には道連れがつきもの。

マオリやポリネシアなどの伝説に登場する半神半人の英雄「マウイ」がモアナの旅の道連れとなり、この大男の神様が日和見で、すぐにくじけるのも面白い。

 

今度は、トモちゃんと一緒に観たいと思いました。

 

 

 

本日もお読みいただきありがとうございました。


自己の責任

2017-03-13 13:25:30 | 日記

3月13日 自己の責任

 

私たちにとって3月11日は特別な日。

ヤフーで3・11とクリックをして、ささやかに、哀悼の募金をしました。

 

イタリアには羽生選手を応援する熱烈なフォーラムがあります。

その方々にとっても3・11は、大好きなYUZURUにちなむ大切な日で、

3・11クリックを呼びかけていました。頭の下がる思いです。

 

翌12日は、トモちゃんと一緒に岐阜市に住む親せきを訪ねました。

仏壇を買った報告とか色々です。

 

東日本大震災も含めて、東京に13年いましたが、あの日々はとても大切な日でした。

自分で選んで自分で選択した人生なので、自分で責任を取ることができる。

これがとても大切なことですが、うちの親はどうしたことか、こうした基本的なことが全く理解できない人たちで。

 

 

大学を中退した時、東京に行きました。

ですが、トモちゃんが腹を切った(切腹!)ので、あえなく戻ってきました。

 

子宮がんだって言うのよね。

これがまた大げさで、誰も看病するものがいない。わたしはガンだって。

 

すったもんだした挙句、とにかくトモちゃんは、岐大病院で腹を切りました。

ところが、亡くなる数か月前のこと。父が言いました。

よほど気にかかっていたのでしょう。

 

「あの時のお母ちゃんの手術は、まったくしなくてもよかったんや。

取らなくてもいい子宮を取ってしまったんや。医者が申し訳なかったと言って、謝った。

ぼくも反対したのに、お母ちゃんが手術をすると言って聞かなかった。

どんなに反対しても言うことを聞かなんだ。今でも、悔しくて仕方がない」

 

唖然としました。もう随分もまえのことで時効ですが、背筋が凍る、とはのことです。

そうまでして、私を東京から呼び寄せたかったのかしら。

それから、私は、ぐうたら街道まっしぐら、ですわ。

 

うちの親は親になったとき、自分が絶対に正しいと思って親になり、もっと正しいのは世間の常識だと思っていました。

子どもはそういう親の言うことを聞くものだと思いこんでいた。

その思い込みに、どんだけ苦しんだか。

 

親子で意見が違う、考え方が違う、ということが全く理解できませんでした。

分身だから同じだと思ったんでしょうね。

 

私が離婚したとき、何で結婚したのか、ずいぶん悩みました。

義父がとてもいい人で、彼がいるならやっていけるかな、と思いました。

義母も、きついと言われていましたが、賢い人で、トモちゃんと違うところがいっぱいあって、興味深い人でした。

その義父が、婚約中に急死し、その打撃が、離婚のいちばんの理由でしょうか。

後ろ盾をなくしたこと。ショックでした。

 

また、義母は、こちらに戻ってかなりたってから、偶然、バイト先で会いました。何か話したそうな顔で会釈されて、別れてしまいました。それが心残りです。

なぜなら義母は、私が東京にいる間に、自殺をされたのです。

 

トモちゃんは、私をぜーんぶ、飲みこもうとする。

そのつらさは、介護の大変さと同じで、体験したものでなければわからないことです。

 

親戚に会うと、彼らは常識論で昔のことを蒸し返します。

だから、ちょっぴり心が乱れます。

 

母親の介護に自分の残りの人生をささげて、それで楽しい? しあわせ?

 

それでも今、私がトモちゃんにへばりついているのは、自分で決めたことだからです。

自分の決めたことに従って生きられるなんて、こんな幸せなことはありません。

なぜなら自分で責任が持てますから。

 

今まで、そうさせてもらえなかったから……これも悲しいけれど。

気がついた時が、いま。だから。

 

本日もお読みいただきありがとうございました。


生きるよろこび

2017-03-10 13:46:59 | 日記

3月10日 生きるよろこび

 

認知症になったら人生が終わってしまうのか。

 

そんなことはありません。

あなたにはあなたの人生があります。

それはとても尊いもので、その人なりの人生を生きる権利も、

憲法で保障されていますから。

 

なーんていう話で納得できれば、話は簡単なのですが。

 

この頃は、若年性認知症をカミングアウトする方もいて、

メディアでも取り上げられ、珍しいことではなくなったようです。

 

若年性となると、残りの人生が長いですからね。

悲壮感が漂いがちですが、

テレビで時々報道される様子をみていると、そうでもないようです。

 

本人が自分の症状に納得していることが、高齢者の認知症と違う気がします。

本人の自覚の如何で、対処の仕方が全く違ってくるからです。

 

私は、最初の大学を中退して、実家で半端な仕事をぐだぐだしながら、離婚もし、

その後、40代で東京の大学に入り、大学院で老年学を学びました。

 

老年学を学びたいと思ったのは、高齢になるというのはどういうことなのか、

とても興味があったからです。テーマは高齢者のQOL。

やっぱり、とことん生きる意味に興味があったんです。

 

今もですが(笑)。これが、なかなか答えが出ない問いなのです。

 

老年学を専攻すると、当然、認知症について学びます。今はこちらがトレンドでしょう。

回想法や、傾聴のスキルを身につける講義もありました。

ロールプレイングも頻繁にあります。

 

そうしたことを、東京で働きながら学んでいたわけですが、

わたしのそうした思いに当時の母は全く関心がなく、もちろん今もね。

早く帰って来いだの、婿養子だの、わけのわからないことばかり。

わたしのやっていることに、とにかく、無関心。

(今だからわかる。こうした人はすでに認知症傾向があるのでしょう。)

 

当時、田舎でそんなことやっている人はまだいなかったし、

話してもわかってもらえないし、そんなこんなで、学んだことが役立っているかというと……

 

人生に失敗もなければ、どんな経験も無駄なものはない。

というレベルでの、無駄ではなかった、とは言える。

 

帰ると決めて、一網打尽であらゆるものを投げ打って帰ってきた時、

何がなんでも「トモちゃんを研究し尽くす」と決めていました。

 

自分の人生を洗いざらい、総めくりして総決算して、

人生の元は取れなくとも、とにかく、残りの人生をかけて。

 

「トモちゃんの、単一事例研究をする」と決めていました。

 

たった一人の人生にとことん寄り添えたら、それは万人に共通する。

 心に残る、そして最後のよりどころの、教授の言葉です。

 

昨日、帰ると、トモちゃんがフキノトウを採ってくれていました。

 

 (写真はウィキペディアよりお借りしています)

甘味噌和えにしました。ほろ苦い味が、新鮮で、いのちがよみがえりました。

 

本日もお読みいただきありがとうございました。


羽生選手の作文

2017-03-09 11:10:42 | 日記

3月9日 羽生選手の中学時代の作文

おととい、岐阜でウグイスの初鳴きが観測されたというので、昨日、

トモちゃんとデイケアのお迎えを待つ間、「彼ら、冬はどこに隠れてるのかしら」、

などと言いながら「ほーほけきょ」と歌っていました。

だって、この辺の山にたむろす鶯は7月過ぎまでさえずっているのです。

 

すると、今朝6時ごろでしょうか。

「ほーろ、ほろほ、ぴぴぴ」と 「?」な鳴き声が。

さては、うちのウグイスがついに目覚めたのでしょうか。

もしかしたら、自然は愚かなあたしたちを、どこかで見てるのかもしれません。

 

 

 

さて、久々の羽生選手のお話です。

 

羽生選手の中学時代の文集が箪笥から出てきたといって、

ツイートされた方があったそうです。

 

そこに掲載されていた羽生選手の作文がとてもすばらしいのです。

書かずにはいられません。

 

タイトルは、「新たな一歩」

「やっと着いた。」という書き出しで始まります。

この書き出しひとつとっても、中学生の書いた作文とは、一線を画しています。

ぐいぐい引き込まれてしまいます。

才能がきらきらしています。

 

作文は、中学の夏休みに行なわれた「野辺山合宿」について書かれています。

この「野辺山合宿」とは、フィギュアスケート界のいわば「虎の穴」のようなもの。

フィギュアスケートの精鋭が集まり順位を決める、エリート合宿なのです。

 

といういうことを、羽生選手の作文でようやく理解しました。

これは作文というより、ドキュメント。詳細な「野辺山レポート」です。それほどこの合宿の内容がよくわかります。

しかもこの作文の優れた点は、「テーマ」が明確であることです。

「野辺山合宿」とはどういうもので、羽生選手がここで何をしてきたか、それが明確に表れているのです。

 

何をするかというと、体力の中でも持久力と瞬発力を走りこんで測定し、次にスピン、ステップ、ジャンプという、スケート技術の程度を測定し、最後にフリーを滑って、競い、順位を決める。

そういう4日間の合宿なのです。

しかもこの「野辺山」のあとには、次の「山」があるのですから。戦いは to be continued なのです。

 

野辺山は空気がやや薄いことや、お父さんとコーチが付き添っていたこともわかりました。

学校というところは、やたらと「頑張ることを奨励」します。

なおかつ、アスリート(スポーツ選手)は、

タイム、順位、記録という「数字」と、どれだけ若い頃から格闘しているか、ということを改めて知りました。

本当に過酷な世界です。

 

さらに羽生選手のことが好きになりました。

読みたいですよね。

 

文集に掲載済みのものなので、個人情報流出ということにはならないと思いますが、

著作権は羽生選手にあるので、やはり掲載はやめておきましょう。

教科書に載るかもしれませんから。

それぐらいの価値ある作文ですね。

 

111ページに掲載されているのも、暗示的です。予言の自己成就かもしれません。

 

 

 プーさんでお茶を濁しておきましょう、ごめんなさい。

本日もお読みいただきありがとうございました。