おもしろアジア

【アジアン雑貨IROIROasia】

Vol.074 ラオス旅日記(7)

2007年08月25日 | Masaさんの旅日記
ルアンパバン2日目(サバイデー)

 一旦井上さんと別れ、街の中心に戻る。ルアンパバンは世界遺産に登録されて
以来、かなり観光地化が進んでおり、街のいたるところにツアーデスクがある。
 そのうちの1つに入りツアーを申し込むことに。入った先はカナダ人オーナーが
仕切る、主にカヤッキングやカヌーのツアーを催行しているところ。そこで日帰
りのカヤッキングツアーを申し込んだ。
 このオーナー、ラオスに初めて来たのが6年前で、最初に来た時にラオスの
魅力にとりつかれてしまい、3年前に現地の人と結婚して、ビジネスを始めたと
か。その前には3年英語の先生として日本にいたらしい。それなのに、である。

『あなたはどこの出身ですか』と聞かれ、

『日本だけど』と答えると、めちゃめちゃ驚いた様子で、しかも日本語で、

『日本人ですか!!?見えませんねー』って。

『じゃあ何人に見えたの』って聞いたら、なんと、シンガポール人かなあって。

 あながち間違ってもないか...って違う!
 でも、かなり話をした後でも日本人と思われなったったということは、だいぶ
日本語なまりの英語から脱却できているということなのかも。でもシンガポール
人に間違えられたってことはシングリッシュ?いやいや勘弁してください。
 ともかく、明日の集合は8時、ちょっと遠出してのカヤッキングツアーである。

 その後、まだ時間があったので近くでマッサージを受けることに。
 ラオスもタイ並かそれよりもマッサージが安い。だいたいどこでも1時間全身
で$5くらいなので毎日でも行ってしまいそう。(実際その日から3日続けて通っ
たが)
 マッサージが終った時間がちょうど井上さんとの待ち合わせの15分前だった
のでそのまま向かうことに。

 プーシーホテルというその界隈では一番大きなホテルのロビー待ち合わせた。
しかし、井上さん、いっこうにあらわれず外で待つこと15分。何か起こったの
かなあと心配になったその矢先、陽気な関西弁のおっちゃんがホテルの中から
出てきた。どうやら井上さんはホテルの中で待ったいらしたらしい。確かに、
ロビーはホテルの中だった

 井上さんのたっての希望で屋台へ行くことに。焼き鳥と焼魚を食べながら
ビール、という酒飲みにはたまらない組合せの屋台を発見。外国人と現地人で
ごったがえした裏路地でテーブルも椅子も木でできたグラグラした、いかにも
バックパッカーです、という人達が集う所で2人でかなりの量の焼き鳥と大き
な魚を丸一匹注文し、ビアラオで乾杯。



 この井上さん、自分がバックパッカーであちこちリュック背負って貧乏旅行
してます、って言いさえしなければ決してわからない感じの方だ。でも聞けば
かなりのサバイバルを体験しているようで、自分が行ったことのない、という
よりそこに旅行で行く人がいたのか、という秘境をわたり歩いているようだ。
 キルギスとかコートジボアールとか。ま、ラオスもいってみればそういった
秘境に入ってしまうのかもしれないが。
 とにかく普段、普通の人から聞くような話はそこでは一切なく自分がしてきた
旅が彼の話の前ではあまりにありふれた普通のもののようにしか感じられなく
なってしまったから恐ろしいものだ。
 自分の妻が聞いたら激怒するかもしれないが、こういう人もいるんだから、
自分もこれから先一人で、もっとあちこち行ってみたくなってしまった。

 ほどなくして、井上さんが先に酔っ払ってきてしまったようでその場を立つ
ことに。ちょと千鳥足になっているようでホテルまで送っていくことに。
 途中、昨日もいったナイトマーケットによって冷やかしに。ここは大阪人の
出番である。井上さん、とにかく値切る、値切る。$22で売り出している者を
$7からスタートして結局最後は$9で買っていた。ここまで下がるとは....自分
ならせいぜい$15くらいが限度だろうな。まだまだ甘い。

 井上さんのゲストハウスは川沿いのとても静かな所で、そして、とても古い。
さすがバックパッカーさん。部屋も見せていただいたが、いや、素晴らしい。
自分も見習わなければ、となぜか感心してしまった。
 明日の朝にはもうルアンパバンを発つということで移動が全体の7割を占めて
いるという凄まじい旅をしている井上さん。またいずこかの秘境でお会いできる
ことを楽しみにしています。くれぐれも気をつけて。

続く

Vol.073 ラオス旅日記(6)

2007年08月20日 | Masaさんの旅日記
ルアンパバン2日目

 この日の起床はこの旅で最も早い5時半。托鉢を見るためである。
 ヤンゴンでも托鉢のお坊さんの列を見たが、ここのは比べものにならないくらい
規模がでかいらしく眠い目をこすって起きた。とはいえここラオスで早起きする
のはそう難しいことではない。なぜなら目覚し時計が自動的にセットされている
からだ。??それは何かというと、ニワトリの鳴き声のことである。彼らは毎朝
5 時半になるとこれでもか、という大きさの奇声をあげて我々を起こしにかかっ
てくる。そんなにムキにならなくても起きますって。

 当然のことながら辺りはまだ暗い、にもかかわらずかなり沢山の人が托鉢の通
りに待ち構えているではないか。観光客の姿も少なくない。
 地元のおばちゃんに供え者を$2で買わされる。ついでにゴザまで貸してくれ
た。ゴザにちょこんと座り托鉢がくるのを待つ。買わされたお供え物はもち米の
入った筒となにやら笹のようなものでくるんだ食べ物。
 待つこと5分程で托鉢の行列がやってきた。くるわくるわかなり長い行列がやっ
てきた。若い坊さんから結構な年のおっちゃんまで一列15人くらいが数列、あっ
という間に供えものが無くなる。すぐさまさっきのおばちゃんが追加を売りに来
た。$1分買ってしまった。それもあっという間におしまい。



 きりがない。地元の人々は普通の釜に炊いた米を入れてもってきている。
 たいしたもんだと感心しながらおばちゃんにゴザを返し、まだ薄暗い町中をう
ろつく。まだあちこちで托鉢が行なわれていた。いったいここには何人の修行僧
がいるんだろうか?

 この日はボートで川下りをする予定。昨日ボートチケットを購入済みで8時に
メコン河へ。ルートコースは紙を作っている村とラオラーオという焼酎を作って
いる村、そして何百体もの仏様が祭られているという洞窟、タムティンへ、片道
2時間往復4時間のメコン河下りである。



 昨日上着を買ったが、それでもまだ肌寒いくらいルアンパバンの朝は冷える。
久し振りに吐く息が白い。ボート上はさらに冷える。その寒さを除いては、とて
も優雅な舟下りだ。ルアンパバンの郊外には数々の村が点在し、皆それぞれが
地元の工芸品や織物、紙製品、そして酒を作って細々と暮らしている。酒作りの
村ではかなりアルコールの強い焼酎、ラオラーオを試飲させてもらってちょっと
ほろ酔い加減。そこにはなんと蛇酒、コブラ酒やサソリ酒まで売っていた。興味
半分で蛇酒とサソリ酒を購入。これ本当に飲めるのかしら?

 最後の目的地、タムティンに着く頃には日は高く昇り、気温はかなり上昇し、
上着は不要になっていた。それだけ朝と昼の気温差は激しい。

 河岸の洞窟、タムティンにはどういう理由からか無数の仏さんが放置されてい
る。いつ誰が持ち込んだかは不明ということだ。信仰の厚い地元の村の人々が持
ち込んだんだろうか。不思議としかいいようがない。



 タムティンを後にしルアンパバンへ引き返す。到着は13時。
 丁度昼時にさしかかっていたので地球の迷いかたお勧めの麺屋にいってみるこ
とに。カオピャックと呼ばれる地元で有名な名も無い露天の麺屋。たったの8000
キープでかなり旨い麺をいただけるなんてこのままここに定住しようかな?なん
て考えてると隣に日本人のおじさんが座って同じものを注文していた。自分が
地球の迷いかたをもっていたからだろうか、声をかけられる。

 『日本の方ですか?』この旅で初めてラオス人に間違えられなかった。なんて
いい人なんだ!(後で聞いたら本持ってたからって...)

 井上さんというこの方、聞けばなんとも筋金入りのバックパッカーでこれまで
何十もの国を一人で旅したことがあるとか。今回はなんと中国から国境を越えて
モーハン、ウドムサイと全てバスで移動し十数時間かけてルアンパバンへやって
きたという。中国からラオスに来た人、初めて見た。すごい!
 正月休みを利用して来たらしいが日本には家族がいて、ほっぽってきたとか。
 おやおや、大丈夫ですか?(自分も人のこと言えんが)

 出身が大阪の岸和田ということでまさにコテコテの関西人、とにかくよく喋る
気さくないい人。話もとにかく面白く、麺が延びてしまわないか心配しながらも
話に夢中になっていた。麺を食べ、スープも飲み干し、井上さんから夕食を一緒
にしないかと誘われる。ラオスで初めての他の旅行者との食事である。勿論、と、
7時に約束。井上さんはその後マッサージとサウナに行くとのことで、自分は
明日、カヤッキングツアーを申し込もうと思っていたのでツアーデスクへ。自分
が泊まるホテルの近くのホテルのロビーで待合せることに。酒好きということで、
かなり楽しみ。どんな話が聞けるのだろうか。

続く

Vol.072 ラオス旅日記(5)

2007年08月12日 | Masaさんの旅日記
ルアンパバン初日

 1月1日。そう、この日は元旦である。
元旦のラオス、一応祝日らしいが街は普段どおりの活気がある。ラオスは
やはりラオス正月に凄まじく盛り上がるようだ。SINでいうチャイニーズ
ニューイヤーのようなものか。

 この日はいよいよ世界遺産ルアンパバンへの移動日。飛行機は9:30発、
なのだがチケットを持っていない。というのも昨日買いそびれて結局当日空港で
取らなきゃならない羽目に。あいかわらずの計画性の無さに自分でも呆れてしま
う。が、いつもの悪運ぶりは健在ですんなりチケットを購入し、無事チェック
イン。やれやれである。万が一乗れなかったらバスで11時間の移動を強いられ
るところだった。ロビーで出発を待ってるととなりに座っていた西洋人のおば
ちゃんに話し掛けられる。
「ルアンパバンは何回目?」
??変な質問する人だなあ。
「初めてだけど」
というとちょっと驚いた顔で、
「え?でもあなたラオス人でしょ?初めてなの?」
・・・
「あのー、一応これでも日本人なんですけど」
「え?あらいやだわ。本当にごめんなさい。日本人?いやてっきり。私はカナダ
に日本の友達が何人もいるのに。あなたが日本人だなんてこれっぽっちも・・・
本当にごめんなさいね」
「いや、いいんです。慣れてますから・・・」

 この旅のあいだこのようなかなり笑える一コマが何度となくあったのは言う
までもなく。。。

 飛行時間約1時間。あっというまにルアンパバンに到着。
 いや、ま、なんともすごいところにきたな、というのが第一印象である。
 こんなところによく空港建てたなあ。私の妻の実家が宮城県の鳴子町という
ところにあるのだが、一瞬自分がそこにいるのではないかと錯覚してしまった。
つまり田舎なのである。(奥さんごめんなさい)
というのもそういった田舎風景がどことなく日本の山間部の街に似通っている
のだ。懐かしく、そして心が落ち着く非常にいい所だ。

 空港からタクシーで30分くらいだろうか、街の中心部に到着。ここでの
ホテルは予約しておらずとりあえず目星を付けておいたゲストハウスに行って
みることに。幸いにも空室がありチャックイン。今思えばここがこの旅で一番
いいゲストハウスだった。

 2006年2月から営業。つまりまだ新しい。木造で温もりのあるラオスらしい
建物だ。

 東南アジアで街が丸ごと世界遺産というのはこことベトナムのホイアンくらい
のものだと思う。(他にもあったら教えてください)
 ユネスコが1995年にここを世界遺産と指定して以来、注目を浴びだしたここ
ルアンパバン。街すべてが世界遺産といういわれは何なのか?非常に興味深い。
まずは街じゅうを見渡すことのできる、プーシーの丘を登ってみることに。
 かなり急な階段を上り頂上に着く頃には息切れ。歳だなあ。でもそんな疲れも
吹っ飛ばすほど丘からの眺めはそれはそれは見事なものだった。山に囲まれた
街並み。雄大にながれるメコン川、その支流のナムカーン川。すべてがここから
一望できるのだ。



 素晴らしい!の一言で片付けてしまうのは惜しいほどの絶景だ。


 丘を降り、散歩しながら街並みを愉しむ。途中、レンタサイクルを発見しここ
から自転車での散策に切り替える。街のはずれにあるワットシェントーンにいっ
てみる。よくよく考えたら今日は元旦、元旦にお寺といえばそう、初詣。
ここ何年かしてなかった日本人としての国民的行事をここラオスで行う。なか
なかおつなものではなかろうか?


 ラオスのお寺はタイのお寺によく似ている。違いを説明しろと言われたら難し
い。ルアンパバンのお寺にはそれぞれにたくさんの修行僧が寝泊りしていて、寺
のすぐ隣に彼らの宿泊場所があった。自給自足。薪を自分たちで割り火を起こし、
食事を作る。下はまだ小さな、おそらく10歳くらいだろうか。そんな子どもの
僧がラオスにはたくさんいる。
 その他2つのお寺を参拝し、マーケットへ買い物に行くことに。ルアンパバン
はラオスでも北部に位置しており、更に季節は冬。朝晩は防寒具が必要とのこと
なので、長袖の上から羽織るものを購入。その後も自転車で街をぶらぶら、その
うち日が暮れてきた。
 するとどこからともなくメインの通りに行商のおばちゃんや子どもが現れ
あっという間にナイトマーケットのできあがり。300メートルかそれ以上か。
 近くの山間民族が手作りの工芸品を売りに山から下りてきているらしい。
 アジア雑貨好きの自分にとってはまさに宝の山、まだあと5日も滞在する事な
どお構いなしにあれやこれやと買い込んでしまった。色とりどりの織物、いかに
もアジアな工芸品、それらを彼ら自前の薄暗いランプが照らし、えもいわれぬ美
しい光景と化していた。ナイトマーケットは夜9時くらいまで。その後は皆一斉
に引き揚げ、元の通りに戻る。

 夕食は屋台で安く済ませ、自分も彼らの帰宅とほぼ同時刻に宿へと帰った。
ラオスの夜は早く訪れそして早く明ける。自分の体内時計にピッタリである。

続く