被爆体験
日時 昭和20年8月6日 午前8時15分
被爆場所 広島市南区比治山町比治山公園入口 (多聞院屋内)
広島県警察官 (現在の警察機動隊所属)
被爆時の状況
県庁の所在地水主町に本部 比治山多聞院を宿舎として、市内重要箇所及び
一般の警備。8月5日空襲警報発令、日本銀行に出動警備
8月6日早朝宿舎に帰り朝食の準備ができるまで休憩、雑談中に異様な光
(ガス溶接時の光線のような光)が目の前を走ったと同時に、ドーン(ピカドン)
全市が一瞬にして廃墟となり、焼け野が原となった。どれくらいの時間が経ったのか
気が付いた時には何処に居るのか、どうなったのか、辺りを見れば壊れた建物の床下
まで飛ばされていた。放心状態でどうする事も出来なかった、砂煙が立ち込め視界は
きかず動く事さえ出来なかった。
頭に浮かんだのは我々の宿舎が何者かによって破壊されたのではないか。そんな思い
をしながら一時も早く建物から出なくてはと、必至にガレキをかき分け、体を動かし
てるだけ、何をやっているのか、考える余地は無かった。目に映ったものは、
元気に雑談していた同僚が倒れた壁 柱 飛ばされた畳の下敷きとなっているが、
助っ人呼ぶにも声も出ない、思考力はゼロただがむしゃらにもがいているだけ。
何どきかして屋外に出た時目にしたものは黒煙か砂煙、所々ビルが姿を残しているく
らいで、市内全体が全滅、容赦なく照りつける太陽の光、変わり果てた街唖然と
眺めるうち、あちこちから火の手が上がり、火の海となった。火の海から逃れるため
川に飛び込むもの、高台を求め比治山にと悲壮な叫びで足を引きずり、ともを助け合
い、倒れ歩く人の足にしがみつき、水をくれと大声で叫ぶ人々で長い参道が生き地獄
肉親を捜し 友人 知人を探し求め焼野原をさ迷い歩き力尽きて倒れ、犠牲者となら
れた方々を思うに60数年の歳月が流れてもあの悲惨な姿は忘れることはできない。
数日後の市内の行動については記していない。
兄もすでに87歳あと何年語り部として原爆体験を語ってくれることやら。
日時 昭和20年8月6日 午前8時15分
被爆場所 広島市南区比治山町比治山公園入口 (多聞院屋内)
広島県警察官 (現在の警察機動隊所属)
被爆時の状況
県庁の所在地水主町に本部 比治山多聞院を宿舎として、市内重要箇所及び
一般の警備。8月5日空襲警報発令、日本銀行に出動警備
8月6日早朝宿舎に帰り朝食の準備ができるまで休憩、雑談中に異様な光
(ガス溶接時の光線のような光)が目の前を走ったと同時に、ドーン(ピカドン)
全市が一瞬にして廃墟となり、焼け野が原となった。どれくらいの時間が経ったのか
気が付いた時には何処に居るのか、どうなったのか、辺りを見れば壊れた建物の床下
まで飛ばされていた。放心状態でどうする事も出来なかった、砂煙が立ち込め視界は
きかず動く事さえ出来なかった。
頭に浮かんだのは我々の宿舎が何者かによって破壊されたのではないか。そんな思い
をしながら一時も早く建物から出なくてはと、必至にガレキをかき分け、体を動かし
てるだけ、何をやっているのか、考える余地は無かった。目に映ったものは、
元気に雑談していた同僚が倒れた壁 柱 飛ばされた畳の下敷きとなっているが、
助っ人呼ぶにも声も出ない、思考力はゼロただがむしゃらにもがいているだけ。
何どきかして屋外に出た時目にしたものは黒煙か砂煙、所々ビルが姿を残しているく
らいで、市内全体が全滅、容赦なく照りつける太陽の光、変わり果てた街唖然と
眺めるうち、あちこちから火の手が上がり、火の海となった。火の海から逃れるため
川に飛び込むもの、高台を求め比治山にと悲壮な叫びで足を引きずり、ともを助け合
い、倒れ歩く人の足にしがみつき、水をくれと大声で叫ぶ人々で長い参道が生き地獄
肉親を捜し 友人 知人を探し求め焼野原をさ迷い歩き力尽きて倒れ、犠牲者となら
れた方々を思うに60数年の歳月が流れてもあの悲惨な姿は忘れることはできない。
数日後の市内の行動については記していない。
兄もすでに87歳あと何年語り部として原爆体験を語ってくれることやら。